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【#創作大賞2024 #恋愛小説部門】『制服にサングラスは咲かない』11章

「おいしい!」

アジサイが控えめにだけれどもきっぱりと叫んだ。

ゲンジさんは炊飯器で炊いてあった米でおにぎりを握ってくれた。
具のないシンプルな塩結び。
この米は近所のーーとは言っても車で10分以上はかかるところにいるーー米農家から貰ったものだと言っていた。

塩結びでも十分なのに、お湯を沸かして即席の味噌汁、それからゲンジさんの畑で取れたキュウリの塩漬け。

失礼だが一見質素に見えるそれらが生き生きとしていて、本当においしい。
ゲンジさんは腕を組んで優しい目でアジサイと僕を交互に見た。

「足りなかったらいえ、まだ飯はあるからよ、握ってやる」

「本当にすいません、こんなに親切にしていただいて」

アジサイは無垢な表情で次から次へと食べている。
僕も食は進んでいるけれど、やはり親切というのは落ち着かない。
長年の習慣から培われた警戒心がまだほどけない。

きっとゲンジさんに下心はない。
ストレートに親切心なのだろう。
わかってはいる。

人の優しさに怖さを覚える自分が嫌だなと思った。
そんなこと、ついこの間まで考えなかったくせに。
自然に囲まれて、人の優しさを知り、うまいご飯を食べて、怖がる。

アジサイは凄惨な過去を背負いながらも人が怖くないのだろうか?
さすがに聞けない。
親に虐待を受けていて、男は怖くないのか?なんて。
もしも、虐待を受けてもなお、人と向き合うことに希望や喜びを見出しているなら、それは彼女の持って生まれた資質、つまりは才能なんだ。

そうでないなら、心の傷は人と心の対峙をした時ではなくて、もっと別な、全然関係のない場面で突如噴き出してしまう可能性だってあると、僕は思う。

ゲンジさんは食べ終わった僕らに、お茶まで出してくれた。

「さてと」

と言ってようやくゲンジさんは座椅子に腰を下ろした。

今は炬燵布団が引かれていない掘り炬燵の底から、練炭の香りがほんのりと立ち昇ってきて、それがお茶と混ざると、僕はなんだか、とても懐かしいような気持ちにさせられた。

アジサイは、堀り炬燵の対角線上にある、随分とレトロなブラウン管テレビが気になるようだ。
それを察したゲンジさんが説明してくれた。

「あれはな、俺がガキの頃からあるテレビだよ、もっとも今は何にも映りやしないがな」

「そうなんですか、もっと近くで見ても大丈夫ですか?」

僕はアジサイがウズウズしているように見えて、代わりに聞いた。
ゲンジさんは豪快に笑った。
遊んで壊したっていいぞ。

「よかったね、紫、見てきなよ」

「見てくるね」

アジサイもまた、紫、と呼ばれることになれておらず、返事をするタイミングが1テンポずれる。
家の両サイドに竹林の笹の葉擦れの音が、随分と涼し気に聞こえてきた。
それだけで、ほてった体の中まで優しく冷やしてくれるような気になるのが不思議だった。

「本当に、なにもかもありがとうございます、あまり長居もできませんので、もう少ししたら、ここを発とうと思います」

僕は出来るだけ深々と頭を下げた。
このままアジサイや僕の話が広がっていったら、ボロが出そうな気がして、落ち着かない。
親切には感謝しているが、それは僕らの本当の事情を知らないからこそ、与えることのできる好意だ。

レトロなテレビのダイヤルを回して遊んでいる、あの背中からは感じられない過去と傷を、あの子は背負っているのだ。
それを感じさせないようにしているのは、麻痺と演技と他の何かの要素が混ざり合った偶発的な結果の産物なのだろうと、僕は勝手に思っている。

「それで、お前らはこれからどうするんだ?行く当てがあるのか?」

想定はしていたけれど、この質問が来ないことを願っていた。
無計画だ。
でも、ぼんやりと考えていたことはある。
それは嘘からそんなに遠くもなくて真実からはとても近いとは言えないところにある、僕の絵空事みたいな計画。

「一応、どこかでアパートを借りてから、働き口を探して、そこで妹と一緒に生活していこうと思います」

「そうか、ムラサキの学校はどうする?」

そう、だから所詮は絵空事だ。
僕は学校のことに詳しくないけれど、きっと転校するにも何をするにも、アジサイの保護者という存在が必要になるはず。

アジサイは高校を卒業できない可能性の方が高い。僕が家を借りて、僕が働いて、アジサイもアルバイトでどこかで働いたとして、その先はどうする?
どう足掻こうともきっと、分かれ道の先は同じ『社会』という人間が独自に構築した秩序の中に吸収されてしまう。

だから本当は、僕は、その先のことを考えなくてはいけない。
逃げても、いつか『社会』が僕らを追い越して、障壁となって立ちはだかる。
それにアジサイだって、いつまでも僕と一緒にはいないだろう。

将来というのは、何も定まっていないからこそ、何の可能性も感じられない鉄のような冷たさを持っているのか。

「わかりません」

ようやく、ゲンジさんの質問に答えることができた

「そうか、そうか」
ゲンジさんの目は不思議だ。
僕らの何もかもを見透かしているような瞳の強さがある。

「それなら目下の問題は泊る場所と仕事だな」

「はい、そうです」

「その二つがあれば、もうちっと色んなことを考えられるようになるってこったな?」

質問の意図がよくわからなかったが、僕は頷いた。

「それなら、わかった、色々落ち着くまでここに泊ってけ」

「いえいえ、それは出来ません、納屋に勝手に泊り、なおかつご飯まで頂いて、そこまで甘えるわけにはいきませんよ」

僕は何とかしてこの状況を回避する手段を見つけたかった。
レトロなテレビに見飽きたのか、アジサイが僕の横に戻ってきて、首を傾ける。

「何の話?」

「えと、ゲンジさんが色々落ち着くまで泊ってけっていってくれてるんだけど、さすがにそこまで迷惑をかけられないから、ここを発たないとねって話」

「そうなんだ、もうすぐ出るの?」

「いいから泊ってけ、2人も10人も変わらん」

「10人、ですか?この家にはそんなに住んでいるのですか?」

確かに、10人でも住めそうなほど広い。見た限り、居間から伸びている廊下の先には幾つものドアがあり、一つ一つが区切られた部屋になっている。
それだけでなく二階もあるのだから、相当な広さだろう。

「いや、今は俺だけだ、俺は独り身だしな」とゲンジさんはつづけた。

「夏になるとよ、大学生が短期間だけ泊りにくんだよ、短期間の住み込みバイトってやつだな、確かあと1週間後か2週間後に俺が面倒みるから、お前ら二人がいても、さして変わらん」

もう断れるような雰囲気ではなかった。
ゲンジさんにこれ以上『迷惑』をかけられないという線でここを発とうとしたが、それは完全に解決されてしまった。

僕はまた頭を下げた。

「すいません、好意に甘えさせていただきます、ほら、紫も」

「本当にいいの?おじいちゃん」

「こらこら、紫、お世話になる人にそんな口の利き方はだめだよ」

「あ、そうかごめんなさい、何だか懐かしくて、考えてみたらそうですよね、私ずっと失礼でしたね」

ただしとゲンジさんが言った。
「条件がある」

「条件ですか?」

「そうだ」

「その条件とはなんでしょう」

「俺の事はじいちゃんと呼べ」

「はい?」

「それから敬語は使うな、それが泊めてやる条件だ」

「はぁ、それはどうしてですか?」

「お前たちは色々抱えている事情があるだろうからな、他の学生と同じ部屋じゃなくて、二人の部屋を用意してやる、それで俺の孫だということにすれば、余計な詮索もねぇだろうってことよ」

そこまで考えてくれたことに僕はもう、頭が上がらなかった。
この人は僕らの事情を全て把握しているのではないか、そんな気さえもしてきたが、今は探るすべがない。

「ありがとうございます、ゲンジさん」

「ありとう、じいちゃん」

「違う」

「え?」

「ありがとう、じいちゃんだ、ずっと紫が正しい、いいか、俺達はたった今から『家族』だ」

家族。僕に家族。
僕は言いなおした。

「じいちゃん、本当に助かる」

ゲンジさんは、どこか満足気だった。

「よし、早速だが、食ったもんは自分で洗え」

僕とアジサイは
はーいと返事をし、キッチンに行った。

アジサイと並んで洗い物をする。
「よかったね、泊めてもらえるって」

「うん」とだけ僕は頷いた。

『家族』その言葉が僕には耳慣れなくて、しこりのように残っている。




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