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芸術の価値そのもの。『ホドロフスキーのサイコマジック』

配信・レンタル

オンライン先行上映(https://uplink-co.square.site/psychomagic)

こんな人におすすめ

・ホドロフスキー初めてだよという人
・ホドロフスキーの昔の作品観て、よくわかんねえけどすごかった!好き!と思った人
・芸術が好きな人

雑感 人を救う芸術

『ホドロフスキーのサイコマジック』は、アレハンドロ・ホドロフスキー監督が自らが考案した「サイコマジック」を自ら実践しながら紹介してくれるドキュメンタリー映画です。ホドロフスキー作品の入り口として、または他の作品を入り口とした人がとりあえず次に観てみるのにとっても良い映画だと思いました。

なぜヴィヴァルディの冬…?最後がエンドレス・ポエトリーなのもずるいですね。(笑)
本編でも、この予告編でやってるように、問題を抱えて訪れた人々に対して、サイコマジック的な行動で癒やしてあげる様子が映し出されます。
過去の映画どうこう、と言う直接の言及はシーンの類似から少しあるばかりですが、彼の考え方を知れるという意味で他作の鑑賞がしやすくなるに違いありません。

実にこの人の実践は芸術の価値の根源です!!なんせ直に、人の精神を救う。これって芸術においてなによりも根源的な役割のひとつなのではないでしょうか。
サイコマジックは、それを間接的にではなく、直接的に行うような手法です。患者の心に引っかかって外れないモノを、彼のやり方で開放してあげる。

彼の思想と実践はフェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』で言及していた実践にとても近いモノだと感じます。科学、精神分析の試みによる発展を評価しつつも、全人類が救われることからは程遠い万能でもなんでもないモデルなのに結局その曖昧なはずのモデルに全てを当てはめてしまっては元も子もないわけで、それとは違うアプローチが、この現実には必須。サイコマジックはそのうちの一つでしょう。

科学的手法によるアプローチは当然重要です。
科学が治せるモノは大変に増えてきているし今後も増えることでしょう。生物学が進歩すれば、全ての悩みは薬という洗脳で消し去ることもできるかもしれない。精神分析が科学として円熟すればより多くの人を救う精神分析の手法が生まれるかもしれない。

しかし、科学がこんだけ我々の「深刻な悩み」を解決できない時代に科学的でない手法が全く無意味と言えるはずもないでしょう。

彼のセラピーは、正直に言って、異常で桁外れで意味がわからないことをしてるとは全然思えないんですね。至極真っ当。
単に「やったら絶対気持ちいいけど一人ではできないこと、バカげてるとさえ思うにちがいないこと」を、「一つのメソッド」という権威づけをして背中を押してあげてる。やることや症状に、「理由を説明してあげる」と断定口調で話すことで。「夢の言語を話すのには根拠が必要です」と予告でも話されていたけど、その根拠を与えてあげてるのがホドロフスキーの態度で、これはとても合理的。

例えば、子供として愛されること、単にそれ自体のロールプレイ。代理的な死。再出産。子宮。紐のへその緒。白濁液の授乳。はじめての歩行。から自分の両足で歩行。
そもそも自分の人生で抱えた問題の原型を、フロイトとは別に翻訳を挟まずに(そもそも症状とかTraumaに関する考え方からして違うから翻訳の有無を比べるのもおかしな話なのだけど)、それ自体をロールプレイして、現実との境界をぼやかした後に、廃棄することで現実へ影響させるという流れ。
これは普通に効果あると思うんですよ。そもそも、そんなことするのって絶対気持ちいいですもん。

なんせ女性は月経の血で自画像を描きましょうとか、睾丸を掴まれたまま九九を叫んで金粉塗って街を徘徊とかとか、こんなおもろいことないでしょ普通に。(笑)
俺の話を聞け!って言いながらムカつく人の写真貼ったカボチャをハンマーでかち割る。
絶対楽しい。でも一人では到底できないことですよね。

その効果の幅はそりゃ人によるだろうし、アトラクション的に通過する人も沢山いるだろうけど、モロに人生が変わる人だって確実にいる。
自分は多分ガチガチに効く人で、『エンドレス・ポエトリー』を観て人生がモロに変わった感覚があるんです。観なかった世界線を知らないからどう変わったかは分からないですけど。

この映画に撮られてんのはみんなこのセラピーが効いた人で、そもそもこのセラピーに来る人は大体程度の差はあれ効く人だろうし、効かない人ももちろん世の中にはいっぱいいるでしょう。

ソーシャルサイコマジック、癌に対してエネルギーを送信しようと言って、会場全員で手を伸ばしてエネルギーを送る。それも安易になんじゃそれ!と言えぬモノがあります。
彼女があそこまで生きれたのはきっと、直接的な因果的には医学の賜物でしょう。でも間接的に、心に救いを与えたのはあの体験だった訳で。それなしに人は生きられないのです。心を癒やさねば仕方ないのです。科学か、非科学か、そのいずれかではない。

これを胡散臭いと言われたらそりゃ胡散臭いんですけど、科学に対して然程のもんかと。そもそも、対比されるフロイトは、精神分析は、科学として熟してる学問と言えんの?って話もありますよね。

これは宗教ではありますが、「科学的に何の根拠もない胡散臭い民間療法」とか神託とかオカルトとかとは全くわけが違う話です。

そもそも国家も貨幣も民族も事実ではない。物語の一つでそれを信仰する宗教に違いありません。そもそも宗教とは何も、オカルト、スピリチュアルを必然とする「嘘や妄想」を言う言葉ではないのです。
そして宗教が現実的にマイナスなイメージを持つのは、大半の宗教がどうしても、信者を食い物にするロクでもないシステムやら、テロルやら、無関係の人を不幸にする嘘やら、利権やらetcを持つことにあるのではないでしょうか。
もし「信ずる者に救いを与えるだけ」の宗教があれば、それって理想ではないでしょうか。まあ、「救い」なるものも各々の宗教に左右される現実には、そんなものは存在しようがないでしょうが。
で、この彼の言うサイコマジックは、世の宗教に対し、相対的にかなりその理想に近い宗教なんじゃないか、と思います。

もちろんこれは芸術というある種の、科学にはない「無責任さ」故にできることでしょう。医学を語る精神分析にこんなことはできない。
けれどそんな「無責任さ」をせっかく持てている芸術の、ローリスクハイリターンのセラピーを否定することの方が勿体無いではないか、と思います。

しかし、はっきり言ってこの映画も素晴らしいですが、ホドロフスキーが芸術そのものを我々に提示してくれる他作品群こそが圧倒的におもすれーのは事実です。あっちは我々へのセラピーなんだから当たり前ですけどね。

(コードー)

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