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【#創作大賞2024 #恋愛小説部門】『制服にサングラスは咲かない』16章

「暑い……」

「多分、街はもっと暑いよ、猛暑日だね」

「ねぇ、あの露天風呂に水を溜めて水浴びしない?」

「僕、水着ないよ」

「私も、ダメだぁ」

ペタッと畳に伸びるアジサイ。

「扇風機があるじゃない」

「扇風機があっても、これだけ暑ければ、送られてくる風も暑いじゃん」

最近のアジサイは、眠っている時に以前よりもうなされることが多くなった。
けれど、反比例するように起きているアジサイは以前よりも明るくなったような気がする。
それがどういうメカニズムなのかはわからない。

つまり、
泣くとスッキリすることがあるように、悪夢を見ると明るく慣れるのかもしれないし、もしくは不安だからこそ笑ってみることがあるように、悪夢を見るからこそ、囚われないように明るく振舞っているのか。

アジサイはベランダの欄干に肘を載せ、両手で頬を支えている。

自首だけはありえない。
それが、ゲンジさんと飲んだあの晩に考えたことの結論だ。
もちろん、アジサイが自ら捕まることを望むなら、引き留めることはできない。
僕はアジサイと行けるところまで逃げる。
それが僕の人生のやり直し方だ。その延長線上にアジサイの何かがあればいい。
そもそも、僕が彼女を連れだしたのに、その僕がいきなり『人生はやり直せる、さぁ自首しよう』と切り出すなんて頭がいかれている。
自首を進めず、逃げることでやり直そうなんて考えだって、気が触れているのもわかっている。

「暇だね、あ、そうだツリバリ、大富豪でもする?」

「嫌だよ、アジサイ強すぎるし、それに毎晩2時間トランプしてるから、微妙に飽きてきた」

「えー私は何時間遊んでもトランプ楽しいけどなぁ」

「もしかしてさ、アジサイって美味しいと思ったものって飽きるまで食べるタイプ?」

「え、なんでわかるの?トランプの話からそう思ったの?」

「そうそう、なんとなく、かなぁって」

「ツリバリって人に興味なさそうに見えて、意外と人間観察好きだよね」

「え、そうなの?」

「私と同じだ、意外と自分のことって人から言われないとわからないね」

なぜか、アジサイは嬉しそうだった。

「じいちゃんもこの間、そんなこと言ってたよ」

「え、そうなの?いつ?」

「トマト収穫した時だから3日前?アジサイはじいちゃんに似てきたのかもね」

「全然知らなかった、というかツリバリさ、私といるときはさ、昨日、一昨日までくらいかな、ゲンジさんって呼んでなかった?でも今日はじいちゃん呼び、さては、お酒飲んでるときも何かあったなぁ?」

僕は急に気恥ずかしくなった。
改めて指摘されると、どう反応していいかわからない。
友達でも、名前で呼んでいいと言われた次の瞬間って妙に恥ずかしい。
小学生以来の懐かしい感覚だ。

「まぁ男同士の話っぽいし、全然聞くつもりはないけど、なんか、ツリバリ変わってきたね」

「え、そう?いい方に?悪い方に?」

「いい方に」

「悪くない気分」

「悪くなさそうな顔」

「顔に出てた?」

「すっごく出てた」

「恥ずかしい」

普段、人に褒められ慣れていないと、すぐに顔に出てしまうようだ。

「なんかさ、前よりずっと、男の子になったよね、ツリバリ」

男の子という響きにドキッときてしまった。
年下の女の子に、男の子呼ばわりされているのに、それが悪くない、むしろいい。というかなんか照れる。
腹の底が痒いというか、なんというか。

「人って意外と簡単に変われるみたい」

「なんだか寂しくもあるなぁ」

「寂しい?」

「置いて行かないでね、なんて」

僕はアジサイの言葉に関することをずっと考えていた。
そして気がついた。僕はそのことを考えると、結局はいつも同じ結論に至る。

「置いて行かないよ、アジサイが望んでくれる限り、僕はずっといるよ」

アジサイの目が開かれて、急激に耳まで赤くなる。
それこそ心配になるくらい。
昨日じいちゃんがお酒に酔ってつぶれた時みたいだ。

「そ、そういう意味じゃないってば」

「あれ?そうなの?じゃあどういう意味だったの?」

「誰も物理的な話なんてしてないでしょう?精神的な成長のはなし!」

やけに早口で、やけに大きな声だった。
アジサイは『まったくもう』というと、眼前に広がる山の連なりに向き直った。
長い髪を耳にかけて、その耳がまだ少しだけ赤い。
なんだか微妙な空気。

そんなつもりで言ったわけではなかったんだけど。
僕の勘違い。
今日の僕は恥ずかしいことの連続だ。
でも考えてみれば男の子になってきたというのはどういう意味だろう?

畑仕事で日に焼けてきた?
言動がじいちゃんに似てきた?
じいちゃんに似てきたは割とありそう。
身長が伸びてきた?

さすがに今のアジサイには聞きにくい。
また今度聞いてみよう。

僕は先日じいちゃんに借りたラジオの電源をつけた。
最近は聞きなれた『アジサイのお父さんの件』がたまたま流れる。
ボリュームを絞る。
わざわざアジサイに聞かせる必要はない。
けれども警察がどの程度まで僕らの情報を掴んでいるのか確認する必要があると僕は思っているから最低限情報は拾っておきたい。
警察が操作範囲を伸ばしているなら、どこまで伸ばしているのかも知りたいし、事件の進捗についてだって、把握しておかないと、いざというときに行動がとれない。

今のところ、確信に迫る情報はない。
『近隣住民が異臭を通報』
『庭から40代男性の遺体が発見』
『死因は特定できず』
『何者かが埋めた様子』
『この家の娘、〇〇が行方不明』

ラジオをFMにして夏に聞きたいジャズ特集を扱っているチャンネルに合わせる。
ボリュームを戻す。いい曲だ。
チャーリー・パーカーのなんとかって曲らしい。
ラジオパーソナリティが読み上げてくれたが、一度では覚えきれなかった。

警察よりも厄介なのが一人。ビーチサンダルだ。
彼からの連絡は絶えない。
ついには、福島までくるというメッセージまで届いた。
どこまで本気なのかはわからないが、学校はもう夏休みに入ったみたいで、ビーチサンダルは高校の部活にも参加していないし、アルバイトもしていないから、旅行で来るらしい。

――『俺ら、会おうぜ、アジサイもさ、連れてこいよ、絶対だぞ』

何を企んでいるのかはわからないが、どうして、ビーチサンダルは友人みたいな感覚でメッセージを送ってこれるのだろう。
距離感がバグっているのか、あんなメッセージを送ってきておいて同じ関係ではいられない、
彼には関係のない事柄なはずなのに、彼はどうして僕らを脅すような真似をしてくるのか、僕にはその執着心がさっぱりと理解できない。

もし僕が逆の立場だったら、『おぉ、大それたことするなぁ』程度の感心だ。だから余計にビーチサンダルがわからないのだ。

もしかしたら最初から僕は彼のことなんて一切わからなかったのかもしれない。
それは僕自身があらゆるものに対して塞ぎこんでいたから、見ていないも同義だったのだろう。

「あの人誰?」

僕はアジサイの方へ向かった。畳の擦れる音って結構好きだ。

ベランダからは昨日お世話になったツネさんの息子、やーぼうさんが両手にビニール袋を下げながら、坂を上ってきているのが見えた。

「やーぼうさんだ」

「やーぼうさん?」

「昨日、ゲンジさんと僕を送ってくれた人の息子さんだよ」

「そうなんだ、野球部の人なの?」

女子高校生から見たら坊主で若く見える人は大抵野球部に見えるのかもしれない。

「高校生じゃないよ、僕と同い年」

僕らの話声が聞こえたのか、声の出どころを探すように、やーぼうさんは辺りを見回している。
ゲンジさんは今いないし、僕が下で話をする必要がありそうだ、と思ったらアジサイが手を降り出した。

「おーい」

おーいって。初対面ですごいな。
やっぱりアジサイも変わったよ。
ちょっと前までは田舎の人たちの距離感に戸惑ってうまく話せなかったりもしていたのに、トヨさんの家に遊びに行ってご飯を食べたり、ゲンジさんの近所づきあいにも顔を出して、レジャーシートの真ん中に座って、色々な話を聞いたりしたり、今は初めて会った人に『おーい』ときたものだ。

やーぼうさんは僕らに気づくと一礼した。

「ちょっと行ってくるね」

僕は階段を下りて、玄関から外に出た。

「やーぼうさん、昨日はどうも」

「あぁ、ゲンジさんの、こちらこそどうも」

竹林がそよぎ、山が果てしなく続いている田舎の世界で、僕らは駆け出しの営業マンみたいな話し方で頭を下げあって、我ながら可笑しく思えた。

「ゲンジさんは今いらっしゃいますか?」

白いタンクトップに陽射しが反射して眩しい。

「今、ちょっと出かけていて」

「あぁそうですよね、東京からの学生の受け入れ、今日からでしたよね、忙しいときにすみません」

「いえいえ、僕らは何もしていないですから、ちょうど暇していました」

「僕ら?家にどなたかいらっしゃるのですか?」

タイミングよく、アジサイが僕の横に立った。

「こんにちは、や―ぼうさん、昨日は兄と祖父がお世話になったみたいで」

ちょうど新しい革の財布が数年越しに手に馴染むように
最近はアジサイに兄やお兄ちゃんと言われても違和感がなくなってきた。

「急で申し訳ないです、僕の妹の紫です、まさか降りてくるとは思わなかったのでびっくりしました」

「は、は、はじめまして、えと、えと、これキュウリです、ちょっとサイズとか形が不ぞろいなもんで、漬物にでもして食べろって、ヒロ婆がくれたんですが、親父がこんなに食えないから、ゲンジさんの家におすそ分けにって言われたので、来ました」

やーぼうさんかが差し出してくれたキュウリの袋はアジサイが伸ばした手に渡されることなくそのまま地面に落ちた。

「え、わ、きゃ」アジサイが動揺しながらも落ちたキュウリを踏まないように、まるで踊っているように躱している。

急いでかき集めてみたものの、坂から下にかけて何本か転がっていってしまった。
渡しそこねたのかな、と思いながらやーぼうさんを見てみると顔が真っ赤だった。

なるほど、そういうことか。
きっと女性と話すことに慣れていないか、そもそも女性が怖いのかもしれない。
それか……僕はアジサイを見る。端正な顔立ち。
一目惚れ?単純な照れ?
そうだ、言われなくてもわかっている。アジサイは可愛いのだ。

僕はそこで不安に思った。
来た大学生がアジサイに妙な絡み方をしないだろうか。
口説かれるかもしれないし、告白されるかもしれない。
それをどうするかは本人次第だけれど、もしもアジサイがその大学生と付き合うことになったら、僕は一人でどうすればいいんだろう?

いつか、離れるだろうな、とは思ったけれど、それは明日かもしれないし、明後日かもしれない、一週間後かもしれない。

もっと遠い未来の出来事だと思っていた。僕らを囲む自然の空間が音をたてて過去になっていくようなそんな、気の遠くなるような感じだった。

見落としていた、坂の手前で止まったままのキュウリ。
笹の葉擦れの音。風でキュウリが傾いて、そのまま坂を下っていった。

「ご、ご、ごめんなさい、拾ってきます」

「僕も一緒にいきますよ」

「私も行く、ごめんさない、しっかり手元確認せずに受け取った私が悪かったですね」

「いえいえいえいえ、そんなそんな」

キュウリは坂のところどころにあった。
木の根元に引っかかっていたり、デコボコに整備されているから、その取っ掛かりで収まっていたり、あるいは、もう野生の動物に噛まれたものまであった。僕らの足音に驚いてキュウリを置いて山へ逃げ込んだらしい。

あらかた拾い集めたと思ったら、車のエンジン音が聞こえてきた。
駐車場から見下ろせる畦道を覗くと、白いバンが、僕らの方に走ってくる。

「ゲンジさんですね」

「え、そうなんですか?」

「はい、毎年、大学生を迎えに行く時、うちのバンを使ってもらってるんですよ」

目の前をオニヤンマが横切った。立派な羽が太陽の日差しに七色に光る。
束の間のセミたちの叫び。かわらないままありたいと叫んでいるように思えたのは気のせいだろうか。
僕らの立っているところまで覆ってくるような入道雲を、僕はただ、見上げた。




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