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『サンタ・サングレ/聖なる血』

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概要

美しい躁鬱的な祝祭。ホドロフスキーの映画としては分かりやすいストーリーテリングがあり、しかしその芸術性に全く妥協なし。特に男女がないまぜに、しかし明確に区別され機能して、ホドロフスキー自身の抑圧的な親子体験に依る顕著な芸術的テーマを発揮している。

雑感

この映画は、とにかく美しい。自分が知る中でもトップクラスに美しい映画。美しさのバランス感覚が最高で、それがまた美しいのです。例えば、セルゲイ・パラジャノフの『ざくろの色』とかは、美しいものの自分にはちょっと傾倒しすぎで…

プロデューサーは、『サスペリア』のダリオ・アルジェントの弟であるクラウディオ・アルジェント。
彼にたくさんの女を殺す男のホラー映画を撮れと言われてこれを撮ったらしく。ホラーでもなんでもないですけど…
ただ、ある女性が殺されるシーンはサスペリアっぽい部分があっておもしろかったです。


彼の映画にしては大変分かりやすく話が進行し、他の彼の作品群に比べて随分と繊細で美しく、象徴の描き方はより幻想的、寓話的、直情的に。

彼の描く物理的過剰な抑圧という家族像は、彼の過去に根ざすものであるのは、『エル・トポ』の記事でも言及したとおり、何度も提示されたエディプス・コンプレックスというやつが蠢いています。

そういった過去の真の自己救済が、『リアリティのダンス』であり、また『エンドレス・ポエトリー』であり、或いは彼の作品の全てであります。

そしてこのサンタサングレにはその一端を強く分かりやすく感じることができるでしょう。
男女親子宗教文明の、征服抑圧。ファシスト的な入れ墨、同じ派手な格好を父に押し付けられ、そしてサーカス。かなり『リアリティのダンス』で描かれた彼自身の現実的な幼少期に重なります。


この映画で母と息子が一体化するのは、また違う同一化です。
エル・トポでも女の言いなりになっていたトポ、文字通り母の手となり、言いなりになる主人公フェニックス。男女が混ざる中で男らしさ、女らしさを明確に手のパントマイムで表すのが、この映画の同一化としてとてつもなく美しい。
混交と分離は、この映画の神秘を支える非常に幻惑的なイメージです。特に男女にその焦点があたっていて、腕の欠損、性器の欠損、或いは性器の過剰。優劣とかではなくて各々が全て恐ろしく美しい。
母性父性女性男性を明確に分けながら、その垣根をぼやかす様に配置される女性的男性の魅力がまた素晴らしい!!

そして純粋のアルマのなんと美しいことか。そんなかわいいこともないこの子は何故こんなに美しいんだ。この浮遊感!
彼は教会のシーンで盲人を神秘的だと言って起用しましたが、聾唖の彼女の神秘性はマジで抜群です。いいと思うんですよね、それで。人が持つ素晴らしい個性を、ただその個性のみによって使う。普通に、向き合ってると思います。

この「アルマ(魂)が救いに来てくれる」という捉え方がもう、自分にはぶっ刺さってぶっ刺さって美しくて仕方ありません…考えを詳しく書くとキモい怪文生まれるので書きませんけど…

ラストシークエンスの美しさには口ポカーンですよ。ホドロフスキーが選んだ両親との決着の答えとしても、ファンとしては大事な見どころです。
アルマが消えないことの喜び。そして「手を上げろ」。曲も相まってその美しさったらありません。


また彼の旧三部作の映画は、全て音声解説がついていて、それがまた素晴らしくて。4〜6歳から自慰行為をしていたとか!デニス・ホッパーの『ラストムービー』の編集を手伝っていたんだとか!マジかって話でいっぱいです。

その中で、なぜこのシーンを撮ったんですか?という質問がたくさん寄せられて、「やりたかったからやった。」とホドロフスキーはよく言うんですね。
なぜ?と問われて、美しいから、好きだから、最高だから。残酷に殺すシーンで誰も死んでない、笑えるシーンだ。と言う彼、たまりません。頭も心もタマを持っている。タマで選んでるんだよ。と。
この言葉は結構背中を押されますね。何か「映画は理解しないといけない」と思ってしまいがちだった頃、胸に刺さり気楽に楽しめるようになりました。
何だかエモーショナルに僕達に語りかけてくれるホドロフスキー。ええもう、好きです。愛してます。

(コードー)


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