夏と私に関する考察

あのくじに、当たりが入っていたか。私には分からなかった。
私の握りしめた500円硬貨がハズレくじに変換され、それら一連の行いは「お祭り・エンターテインメント」として大衆に消費された。

1年前の今日を覚えているか?私は高架下で丸まっていたのだ。風は容赦なく、初めて世界を恨んだ日だ。
今年は暑い。季節は一定に巡らないのかもしれない。今年が去年なら、あの日の私は丸まらずに済んだのだろうか。

不幸な人生だと感じたことはない。テレビジョンの自殺ニュースは、いつでも私を彩る。


夏を、考察しよう。


風は少しばかり私に優しくなっただろうか。
恋愛症候群の同級生らは元気だろうか。あぁ、彼ら(彼女ら)は血みどろの私をいつも笑っていたっけ。
面白い人生だ。だけど、少しばかり先をいそぎたくなったので。


夏に、考察されそう。


そうだ、高架下の住民に会いに行こう。奴らは夏を、知っている。りんご飴の不味さを言語化できる唯一の存在。
江戸riverの夕陽を酷く嫌っている。

夜になると、夏は終わるらしい。朝までの数時間、世界は冬を被る。
修道女の行列が私に拍手を送ってくれて、私はちょっと照れた笑みを浮かべる。
嫌いな奴は嫌いな光景だ、なんて思いながら。手近な女を犯した。


夏を、考察できそう。


全てわかったぞ。完全体は私以外だ。どこまでも私はデキソコナイで、全てが私を笑っていた。
私はいつでも見せ物だったんだ。

カラフルなテントで滑稽なダンスをする欠損児たちにも、私は見られていた。
性食眠では利かない欲求の、捌け口にされていた。

娯楽と遊戯の権化。汚物を舐めとるための口は、時々。とても饒舌だ。


夏に、考察されてしまいたい。

全ての始まりの瞬間。空中浮遊。
夏の始まりが、私の終わり。
夏の終わりにやり直そう。


夏を考察してくれ。

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