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東日本大震災ボランティア私がみたもの

3.11東日本大震災の5か月後に陸前高田市へボランティアへ訪れた。(当時高校一年生)

9年前私が見たもの

●原っぱ
元々は商店街や町だったそう。それが、何もない。何キロにもわたり草原が広がり遠くには海が続いている。良く見ると、小学校のような建物がある。でも、窓ガラスは無い。車も、遊具も、グラウンドも、人もいない。
ただ、原っぱに枠組みを残した建物がポツリポツリとあるのみだ。

●車屋か?
さらに進むと、道の左側に車、車、車、、、。車屋か?と思う程に新品の様に見える車がところ狭しに整列して並んでいる。ただ、整列している車はどれも2台が上下に積み重なったもの。それがずらっと続いているのだ。

●瓦礫に囲まれる
さらに行くと瓦礫だらけの道に。ボランティア団体のバスで走っているのだが、バスの窓ガラスのさらに上まで、空が見えなくなるまで瓦礫の山。瓦礫に覆われて、晴れたよい天気なのに車内は暗くなる。

●唯一の高台
町の反対側は、山だった。急勾配の斜面を上がるとポツンとお寺がある。
お寺は、遺骨置き場と化していた。住職さん曰く、「これでも(遺族が引き取りに来て)減ったんですよ」と。お寺の中に広がる白い布におおわれた四角い箱。ミカンや花が備えたものもある。白布のかかった箱の数は約300。

●挨拶をした人
お寺で出会った地元の方。「こんにちは!」と笑顔で元気よく返してくれた。そんな笑顔で、こちらが元気になってしまうほどに笑えるものか。
活動最中に出会った地元の方。「こんにちは」といっても、こちらを見て無言で、怒ったようななんともいえない表情で家に入っていかれた。

●木材屋
このお宅は木材を加工する会社を営んでいた。木材は海水と泥につかる。家も1階は泥につかる。従業員の一人は、電線にぶら下がって亡くなったのがみつかった。「使えるかどうか分からないけど、綺麗にします。」と、木材を洗浄していた。「話を聞いてもらうのも、十分なのよ」「ボランティアに来れなくても、誰かにこの事を知って欲しい。」休憩中、奥さんが仰った。

●お葬式
「いってきます」と奥さん。震災から5か月後。やっとお葬式ができる近所の方の所へ。

東日本大震災から、9年
まだ復興はしていない。