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映画『マリの話』高野監督インタビュー:常識に囚われない映画づくり

―『マリの話』の製作経緯を教えてください。

『マリの話』は4章構成の映画になっているんですが、実は第4章を最初に撮りました。2021年に文化庁の新進芸術家海外研修制度というのを利用して、フランスのパリに1年間滞在しながら映画の研修をしていました。その時に短編を3つ作ったんです。『マリの話』の第4章としている短編は今までにない手応えがあったのですが、他の2本はあまりうまくいきませんでした。当初はその3本で1本の映画にしようと構想していたため、どうしようかと悩み、日本に帰国してから新たに追加撮影をして『マリの話』を完成させました。


―第4章「マリの映画」は、パリで撮ったものをそのまま使っているんですか?

元々は15分くらいの短編だったんですが、5分くらい落として、今の 10分くらいのものになっています。


―第4章の脚本はどのようにできましたか?

今回は共同脚本で丸山昇平さんに入ってもらっていて、第4章は丸山さんが書いたパートなんです。丸山さんから受け取ったテキストは全然想定していないもので、「これ、どうやって撮るんだろう……」とすごく戸惑いましたが、同時に「すごく面白くなるんじゃないかな」という気も撮影前にしていました。丸山さんに執筆を依頼した時に、僕が好きな映画を何本か見てもらいました。リチャード・リンクレイターの『ビフォア・サンセット』(2004)、 ジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』(1973)、ホン・サンスの『正しい日 間違えた日』(2015)。この3本を見てもらって、既にキャスティングが決まっていたデルフィーヌ・ラニエルさんとパスカル・ヴォリマーチさんが登場する脚本を書けませんか?という具合にオーダーしました。それで出てきたのが第4章でした。


―文化庁の新進芸術家海外研修制度では、どうしてフランスを選ばれたのですか?

2017年に『二十代の夏』(2016)が、フランスのベルフォール国際映画祭でグランプリと観客賞をいただきました。その時に、ドキュメンタリーを作っている会社の人たちと出会って、「パリに来ることがあれば協力するよ」と言ってくださいました。そういう縁があってフランスにしました。


―フランスではドキュメンタリー映画を撮るつもりだったんですか?

そうなんです。元々ドキュメンタリーを撮ろうと思ってフランスに行ったんです。ただ、いろんな事情で実現しませんでした。それが、フィフィクションの短編を撮るきっかけになりました。


―フランスで撮って、『マリの話』では使わなかった残り2本はどんな作品だったんですか?

大枠で説明すると、『マリの話』の第4章でピエール役を演じたパスカル・ヴォリマーチさんが、映画監督の役なんです。監督が3人の女優をキャスティングしたけれど、どういう映画を撮っていいかわからないっていう設定で、1人ずつその女優さんに会いに行って話を聞く、というような映画でした。3人のうち1人が、アンヌ役を演じたデルフィーヌ・ラニエルさん。このデルフィーヌさんが出演した短編が本作の第4章になっています。もう1人がマリ役を演じた成田結美さん。『マリの話』でカットしてしまった短編には、エリフ・ドゥミルさんとロ・ルクレールさんに出演していただきました。実は、成田さんが出演した短編は『マリの話』の劇中でも使っていて、第2章「女優を辞める日」のスクリーンに映っていたり、第3章「猫のダンス」のテレビに映っています。それぞれパスカルさんが出演しているんですが、パスカルさんは東京に3年くらい住んでいたことがあって、日本語が堪能な方です。


―その中でどうしてパスカルさんを選んだんですか?

共通の知人がいて、その知人がすごく推してくれたっていうのもあったのと、パスカルさんってすごいイケメンじゃないですか。ビジュアル的にこのイケメンの人を撮りたいなと思いました。


―パリの研修で学ばれたことや、よかった思い出などあればお聞きしたいです。

これはよく聞かれるんです。「パリに行ってなにが変わったの?」と聞かれるんですけど、「フランス語が上達しました」とか「こういう資格取りました」とか、なにか目に見えて変わったこととかは正直ないです。これから自分の映画を撮り続けることで、きっとその時の経験が生きてくるんじゃないかなっていう気はしています。しかし1つ明確にあるのは、今後も一緒に映画を作りたいなっていう人たちと出会えたことが、フランスに行って得られた財産だなと思います。特に『マリの話』で撮影監督をやってくれたオロール・トゥーロンさんです。女性のカメラマンなんですけど、オロールさんと出会えたのは本当に貴重なことでした。


―オロールさんとの出会いのきっかけを教えてください。

オロールさんは、知人の紹介で撮影に参加してもらいました。彼女はフランスの国立映画学校のラ・フェミス出身だけあって技術もものすごいありますし、人柄も本当に良い方です。何より本当にオロールさんとは感覚が合うというか。仮に日本のカメラマンと一緒に仕事をしたとしても、「こういうふうに撮りたい」と言葉にして伝えるのって難しいなって僕は常々思っています。でも、オロールさんとは、あれこれ細かく言わなくても、僕が思うような“それ”っていう絵を撮ってくれました。年齢は同年代なんですけど、性別、国籍も違うのに、こんなに分かり合える人がいるのは、ありがたいというか貴重なことです。


―『マリの話』では、マリが第1章から第4章まで登場します。脚本を書く中でマリはどういった人物を想定していましたか?

観客の方に判断してもらいたいなっていうのが正直なところですが、でも脚本を書いた時点のアイデアとしては、マリはある人の夢の中に出てきた“理想の女性”で、そういう実態のない人が現実で実態を持ち始めて、意志を持って最終的に自分の映画を作る。っていう話は面白いんじゃないかな、というのが着想のきっかけでした。


―その着想に至るまでに、参考にされた作品とか経験とかってあったんですか?

ホン・サンスの映画諸作を参考に見ましたね。例えば、『あなた自身とあなたのこと』(2016年)は、失踪した女性とそっくりな女性が主人公たちの前に突如現れて、映画自体がどんどんと混乱してゆく話です。問題となっている女性は失踪した本人なのか、ただ似ているだけの別人なのか、あるいは……。ホン・サンスの映画はどれも整合性のつかない世界を扱っており、問いを投げ出したままで終わってしまいます。映画を観終わった観客は「今見たものはいったい何だったのだろう...」と戸惑い、「こういうことだったのかな」とあれこれ想像せざるを得ないのですが、そういう風に観客に自由に想像して楽しんでもらえる映画をつくりたいなという思いが『マリの話』着想の根本にあった気がします。


―ピエール瀧さんが演じた杉田監督と高野監督は二人とも職業が監督です。なにか関わりはありますか?

僕は商業映画を撮ったことがないので、いわゆる職業的な映画監督というわけではないですが、脚本を書くときに自分の経験を参考にしたところも大なり小なりあります。ただ、自分の分身ということではないです。印象的に覚えているのは、杉田監督のフィルモグラフィーをピエール瀧さんが考えてきてくださったんです。90年代はVシネマのようなものを撮っていて仕事があったけれど、だんだん撮れなくなって今に至る、みたいな。劇中には映らないバックグラウンドを考えてきてくださって、それを基にして演じていただきました。リハーサルだったり撮影をしていく中で、僕が当初考えていたキャラクターから発展していって、ピエールさんが杉田というキャラクターを作ってくださったなと印象深く覚えています。


―マリは第1章から第4章すべてに登場します。一方で、杉田は第1章のみの登場です。でも、杉田がいない第2章以降もマリから杉田の存在を感じました。

ありがとうございます。そういう風になるといいなと考えてました。杉田は第1章しか出てこないけれども、映画を通して“不在”として存在感がある登場人物にしたいという構想がありました。それで、ピエールさんだったらそれを実現してくれるんじゃないかなという期待がありました。


―第2章の『女優を辞める日』についてお聞きしたいです。

観客の方にいろんな見方をしていただけたら、ありがたいなと思っています。例えば、第2章の最後でマリが突然、泣き出しますよね。「なんでこの人、泣いてるんだろう」というのが腑に落ちなくても、引っかかり続けてくれたらいいなと思っています。関西で映画宣伝をされている松村厚さんに、劇中映画で録音がうまくいっていなかったことや、アフレコなのに画面と声のリップシンクがズレていることが、監督とマリの関係性を表していて素晴らしいとご感想をいただきました。全然、そんなことを意図していなかったのでうれしいご感想でした。


―高野監督はどうして監督になられたのですか?

高校3年の時にクラスメイトと自主映画を作ったのがきっかけでした。それが本当に面白かったんです。高校の文化祭で上映したんですけれども、その時の舞台挨拶で号泣しちゃったんですよね。映画作りや映画を上映する時間が終わるのが本当に寂しいなと思って泣いてしまったんだと思います。


―文化祭で上映した作品はどんな内容だったんですか?

高校の校内で撮影したラブコメ、学園ものみたいな内容でした。僕は監督と脚本をやりました。男子だけじゃなくて、女子も参加してくれていて、日々、ぶつかり合っていた記憶があります。例えば、女子は女子でやりたい物語があって、「高野が書いた脚本はまったく面白くない」と言われたりしました。お互いになかなか譲れないでいると、六本木さんという頭脳明晰な女の子が、高野案・女子案の良いところをミックスして、1つの脚本にしてくれたのを思い出しました。


―濱口竜介監督と一緒にやられてるんですか?

濱口監督がインディペンデントで映画を撮るときにスタッフで参加しています。濱口さんが『THE DEPTHS』(2010)を監督していた際に、美術助手で参加したのが最初でした。『不気味なものの肌に触れる』(2013)の撮影にも誘っていただいたのですが、その時、別の仕事をしていて参加できず、完成した映画を見てとても悔しい思いをしました。今度は関西で映画を撮るというのを聞いて、「参加させてください!」と3度お願いして、3度目で受け入れてもらったのをよく覚えています。それが、『ハッピーアワー』(2015)という映画になりました。


―『マリの話』では、日本語を含めた韓国語、フランス語、猫の言葉により会話が作られている印象でした。

韓国語自体は使用していませんが、日本語、フランス語、猫の言葉の会話が登場しますね。フランス語に関しては、デルフィーヌさんの美しいフランス語を映画に記録できたら本当に素晴らしいことだなと思っていました。実際、紆余曲折のあった長い長い制作期間でしたが、デルフィーヌさんの登場する第4章を自分がスクリーンで見てみたい!ということが大きなモチベーションになって、映画を完成させることができました。猫の言葉に関しては、フランスで撮ろうとしていたドキュメンタリー映画が着想としてありました。フランスである音楽家カップルを撮影していたのですが、彼らがある時、言葉を使わないコミュニケーションをしているのに気がついたんです。目の前で起きていることに驚愕するとともに、ものすごく心を掴まれました。『マリの話』のリハーサルで、出演者の成田結美さんと松田弘子さんに撮影した映像を見てもらい、言葉によらないコミュニケーションで登場人物の2人の関係性を描いてみたいんです、とお伝えしました。


―第3章の「猫のダンス」では,松田弘子さんが演じたフミコのセリフがとてもよかったと思いました。セリフからは優しさと温かさを感じました。高野監督がそういう言葉を掛けられたりした体験や、実際に言われた言葉がセリフになっていたりしますか?

脚本書いてる時はまったく想定はしていなかったんですが、撮影現場に行ってみて、松田さんに衣装を着てもらったら、自分の母親のように見えたことは強烈に覚えています。うちの母も一人暮らしで猫を飼っていて、猫の世話をするのが生活の基盤になってるというか、最優先事項の人なんです。自分の母親について撮ろうと思っていたわけではないですが、撮っていくうちに「もしかしてこれ、自分の母親に近いかもしれないな」という気がしました。というのも、高齢者の一人暮らしで、孤独を抱えて生活しているという点がピッタリと一致しています。うちの母にもマリとの出会いのような、特別なことが起きればよいのですが……。


―第3章「猫のダンス」では、昔ながらの家屋の縁側でマリとフミコが話をしますが、この2人のシーンで、部屋から外の風景を映す絵が小津安二郎の作品で出てくるような構図に見えました。映像を撮る際に参考にはされましたか?

もちろん小津だったり成瀬巳喜男の映画は学生時代から見ていますが、今回の撮影に関してはオロールさんに全部お任せしようと思っていました。ここで(民家の縁側)でどうやって撮るかなって楽しみにしていたら、オロールさんがああいうポジションに置いたので、これは小津安二郎っぽいなとニヤニヤしちゃいました。登場人物の2人がずっと寝転んだり、座っていることもあるとは思いますが、優秀な撮影者というのは、日本家屋でああいう所にカメラ置くのかもしれないなと発見した出来事でした。


―家屋の庭のマリの絵がビジュアルポスターになっていますね。

宣伝美術の中野香さんがチョイスしてくださったんです。案をいただいた時に率直に美しいなと思いました。しかし、ピエールさんが映っていないし「これ、お客さん来るかな?」という不安も同時にありました。でも、どういう観客に、どういう風にこの映画を楽しんでもらいたいかと突き詰めて考えた時に、中野さん案が最良だと思いました。実際、『マリの話』を上映してくださった長野県の上田映劇さんは、ポスターに惹かれて声をかけてくださったとお聞きしました。


―『マリの話』では“映画作りの常識に囚われない方法”で撮られたそうですが、その方法についてお聞きしたいです。

フランスで撮り始めた映画ですが、参加してもらうスタッフ・出演者の方に「変化してゆく映画なんです」ということを最初にお伝えし、変化してゆくことを楽しんでもらえそうな方に参加をお願いしました。例えば、フランスで3本の短編を撮りましたが、うまくいかなかったら、もう一度、日本でやり直してみる。アクシデントがあって、計画していたことができなくなってもチャンスと捉えて、もっと面白いことができないか、みんなで話してアイデアを考えてみる。とりあえずやってみて、そのフィードバックから映画を発展させてゆくということを繰り返しやり続けた結果、『マリの話』が完成しました。参加してくれた皆さんの理解があって、とても贅沢な映画づくりができました。


―急遽の変更のなかで、皆さんからは抵抗とか反対意見とかなかったですか?

実際に制作を離れていった方もいますし、「それはやめておいた方がいいんじゃない」と率直に意見をくださった方もいました。例えば、録音で参加してくださった松野泉さんや、日仏通訳で参加してくださった井上麻由美さんに「急遽、脚本を変更しようと思ってるんですけれど……」と意見を聞いてみたことがあります。率直に「よくない!」と言ってもらえて、僕も共同脚本の丸山さんも命拾いしたなあとよく覚えています。


―最後に、学生に向けてメッセージをお願いします。

僕は「問い」のようなものに出会った時に、映画を作っている気がします。濱口監督の『偶然と想像』(2021)に助監督で参加した際に、その企画書に「人と違う映画を作りたかったら、人と違う方法で映画を作らないといけない」と書かれていました。何となくわかる気がするけれど、腑に落ちなくて、「どういうことですか?」と質問してみました。しかし、濱口監督の話を聞いても腑に落ちないままで、自分でやってみないとわからないと思い、実践してみたのが『マリの話』の制作でした。その結果、人と違う映画になりすぎて、多くの人を困惑させているようです……。映画制作を勉強されている学生の皆さんは学校で基礎を学ばれたり、これからプロの現場に出て実践的に技術を習得されてゆくと思います。僕自身、いくつかのテレビドラマの現場で助監督をやってみて、ものすごく勉強になりました。先人たちが作り上げてきた基礎や技術は効率的に、そして安定して映画のクオリティを担保してくれると思います。ですが、そういった常識を疑ってみた先に、ご自身にとって、もっとフィットする方法があるかもしれません。僕が濱口監督の企画書で出会った問いのような、皆さんの創作活動を突き動かすような問いに出会えることを願っています。




(感想)

高野監督は、インタビューでも話していましたが、これまで濱口竜介監督作品にいくつか携わっているそうです。映画好きなら“濱口竜介"の名前は誰でも知っている名前ではないでしょうか。その濱口監督の下で助監督をやっていた高野監督が、いかに自身の作品を作るのか注目だと思います。でも、濱口監督と高野監督を比較するのは違うのではないでしょうか。今回のインタビューでは「常識には囚われないような作品作り」と話されていました。常識があるから応用ができる、そこに高野監督独自の作品が見えるような気がします。

本作は杉田監督の夢の中の存在だったマリが、最終的には現実で映画監督になります。設定はファンタジーのような内容に聞こえますが、実際、本作で撮影を担当したオロールさんの映像の美しさが、よりファンタジー感を強調しているように感じました。

映画では時間軸が大切な要素です。もし、物語内での時間経過がわかりづらければ、見ている人は混乱してしまいます。たしかに、『マリの話』ではマリの成長過程が描かれているので、そこには時間が存在しているのが伝わりました。一方で、“夢”と“現実”の境目に曖昧さを感じるところがあります。見ていて「ん?これは夢かな?」って具合です。“夢”と“現実”に曖昧さを含んだ作品といえば、今敏監督の『パーフェクトブルー』(1998)や、黒澤清監督の『CURE キュア』(1997)が思い浮かびます。この2作に共通することは、“おそろしい夢”が“現実”を侵食し、“現実”に恐怖をもたらすことです。見ている側も、“夢”と“現実”の曖昧さに不安を感じます。でも、『マリの話』には不安を感じませんでした。この不安を感じないところに常識に囚われない要素があるような気がします。

(予告編)


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