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呼吸 循環 命

又吉の本を読んだ。
「月と散文」。わたしの誕生日でもある3月24日に発刊された本。10年ぶりのエッセイ集とあるが、又吉の本は「人間」しか読んでいないのであまりピンとこない。
芥川賞をとった「火花」は、実は読み始めて数ページでやめてしまった。火花の世界に入り込めなかった、ただそれだけの理由。でもそれがすべて。小説の世界に入り込めなかったら最後まで読みこなすのは難しい。
「人間」も、人の心情が執拗に書かれている箇所は読み飛ばした。読み続けるのが苦しくて飛ばして読んだ。でも良い小説だった。終わり方も、まるでこれから新しく物語が始まるような、映画のような終わり方で、こういう感じで終わる映画って何だったっけと考えてみた。

ヌーヴェル・ヴァーグだった。

「月と散文」は花瓶の話がおもしろかった。花瓶にかける命が又吉らしい。捨てられた花瓶と、その花瓶を割ってしまった友人への思いを天秤にかけて結果を出したあたり「人間」だと思う。


先月死んでましたがやっと復活しました。

note最終更新が3月30日、4月はまったく更新できず。
腰が壊れたのと同時に体力気力ともに消沈。
何度か書き始めたのですが思考がまとまらず、何度も放り出し、まあいいや、と言う曖昧なわたしの思考が拍車をかけ一ヶ月があっという間に終わってしまった。

波動が変わるとモノが壊れると良く言いますが、3月末から4月にかけていろいろ壊れた。
また3月20日前後の天体の動きに合わせての環境の変化、意識下での心境の変化があったりもした。この、天体の動きによる変化と言うのは否応なしに起こるので気がついたら変わっていたという感覚に近い。

自転車のパンクから始まって、洗濯機、石油ストーブと続けざまに壊れて処分。極めつけに自分の腰も壊れて一時動かなくなり、職場の施設でもわちゃわちゃと変化が起きた。
職員の退職、入職。併せて利用者さんの予期せぬ退院が相次ぎ、いろんな言い方はあるだろうけど要はそう言うことだった(意味わからん)。


この、モノが壊れたり、人の入れ替わりなどで感じることは、世の中で起きていることはすべて「循環」。人の誕生と死。モノの創造と破壊。新しいものと古いものが入れ替わり、脱皮して新たに別なモノが生まれてくるという感覚。
呼吸は、その循環を促している。生きているから呼吸しているのではない。循環がそこに必要であれば呼吸する。呼吸が止まれば循環しなくなるのは、あたりまえのことだが、あまり気づいていない。呼吸に気づくことによって、循環していることに気づき、その時その時のさまざまな変化に対応できるようになる。対応というのはこの場合、抗うことでなく受け入れること。循環することを受け入れる。新しい自分になることを受け入れる。循環は命を生み出す。生み出された命がまた呼吸しはじめ循環していく。そして循環する必要がなくなれば呼吸は止まる。

この世界にあるものは、こうやって「命を生きて」いる。



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