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僕のラムネが夏をしたがる。(シロクマ文芸部×ラムネの音)
ラムネの音が。ビー玉が落ちるラムネの音が確かに聞こえた。それは何かの渇望する憂いの音だと僕は思った。
満員電車だった。夏の夕刻がしっかりと定まっているような。
どこかで祭りでもあるのだろう。
前後を浴衣の女性で挟まれて身動きがとりにくい。
浴衣を着た女性から立ち上ってくる人と香水の生々しい匂い。それが艶めかしいってこと。
そうしたら、僕のラムネ瓶が夏をしたがってしまい、次第に前の女性の臀部に突き刺さった。
女性の臀部は突如、宇宙人から侵略された惑星の防衛システムみたいに、臀部の弾力で僕のラムネ瓶に抵抗する。
僕は終わったと、思った。真面目に生きてきた。
結びあげられた髪、覗くうなじに滲む、朝露のような静けさを湛えた汗。
満員電車のなか熱がって、扇ぐ悩ましい手の動き。
僕のラムネ瓶が夏をしたがって、とっくにビー玉だって、定位置に落ちている。
そのときには、カランと涼し気な音が聞こえた気がした。
何星人が女性の臀部を侵略しているか、もう彼女も理解しているだろう。
ただただ、不快であろうことは僕も理解している。
僕はせめてズボンのなかのラムネ瓶が向く方向を上にしようと思った。
怪しいかもしれないが、僕は自分のズボンに片手を突っ込んだ。
亜熱帯。
僕は亜熱帯の砂浜に打ち棄てられたラムネ瓶をまるで高度が下がり続ける飛行機の操縦桿のように握って、抵抗するそれを上向きにした。
少し痛いが、亜熱帯の寂し気な夜はどこか痛いものなのだ。
そのとき、僕の腕は誰かに掴まれて、引きあげられた。
なんだ?と思ったら、そこには厳しい表情をしたスーツ姿の男性が。
「この人痴漢です」
違う、が出なかった。
彼女はきっと僕の夏したがるラムネ瓶を不快に感じていると思って、操縦桿を握って上空、誰もいない澄んだところを目指したのに。
でも周りから見たら、その手が痴漢に思えたのだろう。
「あ、お前!」
と男が僕のラムネ瓶を見た。
「お前……さては、ボッ……」
そのとき、不快を感じていたであろう女性が振り向いた。
「あぁごめんなさい、この人私の夫なんです」
だから怒っていたのか。
自分の妻が痴漢にあっていると、そして自分のではなく、他人のラムネ瓶が夏に迫っているものだから、余計に憤りを感じているのだ。
「私、浴衣でお尻が擦れちゃって、夫に浴衣の位置をずらしてもらっていたんです」
女性は男に取り上げられた僕の腕を取り返し、大事そうに、スイカ畑の間に抱えた。夫?僕の事?
それよりも、スイカにラムネ、あぁ夏じゃないか。
僕は驚いた。どうして見ず知らずの女性が僕の夫と嘘をついてまで助けてくれるのか。
男は唖然としている。
「あなた、次の駅で一回降りましょう」
と女性が言ったので、僕は自動的にうなずいてしまった。
電車がゆるやかに止まる。
僕らが電車から降りたら、この電車はどこかへ消えてしまう、そんな気がした。それくらい僕は今物語のなかに迷い込んでいるような気がしていたし、キツネに化かされているような気もしていた。
僕らは電車を降りた。
駅のホームのベンチに座る。
「助けていただき、ありがとうございます」
「気にしないでください、わざとじゃないことは知っています」
「いえ、それでもありがとうございます、僕の人生が一つ終わるところでした」
「一つ?もっとあるんですか?あなたの人生は」
「今世はないですね、でもどんな形であれ僕は来世というか、信じているんです、うまれかわりを」
「素敵ですね」
彼女は入道雲向かって伸びていく僕のラムネ瓶を見た。
「元気ですね」
「夏ですから」
「夏ですもんね、わかります」
わかります?
もしかして貴方は、貴方の神社の鳥居の上にはまだ、厚い梅雨前線が重く垂れこんでいるのでは。
これまで人というのは僕から距離を置いているのかと思った。
どこでも人とは目が会うけれど、僕の存在は他者のまま。
異性というのは、それこそ宇宙人よりも交信できない、パラレルワールドを移す鏡の世界の住人。
だから触れることもできないし、誰も僕の存在を知ることはできない。
僕はずっと、一人でラムネ瓶を握り続ける人生なのか。
「しますか?」
「え、でも浴衣着てるじゃないですか、待ち合わせではないんですか?」
「そうですね、でも職場の人なので、大した関係でもないです、途中具合が悪くなったとあとで連絡すれば済むでしょう」
「でもどうして僕の相手を?」
女性が空を見上げた。
どこかで結い解けた数本の髪が風鈴のように揺れている。
「夏ですから」
「そうですか、夏……ですか」
僕のラムネ瓶も夏、したがっているようだった。
それが初めての夏になろうと。
「します」
僕のラムネ瓶のなかのビー玉がカランと転がった気がした。
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