構造≪いま≫を暴くこと、映画『アンテベラム』とインターセクショナリティ(ネタバレあり)
※このnoteは映画『アンテベラム』のネタバレを含みます。
全てがでっちあげさ、目を見開いて注意しておけ
(ドラマ『アトランタ』(2016年~)より)
映画『アンテベラム』はわかりやすく作られている。それは決して撮影や脚本がチープということではない。作品自体の持つクリティーク(批評)性の実行の話である。映画に詳しい人であれば、”『ゲットアウト』『アス/Us』のプロデューサー”という前情報を見た段階で既に今作が人種差別を主題とした映画であることは想像に易い。そうでなくとも、予告編からそういったテーマ性を察知する人は多いだろう。
実際、それはなんの思い過ごしでもない。今作は根深いアメリカの人種差別を軸に展開されるスリラーであり、南北戦争時代のプランテーション産業における奴隷制から現代にもべっとりと貼り付くその時々の人種差別的事象まで、それらが劇中に息つく間もなく徹底的に散りばめられている。
しかし、話はそう”単純”ではない。
黒人として、女性として生きる
「インターセクショナリティ」という言葉をご存知だろうか。
インターセクショナリティ(英: Intersectionality)とは、個人のアイデンティティが複数組み合わさることによって起こる特有の差別や抑圧を理解するための枠組みである。(中略)扱われるアイデンティティの代表的なものに、ジェンダー、セックス(身体的特徴による性別)、人種、社会階層や経済的階層、セクシャリティ、特定の能力や障害の有無、身体的特徴などがある。(Wikipediaより)
主人公のヴェロニカ(ジャネール・モネイ)は社会学者かつ人気作家でもあり、TVショーの出演やアメリカ各地での講演会なども行っている活動的な人物。中盤、そんな彼女の講演会の様子が映され、そこで何度か出てくる言葉が「インターセクショナリティ」だ。(字幕鑑賞)
そして、彼女自身の口から繰り返し発せられる「インターセクショナリティ」こそ、この映画が意識的に提示する概念と言える(※1)。
プランテーションの場面では黒人が無惨に殺害される(自死する)残酷な描写が何度か登場する。冒頭で撃ち殺される教授の妻、腹を蹴られ流産したのち自死したジュリア、その他繰り返し行われる暴力的行為(さまざまな意味を含む)の被害者のほとんどがこの映画のなかでは黒人”女性”である。
それに比べて黒人”男性”の場面は教授を除いてめっきり少ない。
もちろんこれは「黒人男性の方が気楽だ」というお話ではない。教授は目の前で最愛の人を殺害され、最後には自分も殺されてしまう。しかし、少し距離を置いて彼の死を見てみると、あれはエデン(あえてこう呼称する)を逃がすための、いわゆる一般的な映画における自己犠牲的な「英雄の死」として描かれていることがわかる。一方で黒人女性たちの描写に目を向けると、彼女たちは南軍の兵士たちに給仕し性欲処理を強制させられる様子まで、明確な意図をもってとことん屈辱的に描かれている。
つまり、この作品は黒人差別を剥き出しの怒りによってストレートに批判しつつ、さらにはその中にある非対称性、性差の存在を示したフェミニズム映画であるとも言うことができる。「ルーツ(人種)」を理由に行使される暴力が発生する時、「ルーツ」のみがその引き金であると外部が独断することはその中でもつれるその他の環境要因を矮小化・不可視化する可能性が高い。
「黒人」として声を上げる時、その声は「性差別」によってかき消され、
「女性」として声を上げる時、その声は「人種差別」によってかき消される。
「個人」である前に「黒人」であり「女性」であるとみなされる世界でヴェロニカが執着する「名前の奪還」は、「黒人」/「女性」が一つの身体へと取り戻されることを意味する。そして、それはインターセクショナリティの”複雑さ”を一手に引き受ける希望的な行為として一際輝いて見えるのだ。
現在、日本では婚姻後に姓を変更する96%が「女性」である。ヴェロニカが個人の尊厳として名前を奪還する姿を目撃したわたしがこの記事を書き始める2日前、日本では政権与党である自民党が公約から「選択的夫婦別姓制度の検討」を削除している。
(※1)黒人差別を主題とした映画と言えば、NASAの初期宇宙開発計画を影で支えた3人の黒人女性数学者を描いた『ドリーム』(2016年)や、ブラック・シネマにおいて同性愛を真正面から描くことで衝撃を与えた『ムーンライト』(2016年)も記憶に新しいが、これらが描くのも「インターセクショナリティ」であった。
ジャネール・モネイとクィア性
本作の主役ヴェロニカを務めるのは俳優でありプロデューサー、歌手などとしても知られるジャネール・モネイ(以下 モネイ)である。
モネイは今作がアメリカで公開される10日前、2020年9月8日に『Turntables』というシングル楽曲を発表した。この楽曲は大きな話題を呼んだ2020年アメリカ大統領選挙における、有権者抑圧の問題を考察するドキュメンタリー『All In : The Fight For Democracy(すべてをかけて : 民主主義を守る戦い)』のために制作されたもので、選挙権をめぐる人種差別を訴えるリリックとその歴史を辿る生命的で力強いMVが印象的だ。
そんなモネイはもう一つ、活動家としてもその名前を知られている。
アメリカ中西部カンザスの小さな町、ヘテロセクシャル(異性愛者)以外はすべて罪でありもしそうならば地獄へ行くと聞かされて育ったモネイ(インタビューより)は、自身の紡ぐリリック/ライブ/インタビュー/Twitterなどにおいて繰り返し女性/人種的マイノリティ/LGBTQコミュニティーを支持する立場を明確に示し、エンパワーメントを行っている。
(↑ジャネール・モネイによる投稿。「弾劾を求めて、あいつ(ドナルド・トランプ前米大統領)を選挙で落とす。それがツイート(の趣旨)だ#RacistPresident」)
こういった姿は劇中のヴェロニカとも強く親和する。レイシストや権力者男性に対し臆することなく毅然とした態度で中指を立てるモネイ(ヴェロニカ)のアクションは、くそったれな世界と可能な限り対峙し続けることの意義や信念を支え、多くの人間を(広義で)救うものであるに違いない。
さらに、モネイはクィア(※2)である。モネイは2018年、サードアルバムである『Dirty Computer』をリリース直後のインタビューにおいて、自身がパンセクシャル(全体愛)であることをカミングアウトしている。『アンテベラム』においてクィアの存在は明示されない(もちろん存在しているはずである)。しかし、女性であり、アフリカ系アメリカ人であり、セクシャルマイノリティでもある人間がこのような役を意識的に演じる(仕事として受ける)こと。これは、決して一枚岩ではない差別・抑圧の構造、つまり「差別は交差する」ことを文化の力によって浮き彫りにし、”複雑さ”を”複雑さ”のまま社会に投影する行為である。
モネイの出演作一覧には『ドリーム』(2016年)や『ムーンライト』(2016年)などが並ぶ。ここまでに挙げたようななんらかの被差別的文脈に生きる人々(わたし含め)にとってどうしても負託してしまうような力強さが、画面越しの”彼女”からは伝わってくるのである。
(※2)クィアとは、LGBTをはじめとするセクシャルマイノリティの包括的な呼称であり、規範的な枠からはみ出し不可視化されてきた”they(人間たち)”を繋ぎ止め連帯させるための言葉でもある。
構造《いま》を暴くこと、灯火。
今作において最も魅力的に広告されるのは、南北戦争時代に奴隷として生きる”エデン”と現代でアクティビストとして活躍する”ヴェロニカ”の人生とがどのように交差するのか、というストーリー構成であろう。
そして、その仕掛けは唐突な文明の利器の登場によってあっさりと暴かれる。
私たちが普段から何気なく使っているスマートフォン、生活に染み込んだ光と音の振動。それらが南北戦争時代のプランテーションに響く瞬間、観客はゾッとする。映されていた景色が歴史でもなんでもなく「過去は決して死なない 過ぎ去りもしない」ことが、言葉ではなく映画体験そのものを以て目の前に立ち現れるからだ。
私たちの暮らす「いま」とは違う文字通り時代遅れの「過去」、そう映り見ていた白人たちによる暴力と強奪が「いま」として暴かれ、私たちの「生活」と同時代性を帯びる。なにも変わっていない、なにも進んでいない、という絶望を、歴史を省みるために在るテーマパークの奥に隠された巨大なハリボテは主張する。解放されたはずの”奴隷”が現代に回帰する恐怖を以て、セーフティゾーンで眺めていた観客たちを突如引きずり下ろすのだ。
つまりこの映画が種明かす”構造”は、映画におけるミステリーであり、まったく同時に現代に残る差別構造であるとも言える。それは解決された過去のような姿を模し、私たちの歩く街中を歩く。個々の人々はそれを暴くことに能わず、しかし映画にはそれを数の力で暴くパワーがある。『アンテベラム』がわかりやすいのは、作品そのものが巨大な文化を使った「声明」としても機能しているからだ。ヴェロニカがあの施設から脱出することは自らが救われることでもあり、取り残された人たちの救出を達成することでもある。
『Turntables』(2020)においてジャネール・モネイはこう歌う。
I said, America, you's a lie
But the whole world 'bout to testify
I said the whole world 'bout to testify
アメリカは嘘をついている
だが世界は今や証言しようとしている
証言しようとしているのだ
この世に蔓延るあらゆる差別の断絶、そしてインターセクショナリティの顕在化を託す映画は増えつつある。これは文化エンターテイメント・社会間の不可分性を示す。Black Lives Matter。#MeToo。#StopFeminicides。沈黙する大陸には今、怒りや祈りが飛び交っている。檻の中に隠された”容姿”たち(hidden figures)が姿を見せる。そういった意味で、この作品は決して「先駆的」ではないのかもしれない。しかし、世界がまだ映画『アンテベラム』を必要とする”暴かれるべき構造”によって成り立っていることは、これに関わるすべての事象によって証明されている。鼓動を加速させる、暴力革命の機運。ヴェロニカの放つ火は、運動の象徴として、十字架の如く空へとまっすぐ燃え上がる。
執筆 : 映画チア部神戸本部(おく)
『アンテベラム』
<コピーライト>©2020 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.
<公開>11月5日(金)、全国ロードショー ※TOHOシネマズ シャンテのみ11/7(日)より
<脚本・監督>ジェラルド・ブッシュ&クリストファー・レンツ
<出演>ジャネール・モネイ、エリック・ラング、ジェナ・マローン、ジャック・ヒューストン、カーシー・クレモンズ、ガボレイ・シディベ
<SPEC>2020年/アメリカ/英語/106分/カラー/スコープ/5.1ch
<原題>ANTEBELLUM
<レーティング>G
<提供>木下グループ
<配給>キノフィルムズ
《出典》
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