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#4 28年間を振り返り終わらねば ー若手研究者編ー

来月中学生のキャリア学習会にロールモデルの一人として参加するので、それに向けてこれまでの人生を振り返り、自分が大切にしている考え方を整理しようとキーボードを叩いています。しかし、なかなか終わってくれません。終えねば

中学生にもうまく伝えられるように、私(若手の物理研究者)が大切にしていること、これから大切にしていきたいことをまとめます

結論として、私がいま研究者として働いているのは、
新鮮な事物に触れ続けていたい、という気持ちが強かったからだと思います

いろんな理由も後からくっついてくるのですが(人類の科学技術の進歩に貢献したい、環境問題解決の糸口になる基礎研究ができれば、新しい量子多体系を見つけたい等々)、自分が今アメリカで研究者として働いている一番の理由は、同じことの繰り返しが苦手で新鮮な物事に触れ続けていたいから、という理由が一番大きそうです

...なんか、こう、もっとかっこいい理由が欲しかった。。私の中での"ザ 研究者"のイメージは、幼い頃から図鑑や工作が好きで...というものでした。私はこれには当てはまらず、上のようなざっくりとした感覚が理由です

また、以下にまとめるように、現在の研究分野に辿り着くまでのキャリア・進路の選択は、迷わず今の分野一本!というわけでもありません

そんなモチベーションの人間でも研究者として食っていけている(まだひよこですが)、というのは一部の方にとっては朗報ではないでしょうか?笑

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過去の note#2(人生の前半戦の振り返り)で明らかになったのですが、私は子供の頃から研究者や科学者になりたい!という希望を持っていたわけではありません。小中学生の頃は漠然と、同じことを繰り返す職業は自分には向いて無さそうだな、と思っていて、それがそのまま現在まで続いています。あな恐ろしや

高校生の頃は化学や物理の授業がなんとなく好きで、大学も理学部に進学しました。このころは将来の職業のことなどみじんも考えておらず、自分の好みに合ってそうだからという理由で進学しました

大学入学当初は、素粒子理論を勉強して世界の成り立ちの理解に近づきたい!と意気込んでいましたが、ムズイなと挫折し、1・2年生の頃はアパートでこたつにくるまっていました

学部後半は、実験系物理の研究室を希望し配属されました。固体物理の実験系の研究は、自分のアイデアを(比較的)すぐに試すことができて、楽しい!と感じました
(※宇宙系や素粒子系の実験は多数の研究者からなるチームで一つの大きなプロジェクトを遂行することが多いのと比べて、固体物理の実験は小規模なグループもしくは個人で研究を進めることが多いです)

学部4年生の時、就職するか修士課程に進学するかは結構迷いました。就職するなら、自然エネルギーを用いた発電やその効率の良い運用のためのシステム構築に関連する会社が良いと思っていました

が、なぜか他大学の修士課程に進学しました。就職を選択しなかった理由は、就職する自分を想像し、その後数十年間同じ会社で働き続けるというのがたまらなく悲しいものに思えた気がしたからだと思います。(転職などの選択肢は全く頭になかった...)

他大学を選択したのは、研究テーマももちろん理由の一つですが、環境を変えたいというのが根底にあったと思います

また、同時期に、ワーキングホリデーでアイルランドに行きたいと強く思っていました。ラジオで、アイルランド人はとってもフレンドリーで、彼らは雨が降ってもは傘を差さない、というなぞの神秘的な情報を手に入れ、その情景が強く頭に残っていたからだと思います。ワーホリには行けないまま、ワーホリ権利の上限の30歳を迎えようとしています。アイルランドの代わりに、ひとまずアメリカにはやって来られました。アメリカ人も傘は差しません

修士課程でお世話になった研究室で、そのまま博士課程まで進学しました。実は、博士課程に進学する際に、極地研(国立極地研究所)に進学しようか迷いました。研究分野は全く違いました。極地研のグループに所属できれば南極に行ける、という理由だけで願書を取り寄せ本気で迷いました。結局は、同じ研究室で博士課程を修了し学位を頂きました。当時のボスには本当にお世話になりました

その後、博士研究員として渡米して現在に至るという感じです

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結構その都度、考えがグラついています(笑)。考えがグラつく、その時々で一番やりたいことが大幅に変わる、という点では一貫していそうです

ですが、面白いことに、それらの背景には小中学生時代のシンプルな原体験が関係してそうです(#2にて議論)

進路・キャリア選択の分岐点毎に、謎な衝動に駆られてきました。都度、それらの感情とは真摯に向き合ってこられたと思います。おそらく(間違いなく)、自分は飽き性で、やりたいことが発散しています

この飽き性には自分でもうすうす感づいていました。これは日本人の職人気質とは違っていて、"ダメだな、特に研究者には向いていないのかもな"、と思っていました

しかし、本稿を書いているうちに案外素敵なことかもしれないなと思い始めました。やりたいことがたくさんあり、やりたいタイミングで打ち込む。そんな人生が過ごせたら、それは"ヒトの人生"という教科書(があれば)のロールモデルの一つとして紹介されていそうです

遠くの将来のことはさておき、今のところ研究は楽しいです。飽き性の自分には珍しく、修士課程から7年以上似たような分野の研究をしていてまだ楽しめています。この世にはいろんな現象・物理系が存在し、いろんな実験手法を選択できます。私にできることはまだまだたくさんありそうですし、それらは私に新鮮な感覚を与えてくれます

研究が楽しくなくなったらどうしようか、それは研究が楽しくなくなったその時に考えようと思います

また別稿でも触れようと思うのですが、研究を行う大義名分を自分で見出せなくなった時には研究職から離れようと思っています。(実はこんな私でも少しは大義名分があります)

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長くなりました。まとめます

飽き性な私がのらりくらりと進んで行くうちに、マウンテンマンという一人の若手研究者が誕生したようです。ヒトの人生、案外こんなものではないでしょうか

また、この"人生振り返り"を通じて、これからの自分の人生がさらに楽しみになりました

自分の研究(基礎研究)もどんどん発展させたいですし、なんとか環境問題解決にも貢献したいと思います

南極へ行き、アイルランドに住むまでは死ねません。
その前に今せっかくアメリカにいるので、アラスカ渡航をひっそりと画策中です(現ボスに伝えなきゃ...)


キャリア学習会で中学生には、アイルランド人のフレンドリーさ&傘を差さないという情報を伝承しておこうと思います 

[おわり]

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