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「具体と抽象」を読んで|信じている公式は、本当に自分にも当てはまる?

先日、会社の同期に久しぶりに会ってきた。

私たちは社会人2年目。1年目時代の苦労を語り合っている時、同期がこんなことを口にした。

1年目の時、OJTの先輩が厳しくて、とても辛かったんだ。
でも、あとから「OJT担当だから厳しくしないと、と思って、あえてそうしていたんだよ」
と言われた。今ではいい関係になれているよ。

私は、この話に小さな棘が刺さっているような違和感を覚えた。
そして、この棘は、変化の激しい現代でよく出くわすものと同じであると感じた。



同期の話に潜む違和感

「OJT担当だから厳しくしないと、と思って、あえてそうしていたんだよ」

同期がOJTの先輩から言われたこの言葉は、一見筋が通っているようで、1つ説明が抜け落ちている。

それは、「なぜ、OJT担当ならば、後輩に厳しくする必要があるのか?」という点だ。


OJTの役目は、後輩がきちんと業務を遂行できるよう教育することだ。

その教育方法は
会社にどんな人材が必要か、という組織としての方向と、
後輩自身がどうなりたいか、という個人の目標、そして適性や性格などの個性を踏まえて決定されるはずである。


つまり、会社にとって、指導する後輩にとって、ベストな指導法を模索するならば
OJTのあり方は十人十色となる。

だから、「OJT=厳しくあるべき」ということは全くない。


しかし、前述の同期のOJTは「OJT=厳しくあるべき」と公式のように捉え、
なぜそうするか?という点を考えていなかったのではないかと思う。

なぜなら、指導される側の同期自身が、厳しくされる効果を感じていなかったからだ。


最近読んだ「具体と抽象」という本の中で、次のような一節がある。

「数字が一人歩きする」といわれる状況がそれです。
これは、抽象と具体の関係性のリンクが切れたのちに、具体のほうが一人歩きを始め、抽象とのあいだにギャップが生じるというものです。

OJTの話も、まさに「具体のほうが一人歩き」した状況のように思う。


「OJT=厳しくあるべき」と提唱する人がいたとしても、あくまでそれは具体のレイヤーの話だ。

本来は、そう導いた背景にある「目的」や「意図」の抽象レイヤーの情報まで汲み取って初めて自らに応用できる。

その思考を怠ると、現実で歪みが生じてしまうのかもしれないと感じた。


このケースのように、具体の事例を咀嚼せず、そのまま飲み込むことで生じた歪みが
令和の今になって様々なところで露呈しているように思う。



今ある「具体⇄抽象」の公式を見直す時がきた

コロナによって人々の考え方が急速に変化したことも相まって、今一度「当たり前」と思われていた具体と抽象の関係を見直す必要性が高まっていると思う。

例えば、コロナ前の2019年にこんなCMが放送されていた。


bellFace 「暴風雨の午後」篇(30秒)
(以下画像はリリースより)


先輩営業から「雨が降っても、槍が降っても会いに行く、それが営業だ!」と説かれる様子が描かれているが、「営業=足で稼ぐ」という公式は、コロナ禍で急速に見直された価値観の1つだろう。

ここにも「具体⇄抽象」の関係の見直しがある。


「営業=足で稼ぐ」という公式には、

・直接伺うことで、労力をかけている=それほど顧客を大事にしている、と示せる
・「大事にされている」と感じた顧客は、好意をもってくれることが多い
・結果、発注に繋がり稼ぐことができる

という背景がある。

すなわち、「顧客を大事にする思いが相手に伝われば、売りにつながる」のであり、足を使うのは手段の1つに過ぎなかったのだ。



現代は、SNSによって様々な人の意見にアクセスできる。
その中には、参考になる有益なアドバイスも多い。

だが、それはそのまま自分にも当てはまるだろうか。

情報が溢れる海では、キャッチーでわかりやすく端的な発言が目立ちやすいし、強い。
書かれていないその言葉の背景を、自分の頭で思考しているだろうか。


本質は時代を超えても変わらないことが多いが、手段は時代や状況によって目まぐるしく変わる。


自分が信じているものが、単なる手段ではないか。
誰かの事例や意見を咀嚼せず、そのまま装備していないか。


改めて疑い、考えることを怠らずにいたいと感じた。

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