9.11米同時多発テロから20年、軍事力では何も解決しない

先日の9月11日、オンラインツアーの『9.11からの20年を振り返り考える、アメリカ ピーススタディツアー』に参加しました。

追悼式典が行われたグラウンドゼロからの生中継があり、現地時間午前8時46分、一機目がビルに衝突した時間に、黙祷を捧げました。
ツアーの中では、世界貿易センタービルが建てられた経緯、20年前のテロ当時から現在までのニューヨークの様子が語られました。

2001年の米同時多発テロでは日本人24人を含む2977人が犠牲になりました。
テロの現場にある追悼博物館には犠牲者の顔写真が壁一面に並べられ、一人一人にかけがえのない人生があり、愛する家族がいたということを訴えています。

その後アメリカは「対テロ戦争」としてアフガニスタン、イラクとの戦争に踏み切りました。そして、アメリカ兵だけで約7000人が亡くなりました。
それから20年経ち、2021年8月31日、アメリカはアフガニスタンから撤退をしますが、20年間に及ぶ戦争で犠牲になったアフガニスタン市民は約5万人に上ります。
その中にはアメリカ軍や政府軍による空爆の犠牲者もたくさん含まれます。
アメリカは、誤爆をして市民を犠牲にしても、原因究明も補償もせず、現地の反米感情に油を注ぎました。

報復攻撃は報復攻撃しか生みません。

暴力の連鎖はさらなる暴力を招き、その犠牲になるのは普通の市民、その多くが女性と子どもです。


NYテロで亡くなった多くのアメリカ人と同様に、アフガニスタンの犠牲者にも人生があり愛する家族がいました。

20年前、アメリカはタリバンとアルカイダを掃討する目的でアフガニスタンを攻撃。短期間でタリバン政権を崩壊させて新しい政権を樹立しました。
西欧流の民主主義の国を作ろうとしましたが、アメリカが支援した政府軍は腐敗と汚職まみれだったこともあり、アメリカの傀儡政権はまったく民衆の支持を得られませんでした。

そして今年の夏、アメリカ軍の撤退を待たずに崩壊してしまいました。1975年のベトナム戦争のサイゴン陥落と同じだなと思いました。

何のためのこの20年だったのか、虚しくなるばかりです。

20年前の同時多発テロの後、アフガニスタンを攻撃することについて、国際社会では賛成の声が大きかったのですが、反対もありました。
それは、世界の最貧国に世界で最も強大な国が軍事攻撃して、国土を破壊して何が得られるという声でした。

その反対意見が正しかったようです。
戦争に訴えるのではなく、国際犯罪として追求していたら、その後の歴史は変わっていたでしょう。

この20年間で、イラク、次いでシリアが内戦状態になりました。そして、そこからISという過激な組織まで生まれました。
テロの脅威は減るどころか増えるばかりです。

そもそもテロの背景にあるのは絶対的な貧困、教育水準の低さです。
アフガニスタン国民の識字率は低く、タリバン兵の多くも字が読めないようです。

映画「カンダハール」で有名なイランの映画監督 モフセン・マフマルバフはこう言及しました。

アフガニスタンは忘れられた国でした。権力がミサイルではなく書物を降らせていたら、無知や部族主義やテロははびこらなかった。足下に地雷ではなく小麦の種を埋めていたら、数百万人が死と難民への道をたどることはなかったでしょう。


この戦争に費やした費用は2兆ドル(220兆円)を超えます。
これだけの費用をすべて民生支援にまわしていれば、アフガニスタンがアルカイダの資金に頼る必要もなかったでしょう。

9.11から20年。そこから見えてくること。

それは平和にとって必要なのは人を殺す武器ではなく、人を生かす食料なのです。

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