お月さまのようにまんまるな心になる
阿字観瞑想(あじかんめいそう)を体験してきた。
「瞑想」とひとくちに言っても世の中には色々な瞑想法がある。わたしが普段実践しているのはヴィパッサナー瞑想と言って、呼吸に意識をむけ湧いてきた思考や雑念をひたすら観察すると言うものだが、臨済宗や曹洞宗の禅寺で行う「坐禅」もそれに近いやり方をしている(厳密には違うが)。
対してこの「阿字観瞑想」は、真言宗のお寺で行われている瞑想法で密教の瞑想法とも言われている。
一風変わった瞑想法だった。
やり方としてはまず、お経を唱えてもらったあと、左手を下にして法界定印(ほっかいじょういん)を組み、次に体に溜まっている不浄な気を出し切るように深呼吸(阿息観)を3回。
その後、上のトップ画像にあるような月輪(阿字観本尊)を半眼にして見つめ、目を閉じても月輪が思い描けるようにする。そしてその月輪をだんだん大きくしていき、その輪の中に自分がすっぽり納まるようイメージしていく。
そして、その月輪を部屋いっぱいに、今いる街いっぱいに、地球いっぱいに、そして宇宙いっぱいにとだんだん月輪を大きくしていき、終わったら今度はそれをだんだん縮めていく。最後は月輪を本尊に戻すと言う瞑想法。
今回の体験ではここまででしたが、熟練していくとまだ先があるようです。
まず、瞑想中に何かをイメージすると言うのに慣れていないので基本的に難しかったです。
月輪を大きくイメージし自分を包み込むところまではできたのですが、それ以上に大きくすることはできませんでした。
坐っていた時間は約20分ほど。瞑想が終わったあと、住職の方といろいろお話しさせていただきました。
わたしが「月がきれいに出ているときは、月を見ながら瞑想するときがあるんです」と言ったら、阿字観瞑想はもともとそこから生まれた瞑想法らしい。
月は人を惹きつけるものがある(引力とは違う意味で)。
月を見るのがこわい、と言う人もいるくらいだ。惹きつけられる、ゆえに恐れる。知らず知らずの間に、月の世界に入っていってしまう。鏡のよう。鏡は自分を写し出す。でもそれは本当の自分?
わたしは、夜と言わず昼間でも、空に浮かんだ月を見つけるとつい見惚れてしまい、足を踏み外してしまいそうになることがある。
新月や満月のときは、落ち着かなかったり異様に眠かったりする。月の影響を大きく受ける体質らしいと言うことが最近になってわかった。以来、月の満ち欠けを気にするようになり、心と体の準備をするようになった。
最後になぜ梵字の「阿」なのか?を書いておきます。
赤ん坊が生まれた時最初に発する音が「あー」であるように、誰にでも生まれた場所と、やがて帰るべき故郷があります。それを密教では「智慧と慈悲に満たされた大日如来さまの世界」と考えているようです。
そしてその大日如来さまを象徴するのが梵字の「阿」字。
わたしたちは大日如来さまの子ども。自分の根源に思いを馳せ、今を生きていることを確認する瞑想法、それが「阿字観」であるようです。