面接練習がどうしてもできない

面接の練習をしないといけないのは山程わかっているのにできない。
あれだけ練習しても落とされるとわかってしまったからなのか。素の自分が練習して作り上げた自分なのか疑問だからなのか。わからない。
どうしよう。

でも私は、中学生の頃、実力テストという今まで習った全範囲から出題されるテストがあった時に、「実力で受けるテストやから、勉強せーへん」と言っていた友人のことを理解できなかったじゃないか。
実力とは何もしない状態ではなく、勉強した状態でのポテンシャルだろ、とあの時の私は思っていたし、今でも思っている。というかむしろ勉強してテストで緊張してようやくただの私の点数が出る。勉強しなければ、マイナスの私の点数が出る。そう思っていた。
いや昔の自分の方がわかってる。本当に。
面接も緊張してマイナスになるから今から練習してその分プラスしなきゃいけないの。わかってるやん。でもやる気が微塵も起きない。
成果が見えないからかな。勉強はすればするだけ解るようになって点数も目に見えて上がるからできてただけなのかな。

塾講師のアルバイトをしていたとき、やる気がでないと言った生徒に疑問しかなかった。やる気の問題では無くない?やる気関係なくやらないといけないものなのに。と思っていたことを心底謝りたい。わかる。やらなきゃいけないのはわかってんだよね。でも体が言うこと聞かないんだよね。もう少し勉強が楽しいって気づかせてあげられてたら良かったね。ごめんね。私も今ぜんっぜん面接練習に対して良い印象が無くてね、世に云うやる気がないからできないって気持ちを味わってるよ。勉強も部活動も部屋のそうじも今まで後回しにしたことも逃げたこともないから、どうすればいいか戸惑ってるや。

あ、嘘。逃げたことはありました。例のアルバイト、塾に行く道すがらの駅から聞こえる電車到着のメロディーに嫌気がさすようになった頃に辞めちゃったんだった。もうムリ、って思ったんだった。4年勤めると思われてただろうから、半分で辞めて迷惑をかけたんだろうな。それでもどうしても逃げたかったんだよな。辞めた後もその駅が最寄りだったから、しばらく電車到着メロディーを聞いて登校中も鬱々とした気分になってたから、チャラにして欲しい。私も辛かったし塾側も辛かったということで、痛み分けでお願いしたい。

こんなことをつらつらと書いていただけで、さっきまでの、面接練習なんでしないの?なんで?という無言の圧力by私、から少しだけ解放された気がする。文字を書くというのはそれだけで気持ちが落ち着く行為なんだというのはほんとなんだな。もっと本当にするには紙に鉛筆で書くのが一番いいんだけど(筆記療法)、まあ落ち着いたから良しとしよう。逃げたこともあるし、やる気がでない気持ちもわかったし、たぶん明日も内なる自分に責め立てられそうなので、それに適応できるぐらいの、面接練習してみっか、と思えるぐらいの精神力にするために今日は早く寝ような。結局心の健康は体の健康と紙一重なのだ。私が昨日夜中3時まで起きていたせいでこんなことになっているのだ。だから今日は早く寝て明日は健康的に早起きしよう。うん。

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