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羽釜でご飯を炊く時間。

何度も何度も朝型への矯正を図っている。
子どもが寝る時間に一緒に寝て、朝早く起きることでこういうnoteを書いたり、本を読んだりする時間を作っている。
その矯正器具として、いくつか用意していることがある。

それは、起き上がらないと止められない位置にアラームを置くことや
羽釜でご飯を炊くこと、コーヒーを淹れることだ。今もコーヒーを飲みながらこれを書いている。

矯正器具と言っているけれど、アラーム以外は僕が好きなことだ。

羽釜でご飯を炊くというのは、写真家の幡野広志さんがTwitterやnote、書籍でこれでもかというほど勧めていてその真似から始まった。年始に羽釜を購入して以来、食卓の白がより際立っている。息子は目の前にご飯が並ぶと、一目散に白米を平らげている。おかずがおかずの意味をなしていないくらいに。

我が家のキッチンには、出窓が付いていて朝になると柔らかい光が差し込んでくる。そういう写真を撮るためにいつもより少し遅く、日が昇り始める頃にご飯を炊き始めた。

カセットコンロを流し台の隣にセットして、火を入れる。朝のまだ薄明るい光の中に、青い炎が浮かび上がる。それを見つめていると、木蓋の横から沸々と泡が吹き出してくる。少し火を弱めて、また数分待つ。

その途中で2歳になろうとしている息子の声が寝室から聞こえてきた。僕を呼んでいる。様子を見に行くと、嬉々として声が大きくなった。

羽釜で炊いているのと据えてあるカメラを目にして、何をしているのか聞いてきた。
羽釜でご飯を炊く様子を写真に残しているんだよ。と伝えると、僕もする。というので、一緒に木蓋を開けて、シャッターを切った。
息子は、蓋を開けると「きれーい!」と優しい声で言っている。

でき上がったご飯をよそっていると、その隣で息子は三脚の下に潜り込んで楽しそうにしている。

ウインナーを焼いて、焼き明太子と妻の祖母お手製の縮緬雑魚の佃煮と言っていいのだろうか、とにかく美味しいご飯のお供たちで白米を迎えた。

ちりめんじゃことタイプしたところで、予測変換が漢字にしてくれたけれど、可愛い見た目をしているのに漢字は仰々しいということにも今気づいた。

フィルムカメラで写真を撮ったから、現像が仕上がるまでにまだ時間がかかる。わざわざ時間をかけて何かをやる意味は、その流れている時間の中で変わる自分の心を確かめるところにあるのかもしれない。



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