名もなき英雄たちの撤退戦 映画「ダンケルク」感想
め~め~。
人生は常に戦いの連続ですが、戦争を扱った映画をみると、その命の軽さというのに驚かされます。
クリストファー・ノーラン監督といえば、バットマンの「ダークナイト」シリーズを手掛け、「インセプション」など、一風変わった特徴のもつ作品をつくる監督というイメージが強いかと思います。
第二次世界大戦における最大の撤退戦と言われるダンケルクの戦いを描いた映画「ダンケルク」は、主人公こそいますが、この映画がどういうものかをわかってみると、より感慨深くみることのできる作品となっています。
自分だったら、と思いながらこの手の映画をみるとより没入感を得られるところですが、「ダンケルク」にいたっては、さらにその傾向が強い作品となっています。
というのも、本作品は、数多くの無名の人たちが主役の映画となっているからです。
そんな、感想と解説めいたことを含めて、ごくごく簡単書いていきたいと思います。
ダンケルクの戦いとは
本記事を読んでいる方は、きっと一度は映画をみているか、なんとなく内容は知っているけれど、手がだせないでいる方と思います。
そのため、本作品における土台となった事実については簡単に述べておくにとどめます。
極々単純にまとめますと、フランスのダンケルクに追いつめられたイギリスとフランスの連合軍が、撤退するまでを描くのが本作品となっています。
三つの時間軸が描かれており、一つ目が、ダンケルクのビーチでの一週間を描いたトニーという兵士の脱出の話。
二つ目が、ダンケルクでの脱出を援護するため、飛行機での戦闘を描いた1時間。
最後が、兵士を救い出すために、民間船がダンケルクに向かうまでの1日間。
この三つの時間軸を、一つの映画に織り交ぜながら、ダンケルクの戦いが描かれているのが特徴です。
時間軸がいったりきたりするので、混乱してしまうかもしれませんが、感情的な動きや、ちょっとした流れを、うまくつないでいるので、感覚的にみえても、違和感はありません。
空から助ける
ダンケルクの戦いにおいて大変なのは、ドイツ軍による空からの攻撃です。
せっかく船がやってきても、すぐに沈没させられてしまいます。
友軍の飛行機は次々と落とされ、帰還するための燃料は残しておけ、といわれていたにも関わらず、ファリアという飛行機乗りの男は、命の危険を何度も乗り越えてダンケルクに向かいます。
「ダンケルク」は、自己犠牲の物語ではありません。ただ、無名の兵士たちの集合的な存在が、それぞれのキャラクターに投影されているのがポイントだったりします。
空中戦では人数が少ないので、それぞれの個性がみえかくれするところですが、砂浜で待ち続ける兵士たちになると、その演出はよりはっきりと示されていきます。
トニーという男
トニーという名前は、いわゆる、イギリスっぽい名前というのでしょうか。
主人公ではあるのですが、それぞれが、戦争時における生き残った人間の集合知のような存在となっています。
船にのる順番を待つ兵士たち。
戦争においては、よほどのエースパイロットでもない限り、歩兵であれば、目立った活躍をすることはほぼできません。
トニーは、壊れた水道から水を飲み、降伏勧告の紙をお尻ふきとしてポケットにしまう。
戦場にいて、同じ状況であれば、だいたいの人間がやってしまう行動でしょう。
戦争映画にしても、パニック映画にしても、そこにいた場合に、自分だったらどうするだろうか、と考えてしまうところに一種の面白さがあると思いますが、「ダンケルク」は、モデルになった人物こそいますが、ありえたであろう可能性をみるものとなっています。
トニーは、ギブスンという、しゃべらない兵士と一緒に、戦場からの脱出を試みます。
ギブスンもまた、兵士から靴をとったりしており、戦場において、生きるということはどういうことかも見せてくれるところです。
一般市民による救出
本作の中において、市民を代表する人物はミスター・ドーソンです。
彼は、息子とともに自分のもっている遊覧船によってダンケルクの兵士を助けるために出発します。
ダンケルクの戦いにおいては、兵士救出においてもっとも重要な役割を果たしたところといえます。
軍艦の数は少なく、圧倒的なドイツ軍の攻勢の前に撃沈されられてしまう中、民間人の船による脱出こそが必要不可欠でした。
船の中でのやり取りは、そのまま、この作戦に参加した多くの市民の心の代弁といえるところです。
特に、ドーソンは、退役してはいるものの、もと軍人であり、未来ある人達に対しての責任をもっていると考えています。
年齢を重ねたとはいえ、若い人たちを知識や経験で助けるということができる姿も描かれています。
また、英雄になりたかったジョージ少年の行動等、自分だったらできないことをやる人がいかに大変か、勇気のあることかも教えてくれる作品となっています。
感想
映画「ダンケルク」は、内容もテーマもかなり地味な作品ではあります。
ドイツ軍と壮絶な撃ちあいをして命のやりとりをする、といった話でもありませんし、華麗なる勝利を得る話でもない。
むしろ、ドイツ軍の兵士はほとんどでてきません。
主人公たちは、姿の見えない相手から銃撃を受け、わけのわからないうちに死んでしまったりします。
撤退することが目標ですから、当然、大きすぎるカタルシスが得られるものでもありません。
そこにあるのは安堵であり、無数の犠牲や、そこから生まれる小さな英雄の話など、新聞で語られる内容の裏側には、数えきれない犠牲があるはずですが、それが公になる機会はほとんどありません。
だからこそ、映画「ダンケルク」においては、誰でもないが、誰でもある人物たちの行動をみることで、無名の英雄たちの心情を推し量ることのできる作品となっているのです。
ちなみに、ダンケルクの戦いによって、イギリス軍は物質的な資源は失われたものの、人的資源が守られたことで、その後における作戦を実行に移すことができ、最終的な、第二次世界における勝利へとつながったということを考えると、誰かの勇気ある行動や犠牲が、もっと大きな出来事を支えている、ということもわかる作品となっています。
クリストファー・ノーラン監督が手掛けるということから注目が高かった作品ですが、地味ながらも味わい深い作品となっているのが、「ダンケルク」といえるのではないでしょうか。
以上、名もなき英雄たちの撤退戦 映画「ダンケルク」感想 でした!
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