アニメは現実と戦うための清涼剤 劇場版「SHIROBAKO」
め~め~。
「SHIROBAKO」といえば、アニメーション会社PAWORKSの代表作の一つであり、アニメーション業界の現実と理想を見事に描いた作品として有名です。
アニメで、アニメ会社がアニメシリーズを作るという内容となっており、その中で、業界に夢や希望をもちながらも、現実に打ち勝とうとする主人公たちが描かれました。
テレビシリーズでは、作中でもテレビシリーズを作る中での騒動が描かれておりましたが、劇場版「SHIROBAKO」では、劇場アニメを作中でつくる中での騒動が描かれます。
本作品は、テレビシリーズを見なければキャラクターの性格、立ち位置がわからない為、作品単体で楽しめる映画ではありません。
ですが、今回は、あえて劇場版「SHIROBAKO」の中身について、感想&解説をしてみたいと思います。
アニメをつくる漫画
劇場版「SHIROBAKO」は、なんといってもテレビシリーズを見てきた人へのご褒美のような作品となっているところは、外せません。
テレビシリーズの時点で、高校の時のアニメ同好会のメンバーが、それぞれアニメに関わっていきます。
メイン主人公である、宮森あおいは、制作進行という立場で活躍します。
アニメ会社の話なので、アニメを描く人を主人公にするのかと思いきや、絵の描けない人を主人公にすることで、アニメ業界全体が見えてくるというつくりは、面白い試みでした。
ちなみに、アニメを描く人を中心に描いた近年の作品でいえば、広瀬すずが主演した朝の連続ドラマ小説「なつぞら」なんかは、記憶に新しいところではないでしょうか。
また、「 空色動画」や「ハックス」といった漫画は、まさにアニメーションと真正面に向き合った作品となっていますし、「映像研には手をだすな」も、アニメやその関連する部分を面白くとらえた作品となっています。
さて、早速内容にも入っていきたいと思います。
2は難しい。
劇場版「SHIROBAKO」は、テレビシリーズのその後を描いた作品となっています。
だいたいの作品において、続編、いわゆる2というのは作るのが難しくなっています。
2のほうが面白い作品もあるのですが、内容がアクションものでない限りは、だいたいが、一作目で登場人物の成長が描かれて、作品としてキレイに終わってしまうものです。
「グレムリン2」にしても、「ターミネーター2」にしても、「スパイダーマン2」にしても、基本的には戦いがメインにあり、予算が増えたことにより迫力が増してみたりするところですが、シリーズ一発目にあった主人公の成長や悩み、物語の意義を含めてスケールアップするのは難しいものです。
特に、内容が人間の成長を描くものとなりますと、スケールをアップさせるわけにはいきません。
1の時点で、主人公はなんらかのトラウマであるとか、苦難を乗り越えて成長することで、物語が終了しているはずなので、2というのは、完成している主人公をどういうスタート地点にもってくるのか、というのも見どころとなっています。
翻って、劇場版「SHIROBAKO」は、その続編を見事に、現実という要因によって成立させているのがポイントです。
本作品は、脚本の出来の良さと、映像的な素晴らしさの二点があるので、そのあたりを抑えつつ語ってみたいと思います。
シリーズその後
前置きが長くなってしまいましたが、主人公たちは、テレビシリーズで、大団円を迎えました。
ちなみに、劇場版「SHIROBAKO」をみるにあたって、テレビシリーズを全話見返したほうが面白くみれるのは間違いないですが、絶対に、復習しておいてほしいのは、第一話となります。
ここだけは、記憶に残っている状態でみてもらいたいと思います。
ちなみに、本作品は、劇場版「SHIRBAKO」を見た前提で書いていきますので、ネタバレ等が気になる場合は、ご覧になってから戻ってきてもらえればと思います。
劇場版は、テレビシリーズ第一話のセルフパロディから始まります。
少しだけ、テレビシリーズの復習をしていきますが、「SHIROBAKO」という作品は、アニメ業界の内幕ものとして、あるある話含めて面白い話となっています。
もちろん、業界にいたことのない一般人からすればそんなものか、と思ったりするところでしょうが、業界にいなくても、こういうことはありそうだな、と思ったりするのも面白いところです。
ですが、本作品において、その匙加減というのが絶妙になっています。
テレビシリーズの第一話において、原画の依頼&回収する際、公道でのバトルが行われます。
自動車がドリフトしながら、一般道路を走り、車が大きくジャンプしながら疾走していきます。
人によっては、なんだこりゃとなってみるのをやめてしまうところですが、テレビシリーズの「SHIRBAKO」のリアリティレベルについて、定めているところなので、ここを許容することで、本作品がどのあたりに匙加減をもってきているかがわかるのです。
ちなみに、そんなとんでもない動きにも関わらず、車のメーターは、法定速度を超えていません。
つまり、現実とファンタジーの加減がこれぐらいだ、ということを示しているのが、テレビシリーズの第一話となっていまして、これ無しには、劇場版の前半戦の、停滞した感じの演出意図がわからなくなってしまうぐらい、重要な場面となっています。
車が爆走してみえる感じこそが、SHIROBAKの面白さであり、その中で行われる業界のできごともまた、ファンタジー的な匙加減が存在しているということなのです。
さて、そんなテレビシリーズが大団円を迎えて、数年後の世界である劇場版は、どこまでも現実を描いたところから始まるのが、しびれます。
現実の未来
テレビシリーズでは「イニシャルD」そのまんまに爆走していた車が、いたって普通に走っています。
やたらにボロくなった軽自動車を運転する宮森あおい。
「武蔵野アニメーション」の建物のところどころか、劣化しており、わくわく感がありません。
テレビシリーズに求める楽しくてうきうきした感じを求めている人は、そのギャップに驚かされると思います。
何か勢いがない、と思うかもしれませんが、ファンタジーから現実のほうに匙加減がずれていること、そして、物語(テレビシリーズ)終わった後もまた、彼らは、現実として仕事をして生きている、ということが嫌でもわかるようになっています。
そういう演出がこれでもかとされているところが、主人公の歩く方向でもわかるところがポイントです。
いわゆる、映画の文法に忠実に作られています。
映画において、キャラクターが右側にいくときは、物語が前向きではないときを表します。
アニメーターとして独立した安原絵麻や、CG制作をしている藤堂美沙等、それぞれのキャラクターが自分がかつて描いていた夢に到達しています。
ですが、いずれも、彼女たちは、嬉しそうではありません。
どこか辛そうであり、不満は大きくないにしても現状のままではよくないと思っています。
2を打ち破れ
先ほどの話になりますが、戦わない作品の場合、やはり、一度、キャラクター達に一定の欠落を与える必要があります。
幸福なだけのキャラクターは、物語的な魅力がそがれてしまいます。
ムサニのメンバーが散らばってしまった中、宮森あおいは、劇場版アニメの制作を受けるかどうかで悩みます。
大きな物語を発動させることで、テレビシリーズで活躍していた人たちを結集して、物語を大団円に持っていく、というのが物語の流れになっており、現実に打ちひしがれていたメンバーが、再び、ファンタジーを取り戻して劇場版をつくっていく、という内容となっています。
そのため、後半にいけばいくほど、そのファンタジー度合は大きくなります。
劇場版アニメを制作するにあたって、ラストで何か物足りないという場面がでてきます。
出来上がる寸前のところで、そんな話がでてくるのですが、監督の思った通りにやることになります。
しかも、その追加は尋常じゃないぐらいの量と、アニメーションの質となっています。
このあたりは、まさにSHIROBAKO的な匙加減が全開となってまして、現実からファンタジー寄りに代わっているということを意識しないと、ツッコミばかりしたくなるかもしれませんが、劇場版においては、これが正解となっています。
脚本のうまさ
この脚本のうまさについて再度書いておきたいと思います。
まず脚本のうまさとしては、ムサニが解散してしまった事件「タイマス事変」が発端となって、ムサニは解散寸前となってしまっています。
具体的な内容は語られず、断片のみとなっているのですが、その加減が絶妙です。
かつて事件の具体的内容には触れず、今現在主人公たちが抱えている問題によって、どういう類のものだったかが想像できるところが素晴らしいです。
そして、かつて、ムサニの社長だった丸川正人が、様々な理由から失敗してしまった決断を、宮森あおいは、別の方法で解決します。
そのルートの変更こそが、かつてのムサニと今のムサニを分ける、という脚本が素晴らしいところです。
様々なところで、かつての事件を匂わせつつ、彼女たちが同じ轍を踏まないようにしていくところ、また、かつてのテレビシリーズでは、師匠的な立ち位置だった舞茸しめじさんが、後進である今井みどりに対して教えを乞う等、ファンであれば、胸が熱くなる展開もあります。
何より、現実に打ちのめされそうになっているとき、主人公たちを助けるのは、やっぱり、アニメーションだった、というところも良いもっていきかたとなっています。
前半戦の、現実を描くことによる停滞感を嫌う人も多いかもしれませんが、だからこそ、後半のいつものテレビシリーズ感が戻ってきたときに、劇場版の作画の良さを含めて楽しめるようになっています。
物語のラストについて
賛否両論あるかと思いますが、物語のラストは、ムサニのメンバーがまた、全員戻ってくる、のではなく、物語冒頭のときと変わらない状態に戻ってしまいます。
なぜ、みんなでアニメをやらないんだ、と思いますが、単に現実に戻ったという演出でしょう。
アニメーションの功罪とまではいいませんが、SHIROBAKOは良くも悪くも、PAWORKSにおけるお仕事もの(働く女の子シリーズ)アニメの最終形と思っています。
「花咲くいろは」に始まり、アニメーションについての仕事を、アニメで描くという形で、仕事を通じて何を得るのか、成長していくのか、ということを扱った中で、「SHIROBAKO」は出色の出来といえる作品です。
さて、そんな中で、劇場版「SHIROBAKO」ですが、最後に、なぜメンバー全員がまた、ムサニに集まらないのか。
それは、単純に、ファンタジー寄りだったところから、現実に戻したというところにあると思います。
事務所はボロいですし、メンバーもほとんど変わりがありません。
ですが、これが、全員集まっていたならば、それこそファンタジーすぎるところでしょう。
主人公である宮森あおいは、現実に打ちひしがれながらも、大好きなアニメに後押しされて、再びファンタジーをつくりだし、ちょっとだけ、強くなってまた現実での戦いを始める。
PAWORKSが、お仕事もののアニメとして、最終的な結論がそこにきたというところに、じわじわと広がる思いを感じたところです。
アニメを逃げ場所にするのではなく、現実を戦う為の清涼剤とするというと、合っているかわかりませんが、劇場版「SHIROBAKO」は、そんな考えも含めて、非常に面白い作品となっていますので、万が一、ここまで読み進めて全話見ていない人がいましたら、何かの機会に見てもらいたいと思います。
以上、アニメは現実と戦うための清涼剤 劇場版「SHIROBAKO」でした!
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