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「愛がなんだ」鑑賞記録

私はNETFLIXユーザーである。かなりお世話になっている。だからNETFLIXからのお知らせメールみたいなものを受け取るよう設定している。大抵この手のメールは登録せず、配信されないようにするのだが、NETFLIXのお知らせメールだけは別である。一体どんな作品が入ってくるのか、常に把握しておきたいのだ。そして先日、NETFLIXから新着情報が届いた。新たに配信された映画のお知らせだ。ほう、どんな映画が入ったかな、と件名を見ると「愛がなんだ」の文字。つ、ついにきたか…

この映画を観たのは2年前、劇場まで行った。当時大学生の私は部活の先輩や後輩と観に行ったのだが、その面子が今思い出してもなんとも奇妙である。恋愛に疎い人間同士で、腹を割って話すというような間柄でもなく、改めてなぜこの面子で観に行ったのか、分からない。でも映画を鑑賞した後の飲み会は案外盛り上がった。バラバラの人間だったからこそ、見え方がそれぞれで面白い意見交流になった。

あれ以来この映画を観る機会がなかった。今日改めて観て思うのは、モヤモヤするなあ、ということ。多分2年前にもモヤモヤした。でもこれは決して映画に対するクレームとしてのモヤモヤではなくて、この映画が投げかけてくる普遍的な問題に対するモヤモヤだ。

一体何がこんなにモヤモヤするのか。自分でも上手く言語化できない部分はあるが、大方あまりにも思い当たるものがあるから、としか言いようがないだろう。私は仲原君になりたい山田さんなのだ。ではその理由について少し話していこうと思うが、ここからはネタバレも含むのでまだ観てない人はご注意ください。そして個人的な恋愛話にも発展しそうなので、他人の恋愛話に貴重な時間を割かれてたまるか、という方はこの辺でやめておくのが得策かもしれません。


山田さんはまもちゃんが好きだ、と思っているが、段々その好きが分からなくなっていく。良い感じになって付き合ってる(と山田さんも私も思った)ところまでは良かったけど、段々雲行きが怪しくなって、暗雲垂れ込める。山田さんはまもちゃんがとても好きなのに、まもちゃんはその好きには山田さんが思うようには応えてくれない。

この事態に対して、思うことがある。山田さんのような人が好きという感情を他者から受け入れてもらえない時、その感情自体がねじまがってしまうということ。これに関しては、自分のことも含めてそう言えるのだが、山田さんのように他者を気遣いすぎる人は、他者がたとえそうとは言ってなくても、自分が好意を持つことで相手に嫌悪を感じさせてしまうぐらいならば自分の好意を打ち消そうとしてしまうのではないだろうか。めっちゃくちゃその人のことが好きでも、好きだって思われることが快くないなら好きだって言わないし、見せない。自分の感情に蓋をするのだ。でもそんなことすると、自分がねじまがってしまう。私も長らく好きな人がいるが、その人に対する自分の感情を押し殺すあまり、なんだか色々とねじまがってしまったような気がしている。好きだけど好きじゃない。好きじゃないけど好き。

正直、恋人のいる人間を好きになることなんて映画でもドラマでもよくあるし、略奪みたいなことではなくとも、自然な流れでもしかしたらチャンスが巡ってくることもあるかもしれない。でも私は一切好意を見せなかった。だからチャンスなんてあるはずもなかった。誰のために、と言われれば好きな人の恋人のためだと言える。その人が不快に思わないように、そして2人の関係が上手くいくように、振舞った。でも自分は不器用で好意がバレているようでもあった。大したことではないけど、ちょっとしたことが起こるたびに、この人には恋人がいるしその恋人とこの人は幸福なんだということが頭をよぎってしんどくなった。世間的には多分本当に大したことではないのだけれど、恋愛潔癖の気がある自分にはとても大罪のような心地がしてたまらなかった、苦しかった。

自分はこの人がとても好きなのに、この人の好きは決して自分には流れ込まない。このことが悔しくてたまらなかったし、辛かった。だから自分は否定した。こんな人、好きじゃない、好きなはずがない。山田さんが最後にとった道だ。この道は全然楽じゃない、いばら道なのに。だから山田さんはまもちゃんの呪縛から逃れられなかった、最後まで。像の飼育員になった山田さんは言い張るだろう。「これは私のやりたかったことだから」ううん、違うよ、山田さん。それはまもちゃんがやりたかったことだよ。山田さんはまもちゃんのせいで、色々とねじまがってしまったんだよ。

自分の好きは否定しなくていいんだ、と自分が思えるようになったのはその人から距離を置いてからだ。私はあの人が好き、あの人は他の子が好き。それはやっぱり変わらないことではあるけれど、それでもいいか、と思えるようになった。

と、いつか言えるようになりたいものだ。まだ多分そうとは言い切れない。今は距離を置いておかないと好きでいることやめられない。もし、また今まで通りに会ってしまえるようになったなら、私はまた山田さんになってしまう。私も仲原君になりたい。仲原君の選択は私には正しく思える。私は私がいることで、あの人に対して、恋人ではないけどこういう関係性もあるのかもしれないって、思わせているのかもしれない。ありなわけねーだろ!恋人にならせろ!と、少しずつ思えるようになってきた。それで離れるならそれぐらいの人間なんだ、と割り切れるような気がする。でも未だに告白はしていない。できない。このまま関係が切れて、いつかこの話を笑いながら友達に話せるようになりたい。

この映画を観てモヤモヤするのはきっと私がまだ解決できてない問題そのものだからかもしれない。この映画を観る度に、きっとあの人のことを思い出すのだろう。でもこれだけは言える。私はお前のこと、まだ好きではあるけど前よりは好きじゃないもんね!甘えてんじゃねえ!



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