「コーヒーを飲める人は大人」と言われるが、大人じゃなくて「大人でいたい人」

中学生の時に初めて缶コーヒーを飲んだ。苦すぎて、自販機のそばの側溝にはいた。(その節は大変申し訳ございませんでした)
「こんなに苦い飲み物が飲めるなんて、大人はすごいな」。初めて飲んだ時、そう思ったものだ。

高校生になった時、親がコストコでコーヒーメーカーを買ってきた。試しにそれでコーヒーを飲んだ時、衝撃が走った。

「コーヒーってこんなに美味しいのか!」

中学生の時に飲んだ缶コーヒーには苦い思いでしかなく(2つの意味で)、なんとなくコーヒーが苦手なまま大人になりたくない、という今思えば子供みたいな理由で試しに飲んでみたのだが、全くの別ものに思えた。
初めて飲んだ自販機の缶コーヒーがよっぽどまずかったのか、コーヒーメーカーのものがよっぽど美味しかったのか、はたまた単純に僕の舌がコーヒーが飲めるくらいに成長を遂げたのかは分からないが、とにかく初めてのコーヒーメーカーのコーヒーは、めちゃくちゃ美味しかった。

それからというもの、僕にとってコーヒーは生活になくてはならないものになった。朝はパン派の僕は、高校に行く前の、朝食のパンとコーヒーは習慣になった。大学生になり一人暮らしを始めると、スーパーでインスタントコーヒーの粉を買い、お湯を沸かして飲むようになった。(コーヒーメーカーは実家にあるので一人暮らしの部屋ではポットでお湯を沸かしていた)

コーヒーを飲む時間は、心なしか穏やかな気分になれた。その瞬間だけは、時がゆっくり流れているような気さえするし、落ち着ける。
目を瞑って一口すすれば、まるで自分がフランスのマンションのベランダにでもいる気分だ(大嘘。実際は6帖の洋室でひとり寂しく飲んでるだけ)。

ところがそんな優雅な(気分になりたい)コーヒータイムは、社会人になり少し意味合いが変わった。

2021年の春から社会人になり、住む環境が変わった。というのは全く理由にならない。単純に飲む量が増えたのが、その理由は、まぎれもなく、仕事である。新社会人は、当然一番下っ端である。正直雑務は押し付けられるし、理不尽なことをいう上司もいる。「それ自分でやれば?すぐ終わるじゃん」と思うこともしばしば。のため、当然一番下っ端である。正直雑務は押し付けられるし、理不尽なことをいう上司もいる。「それ自分でやれば?すぐ終わるじゃん」と思うこともしばしば。

なんと、そんな時に役立つ魔法の飲み物がここに!ジャジャン!コーヒー~!
いくら心が荒んでいても、いくらストレスが溜まっていても、いくらムカムカしていても、これを一口飲めばあら不思議!だんだん心が落ち着いてくるんですね~。
さらに!心を無にすることもできちゃうんです!素晴らしいですね~。

秋頃から格段に飲む量が増えた。1つ上の先輩からは、「またコーヒー飲んでる(笑)」「もう中毒じゃん」。そう言われた。因みにその先輩も最近コーヒーの量が増えてきている。お互い大変だ。でも仕事は大変なのは当たり前。
僕は一番下。先輩はその僕の一つ上。雑務も押し付けられる。理不尽も味わう。ストレスも怒りも、だいたい同じところで感じる。「ここはこっちが大人になろう、落ち着こう」というマインドが不可欠。そりゃあ、コーヒーの量増えるわ。

公開のボタンをクリックする前に、頭からざっと読んでみた。途中からよくわからなくなってきていた。「フランスのマンションのベランダ」って、何だろう。行ったことないのに。あれ。なんか通販っぽい人が乱入してきてるな。あ、これ僕が書いたのか。

少し落ち着こう。コーヒーでも飲みながら。

#私のコーヒー時間

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?