真面目もやすみやすみ


最近ずっと熱が出る
心は元気だけれど体はちゃんと疲れているみたいだ

色々なことがあるけれど、
毎日ちゃんと生きて、仕事をして、
誰かのためになっている

体が熱を保つのは、
それだけ頑張っている証拠だ

最近、後輩と話す中で、
非常に思い入れのある会社との仕事で、
トラブルが起きてしまったと聞いた

非常に苦しく大変だろう
逃げたくなるだろう
でも、
生きていれば
生きてさえすれば
物事はなんとでもなる

手放しに大丈夫なんて言うつもりはない
ただ、なんとかはなるのだ

最近河合隼雄の本で「心の処方箋」という本を読んだ

その中で「真面目も休み休み言え」という言葉が印象に残った

なるほど、うまい
今回は「真面目であること」について少し考えてみた

真面目に至る病


真面目とは何か
少し言葉の意味から引いてみたが、
1. 本気であること。うそや冗談でないこと。 「―な顔をする」
2.まごころをこめること。誠実なこと。 「―に働く」
とでてきた。
「本気」や「まごころ」かぁ、なるほど。
人生において大切であることは間違いがない。

ただ、一方で
・常に本気であれる人
・常に真心を込めている人
なんているだろうか?
恐らくなんらかの神であるか、なんらかの聖人であるかであろう。
そんな人を見かけたことはない。
どこかで気を抜いたり、休んだり、感情的になったり、雑になったりするだろう。

ただしかし、そうあろうと日々努力をし続けている人を見かけることはある。

では、そうあろうと頑張っている人はどうなるのだろうか?

私は必ずやいつか反動が来るのではないかと思う。
それが私の考える真面目に至る「病」だ。

残念ながらこの世には同じ人は一人もいない。
多種多様な人がいろんな意見を持ちいろんなバックグラウンドからいろんな会話や行動をする。

いろんな人がいろんな組織を作り、
いろんな価値観でいろんな評価がされる。

そうなった時に、
常に本気である人が評価される
常に真心を込めて仕事をする人が評価をされる
なんてことは起きない

むしろうまい具合に手を抜いている人が、
選ばれたり光を浴びたりする

自分よりお気楽に生きている人が評価され続ける世の中で本気であり続けたり、真心を尽くし続ける虚しさや苦しさは計り知れないだろう。

そうすると、どうなるかというと、
心か体がバランスを崩すと思う。
それは時に病気という名前を持って現れる。

真面目を否定しているのではない

私は決して真面目を否定しない。
寧ろ真面目は美徳だ。
心優しかったり、熱い思いがあるからこそできる技だ。

私自身真面目でありたいと思うし、
真面目な人は心から尊敬する。
一緒に仕事をしたり過ごしたい人は、真面目さを持っている人だ。

だが、真面目すぎることは、
時に人にとっては毒になると思う。

前述した通り、世の中の仕組みが不合理や不条理で出来ているのだから、
当然真面目に報いるようには出来ていない。

「徒労」や「裏切り」という言葉がある通り、こんなに頑張っているのになぜ、と思われる事態は当然発生する。

真面目もやすみやすみいえ


と言った時に何が良いかというと、
やはりこの言葉に戻ってくる。

もう真面目は適度で良いのだ。
休み休み言えば良い。

ディズニーランドはたまにいくからこそ楽しいように、
優しいお父さんが時に厳しくなるから威厳があるように、
時たま本気、大事な時に心配りをされるからこそ成果が出たり感謝をされたりするのだ。

HSPにはとても真面目な人が多いと聞く。
それは、相手からそうあってほしいと言う期待を肌で受信し、合わせているからだろう。

ただ、だからこそ、
意識的に「休み休み言え」と思わなければいけない

ここぞ、というところで本気になれば良い
いまだ、というときに心を配れば良い

自分の心の体のバランスを保ちながら
休み休み真面目になろう

と、微熱のある私が言うのだ。
結局のところ、意識しても真面目になってしまう。

不真面目を意識すぎるぐらいが、ちょうど良い。

そんな気持ちを持ちながら、今日も温かい布団に入り眠りにつこうと思う。

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