編集一つで、映画は死ぬ。「映画大好きポンポさん」
め~め~。
pixivで無料掲載され、書籍化、そして、映画化された「映画大好きポンポさん」。
ポンポさんというキャラクターのインパクトの強さと、映画大好きというタイトルから、見るべきか悩んでいる方もいるのではないでしょうか。
本作品は、映画に詳しければより楽しめるでしょうが、映画というものの本質であるとか、プロデュースというのはどういうことか。女優・俳優が輝くというのはどういうことかということを、90分という尺に押し込んだ素晴らしい作品になっています。
特に、映画の編集という点については、映画の核となる重要なテーマとも直結しており、本作品に通底している内容でもあります。
編集一つで映画というのは、まるっきり別物になる。
これからみる作品の見え方すら変えてくれるのが、「映画大好きポンポさん」となっております。
映画大好きとまでいかない人も、もちろん、大好きな人も、誰しもが楽しめる作品となっていますので、その魅力について、感想を述べつつ語ってみたいと思います。
クリエイターという生き物の話
主人公は、ジーン・フィニといういたって平凡な映画好きの青年です。
架空の映画の聖地、ニャリウッドにおいて、かなりの大手制作会社であるピーターゼンフィルムのお偉いさんとなるポンポさんのアシスタントのような形で、一年間近く仕事をしている男です。
本作品は、そんなジーンくんが、映画監督になるまでを描きます。
本作品は、単行本でいうところの1巻を忠実に描きつつ、原作のエッセンスを凝縮して、且つ、作中と同じように、足りないところを足した上で、映画にしているという、メタ構造も取り入れてつくられているのが特徴です。
平凡を、メタに。
ポンポさんという圧倒的な実力をもつプロデューサーの力を借りて、主人公が映画をつくり、自分にとって映画をつくることとはどういうことか、それを表現するために、何を削っていかなければならないのか、ということを突き付けてきます。
作中で作られる「マイスター」という作品の脚本を読んだとき、ジーンは、ポンポさんに感想を述べます。
「物語としては定番で新鮮味がない。ですけど、登場人物の魅力に引き込まれる」
「映画大好きポンポさん」の魅力の一つは、メタ構造が見事にはまっている、という点があげられます。
メタ構造だからなんでもいいというわけではありませんが、本作品は、映画をつくる人たちが映画を作る物語です。
アニメを作るアニメといえば、「SHIROBAKO」を思い出すところです。
「劇場版SHIROBAKO」もまた、アニメの中で劇場版アニメをつくるという構造で作られておりましたが、あくまで、つくっていく過程の中で、テレビシリーズで活躍していた登場人物たちが、その後の現実を生きる中で失っていったものを取り戻しながら、作品を完成させるというところがポイントです。
勿論、十分面白い作品ですが、作品をつくるということが、作品を作る人間のモチベーションになったり、登場人物たちの活力に再びなっていく、というところにぐっとくる作品ですので、ポンポさんのもつ、メタ構造の見事さとは方向が異なります。
「映画大好きポンポさん」さんは、映画内で、作品作りに対するメソッドや考え方も話しており、それを、劇中内でも、そして、実際の作品そのものにも当てはめているところに、創作的快楽があったりします。
映画内で、
「2時間以上の集中を観客に求めるのは、現代の娯楽として優しくないわ。製作者はしっかり取捨選択して、できる限り簡潔に伝えたいメッセージを表現すべきよ」
主人公であるジーンは、ちゃんと、映画を90分に仕上げてきます。
そして、「映画大好きポンポさん」の上映時間も約90分です(正確には、94分ですが、それは誤差といって差し支えないでしょう)
作品内で語られる通り
ポンポさんという作品は、実は、物語の題材としては、それほど面白い目新しいものではありません。
映画内で映画をつくるという、裏話であるとか、舞台裏を描いた作品というのは、色々な切り口で語られています。
「ヘイル、シーザー!」のようなスタジオ内でのゴタゴタ含めて描かれるものもあれば、「マンク」のような脚本家が、どのような状況の中で作品を完成させていったか、というものもあります。
劇中作が、さらに劇中で作られて語られるような入れ子構造の「脳内ニューヨーク」なんてものもありますし、「アダプテーション」のように、脚色をテーマに置いたものも存在します。
いずれにしても、映画大好きポンポさんによる、舞台裏を描いてみたり、売れない女優志望が輝くなんていうのは、「ラ・ラ・ランド」を出すまでもなく、たくさんあります。
当note内で公開した記事でいえば、「ワンスアポンアタイムインハリウッド」も、内幕ものといえるでしょうか。
日本映画だと「蒲田行進曲」も素晴らしい作品となっています。
それでも、「映画大好きポンポさん」が優れているのは、映画内で語られる事柄と、我々が見ている映画の内容が一致しているところです。
ポンポさんの、内容自体は地味です。
冴えない映画好きのギークボーイが、監督になって、映画を完成させる。
息もつかないアクションシーンがあるわけでもなく、新海誠を思い出させるような現実を超えた美しさがあるわけでもない。
しかし、
「登場人物の魅力に引き込まれる」
と、ジーンが語った通りです。
ポンポさんというキャラクター、そして、それを織りなす人々が魅力であり、そこに、作品で重要な、監督が自分自身をどのように表現するのか、ということによって、映画的な魅力を引き出しています。
そのため、あらすじだけであれば、よくあるアニメ映画だな、と思ってしまうかもしれません。
劇中の「マイスター」も内容は地味ですが、地味な作品だからこそ、演技力のある俳優をつかったりする、っというのは正攻法ですし、この手の地味だけれどいい映画というのは、紹介した記事でいうと「ディセンバーボーイズ」に、ダニエル・ラドクリフがでてくるのと同じようなものだと思っていただければと思います。
ポンポさんでは、ポンポさんという圧倒的に個性のあるキャラクターが物語を引っ張っていっています。
クリエイターの生きざま
ジーンというキャラクターを掘り上げてみますと、これは、クリエイターという業の深い生き物の物語にもなっています。
「モノづくり目指している人間が、フツーなんて、つまんない言葉つかってんじゃないわよ」
ジーンという男を通して、物作りをする人間の性質の一端が強調されます。
社会人である以上、一定の協調性は当然必要なわけですが、
「なんで、ポンポさんは、僕をアシスタントに選んでくれたんですか。なんで、僕なんですか」
「ジーンくんが、一番ダントツで、目に光がなかったからよ。他の若い子はね、光り輝く青春を謳歌してきましたっていう目をしていたのよ。だけど、満たされた人間っていうのは、ものの見方が浅くなる。幸福は創造の敵。彼らにクリエイターとしての資格なし。ジーンくんは、社会に居場所がない。追いつめられた目をしているの。褒めているのよ」
この辺りの言葉は、陰キャよりの人間からすれば、福音であり、呪いです。
しかし、このあたりがジーンという男を言いえている場面と言えます。
否定的な人生をおくってきた彼が、ポンポさんというプロデューサーの力によって、肯定されていく姿が、快感となります。
「あの、今から、脚本にないシーン撮ってもいいでしょうか」
「伺いを立てるな! ボスは君だぞ」
監督というのが、どれほどの力を持っているのかもよくわかりますし、この手の言葉によって、ジーンが自分自身を肯定していくようになっていくところです。
これは余談ですが、そのあとのセリフですぐに
「なんで、私がこんなことを。私は帝王だぞ」
というのですが、その前のセリフをちゃかしているところが面白いです。
編集のすごさ
さて、本作品は何度も言いますが、編集の大切さをこれでもかとテーマにしています。
原作の1巻では、映画を撮り終えたところでほぼ終わりとなっており、編集作業の大変さは描かれません。
しかし、本作品は、そこからが本番となっているところが魅力です。
編集の大切さや、ちょっとした映像の並べ方一つで、印象が変わるということを、ちゃんと観客に伝えてくれています。
作中作である「マイスター」の、楽屋でのシーンのつなぎ方を考えている場面があります。
ロングショット、ミドルショット、近接と選んでいるシーンで、普通に映像をつなげた場合と、キャラクターの表情に注意がいくようにあえてロングショットを増やす等の工夫を主人公が行っており、編集による印象の違いを見せてきたりします。
ジーンは、72時間という映像素材を、映画放送用にするというところで、悩みに悩みます。
15秒のCMを作るときは悩まなかった彼が、72時間という素材を前にし、さらに、スタッフと共につくってきた映像を切り捨てるということの重さも含めて、劇中内で表現しています(ちなみに、原作では約17時間となっており、映画版では、その長さが強調されていたりします。これも、一つの演出といえるでしょう)。
映画では、主演女優であるナタリーが隣でみるのですが、次々と場面をカットしていくのを見て「私のファーストカット・・・」「マーティンさんとの初ショット・・・」と言って、惜しみます。
それを実行している、ジーンの手は震えています。
「生きることは選択の連続だ。一つを選択したら、それ以外は切らなくちゃいけない。だから、会話を切れ。友情を、家族を、生活を、切れ。切れ。切れ」
劇中作「マイスター」で、音楽という芸術にささげた男が、家族を切ったこと、自分自身が友情や、楽しい青春を切ったこと、その全てが、編集という作業と、ジーンが映画のために青春等を含めて切っていたことを想起させます。
これが、物語の中にも、物語そのものにも表現されているところが、素晴らしいです。
原作では一気に飛ばされてしまっているのですが、映画版では、本作の監督である平尾監督自身の作品とするために、原作にはない必要な場面だったことがよくわかります。
劇中でも、
「足りないシーンがあることに気づいたんだ。僕の映画に必要で、決定的に足りないシーンが。夢を叶えるために、切り捨てたシーンが足りないんだ。僕に、映画を撮らせて欲しい」
昔の角川映画であれば、原作なんてあたりまえに大改編されていましたが、現代は、なかなかそういうわけにはいきません。そんな中にありながら、
原作にないところを大幅に追加するという点は、現実の平尾監督にとっても、一大決心だったはずです。
作中の中で、ジーンの、ポンポさんへの想いも、よい映画を作りたいという気持ちに直結しています。
「エンドロールが終わるまで、席を立つのも忘れて、映画の世界に酔いしれたことがあるんだろうか」
こだわりを突き通すことは、ジーン君が作品を作る為に必要なことでもありますが、同時に、ポンポさんのためでもあります。
天才映画作家の元で英才教育を受けたポンポさんは、観客としてではなく、製作者視点でしか見れていません。
ジーン含めて映画好きが当たり前に与えられていた感動。
ポンポさんには、それが無いのです。
ポンポさんにも、映画のもたらす感動を味わってもらいたいという想い。
それが最後のセリフにもつながってきますし、創作する人間の根源的な魂と繋がっている点も示唆する、重要な場面です。
そして、そのことにより、「映画大好きポンポさん」は、ジーンくんと、ポンポさんの物語になっているところも、感動です。
トランジションのすごさ
さて、内容的なところはそのあたりにしておきまして、映像のつなぎ方は、何度も見て注目したいところでもあります。
いわゆる、トランジションというのが、実に巧みであり、種類が豊富なのも「映画大好きポンポさん」の特徴といえるでしょう。
映像業界では、トランジションというのはカットとカットのつなぎ目の処理のことだと思ってください。
パッパッと画面が切り替わることもあれば、何かが横切った瞬間変わるなんていうのもあるわけです。
「映画大好きポンポさん」では、映画のフィルムのように場面が転換してみたり、車のワイパーが動いたことに合わせて場面が変わったりと、様々な場面転換があります。
何度も書きますが、本作品は編集ということが重要な役割を果たします。
場面転換のやり方をたくさんみせるということも、編集がいかに重要かというテーマに沿った演出となっているのがポイントです。
プロデューサーのお仕事
あと個人的に面白かったのが、プロデューサーという立場の力です。
「若者の運命が決まる日だ。ジーン君、遅刻しちゃダメよ」
映画のオーディションの前日に、ポンポさんは言います。
当たり前のことですが、作品にかかわれるかどうかで、その人の人生は大きく変わってしまいます。
事実、ポンポさんは、ジーンの運命を決定的に変えてしまいますし、女優のナタリーの人生も変えてしまいます。
「バイトは週何日? 演技のレッスンは何日?」
「バイトは7日です。レッスンは2週間に、一回、ぐらいです」
「それだけじゃあ、演劇部のヒロインにも成れないわよ。今すぐ、バイト辞めて。アパートを引き払って。女優のミスティアの家に行って。今日から付き人になって、彼女と一緒にいなさい。同じレッスンを受けて、彼女の演技をよく観察しなさい」
この辺りは、素晴らしいサクセスストーリーとなっていて、且つ、ナタリーに足りないものが一発でわかる素晴らしい場面となっています。
「プラダを着た悪魔」であるとか、古くは「マイフェアレディ」のようなものを思い起こさせるところでしょうか。
何もかもうまくいかなくて、夜空を見上げて涙をためるナタリーを見るだけで、こみ上げてくるものがあります。
アニメならではの表現
本作品は、アニメ映画でもあるので、アニメならではの表現もたくさん見られます。
実写でCGで行ってもいいですが、どうしても、見ている側としては違和感がでてしまいます。
そういうのが一切なく、画面のすべてを同一の絵で語ることができるのは、アニメならではの強みといえるでしょう。
何かを感じ取った時に、人物の線が輝いたりするのも、創作に打ち込んでいるジーンや、ジルベールから、黒いもやのようなものがでてくるのも、実写であれば、浮いてしまう表現です。
原作の面白さ
映画大好きポンポさんは、原作も大変面白い内容になっています。
映画は、原作一巻の内容に準拠しつつ、文字通り足りない部分を書き足した内容となっています。
2巻は、監督になったジーン君のさらなる活躍と、創作論について語られており、面白さはよりパワーアップしています。
内容だけでいえば、新人監督がいきなりアカデミー賞的なものをとったり、追加撮影のために資金調達が必要になったりして、現実的ではないと思うところもあるかもしれませんが、これはニャリウッドというのが舞台です。
まぁ、そこを強調しないとしても、編集という作業によって、自分と向き合わなければ、ジーンは足りないシーンに気づくことができず、追加シーンの必要性にも気づけないわけですから、多少現実的ではない設定がでてきても、全然物語の範囲内といえるのではないでしょうか。
クリエイターが、色々な切るという作業であるという一方で、映画が一人では作れないということも含めてちゃんと伝えているところも好感が持てるところです。
94分という短い中に、大事なエッセンスがこれでもかと詰まっていますので、モノづくりに関係したことのある人であればぜひみていただきたい作品の一つでもあります。
以上、編集一つで、映画は死ぬ。「映画大好きポンポさん」でした!
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