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社会人10年で5回も転職した話#2 ~歩く”東京カレンダー”編③

東京カレンダーって、たまに読むと結構読むとハマっちゃうんでくよね。美味しそうなレストランが見られて、楽しいから。ちなみに東カレはマッチングアプリも経営しているらしいですね。そこで出会う男女はどちらも洗練されてそうだし、めちゃめちゃレベル高そう。どんな世界なのか、それはそれで気になるけれど、少なくとも私はお呼びでないかも(笑)

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今日はこのシリーズ最終回ですね。
いよいよ退職のフェーズに入ってくるのですが、今回は前回とはちょっとだけ違います。
その話に入る前に、かなり変わった人の話をさせてください。

その人は私より少し後に入ってきましたが、多分出戻りで、先輩方は顔見知りのようでした。明るく元気で一見良い感じの女性に見えるんですが、当時で1番の新人にの陰口を言ったり、ちょっと気に入らないことがあると、他の同僚の愚痴をべらべらと話したりする人でした。
その人の昼休みは人一倍のんびりで、トイレも同じくらい長いです。
決してお腹の調子が悪いわけではなく、スマホをいじってサボっていたんです。
その人は外面がよく、コミュ力は高かったので、最初は営業の人たちは気づかなかったくらい。
しかしこう言うのって、いつかバレるんです。

彼女の勤務態度が悪いことを聞きつけた当時の部長は、やんわりと彼女に注意をしました。
それも何回も。
それでも直らず、少し強めの口調で話をすると、その翌日には会社に来ませんでした。
体調不良と話をしていましたが、それが何日も続き、最終的には無断欠勤になりました。
部長をはじめ、私たちは諦めている反面、彼女がいないことで会社の士気が上がったので特に気にもしませんでした。
そんな日々が続いたある日、部長宛に無断欠勤している人の母親、と名乗る人から退職の申し出がありました。
理由はわかりませんが、多分体調不良が治らずみたいなことを言ったのだと思います。
そう、この人は母親に退職の電話をさせ、自分からその申し出をしなかったのです。
これが本当に病気なら、しょうがないんですけれど、その後半年後にしれっと食品を買いに来た時は流石に引きました。
どの面下げて…とはこのことかと思いました。

現代だと、退職代行サービスたるものがあるので、そこに頼むことはできますが、自身の親に頼むとは驚きです。
この一件があってから、退職することが他のメンバーにとってもハードルの高いものになりました。
部長が話を聞いてくれなかったり、退職日を伸ばしたりして、辞めさせることを、やめさせようとしたんですね。
そんな時期に私は退職をしなければならなかったのです。

わたしの退職理由は、本来やってみたいと思っていた職種にチャレンジできたから、と言う前向きなものです。
私は昔から、邦楽ロックが大好きです。
特にそのきっかけを作ってくれたアジカンはわたしの推しです。
アジカンは、当時色々あってしんどかったわたしを掬い上げてくれるような存在でした。
それは今もなお変わらず、彼らの音楽に救われたことは数知れずです。
そのなかで、私は一つの雑誌と出逢います。
それが、ロッキンオン・ジャパンというものです。
ロックインジャパン、ジャパンジャム、カウントダウンジャパンなど、今では音楽雑誌ならびにフェスの先駆者として君臨している会社が出す音楽雑誌。

私はそこの出版社が主催した、ライブレポートや、アーティストへの寄稿文を対象にしたコンテストに応募したことがあります。
結果は入選で、本社にも実際に呼ばれてフェスのレポート執筆をしてみないか言われたほどです。
(結局、天候悪化で中止でしたが。詳しくはまたどこかで書きます)
それがいわゆるポートフォリオとなり、ここの会社ではないですが、ライターとして仕事ができることになったのです。

とても前向きな理由ですが、それでも辞めるのにはかなりの時間を費やしました。
音楽にも、ライターにも疎そうな初老の部長を説得し、業務を調整、次の会社にもその経緯を説明して入社時期を整えました。
有給を全部使ってお休みをもらうのにも手こずったし(当時中良かった経理の方にも協力してもらった)、たくさんいる営業にどのタイミングで言うかも悩みました。
事務の子達は、私が音楽が好きなことを知っていたので、とても喜んでくれて、可愛い花束を最後にくれました。

この辞め方は、多分どこよりも前向きな理由で、周りが喜んでくれるような、まさに理想的な辞め方でした。
私が辞めても、食材を買いに行けば対応してくれましたし、中の良かった営業さんには辞めてからもレストランに連れて行ってもらったり(しかもわたしのために調理するための食材もチョイスしてくれた)、本場イタリアのバルサミコ酢ももらいました苦笑
バルサミコ酢は本場すぎて、ちょっと使い道が難しかったのですが、「なんで辞めてしまうのか」、「今後は誰に頼めばいいんだろ」「もっといてほしかった」と言われたことはすごく嬉しかったです。
ここで出会った同僚の結婚式にも参加したり、今でも付き合いがあったりすることから考えてもこの転職は当時の私の中では最高でした。

***
と、まあ前回に比べてかなり前向きな辞めたのであまり書くことがないのですが、ここで一つ思ったことを話させてください。

この会社もですが、退職するときに必ず心掛けていたことがあります。

それは、「立つ鳥跡を濁さず」を守る。
引き継ぐものはしっかり引き継ぎ、周りに悔恨を残さず辞める。
私は辞めることが断然多かったですが、もちろん退職する人を見送ったことをあります。
そこで一番困るのは「退職した人間にしか分からないこと」が出てきた時です。
全てを任せていたが故に、あの資料はどこにあるのか?この業務はどうしていたのか?どこまでこの人は担当していのか?が分からないとかなり困ります。
こう書くと至極当たり前のことなのですが、辞める側の人間は良くも悪くも未来を向いています。
もちろんお世話になった義理はあるでしょうが、その次に待っている未来の方が何倍も大事だし、意識がそこに向きます。

さらに、あまりいい思い出がないと「まあ辞めるからいっか」「どうせ私この時いないし」と言う気持ちも沸々湧いてくる時があります。
でも、周りの同僚やその先のお客さんは何一つ悪くないでしょうから、迷惑をかけるわけにはいきません。
私も嫌で嫌で仕方のない会社を辞めるまではそんなことを思っていましたが、迷惑をかけるのは違うなと思い直して、しっかり引き継ぎはしてから辞めました。

でもこれは逆の見方もあるんですよね。
辞めたにこの業務を任せすぎて管理できたなかったから分からない、自分は関与しなかったから知らない、という管理する側の問題もありますよね。
その人が独自で立ち上げたプロジェクトならまだしも、誰かに頼まれて「任せるよ」と言う便利な言葉で片付けられて、放置するのは任せるではなく、、「押し付けている」になりますから。
自身が上司などの管理する立場なら、どんなに自分から遠いものでも、興味がないものでも、最低限管理はしていてほしいものです。

さらに退職する仕方が今回の冒頭のお話のようにひどい場合は、その後に辞める人の首を絞めます。
たった1人の判断で、そのあとにも迷惑がかかる。
立つ鳥跡を濁しすぎです。
それは管理する部長の気持ちもあるので、全ての会社に通ずるものとは思いませんが、過去にそう言うことがあると、規則が厳しくなったり、時代に合わないような管理をしてくるところもありますよね。
退職をする、その時までしっかり対応した方が良さそうです。

と、今回の辞めた経緯とその時の気持ちをお話ししました。
次回からまた違う仕事に就くのですが、これもこれでなかなかハード…と言いますか、ちゃんと募集要項読めよって話なんですけど、また次回、聞いてください。

それではまた!

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