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時を感じること、感じても良いと思うこと

久しぶりに家族で旅行に来ると、
私だけではなく全員に時が経っているんだなと感じる。

姉の娘息子の成長、父母の老いを感じるのは、
切なくともありがたいことだと思う。

27歳を機に
時に対する認識が変わった。

これまでは、
「早く結婚しないと」
「若いうちに遊ばないと」
「挑戦をしておかないと」
と、
若いうちにやらなければいけないこと、だらけの毎日だった。
「未来がくること」に恐れを抱きすぎて、
今を生きていなかった、と思う。

そして、そういった焦りからくる行動や選択は、自分が本当に望むものではなかったりする。

未来の理想の姿をみすぎて、
「今」と「自分の想い」を置き去りにしていた。
未来は今の延長線上にあるのにも気づけなかった。

ただ、そう言った行動をしていた今を見つめ直す時間を持った時に、
「今の自分の想い」にフォーカスをして選択をすることがどれだけ大切かに気づいた。

そして、
時は必ずしも自分の選択肢を狭めるものではなかった。

時がたつ、ということを、
問題と捉えていたのは自分だった。
時がたつからこそ、今が幸せに感じられるのに、今に目を向けられていなかったなぁと振り返る。

さてさて、その「今」についてだが、
私はもしかしたら一般的な価値観でいう幸せの姿を持っていないかもしれない。

けれど、
今日家族と過ごす中で甥の成長や
父母のちょっとした変化を見る中で、
焦りを感じることはない。

寧ろ、時を感じられて嬉しい、よかったとすら感じる。

それは、
時が経つから今が幸せなのであって、
時は全ての人にとって、
後ろにバトンを繋ぐのに必要なものだと思えているからだ。

あと何回、同じ時を過ごせるかはわからないが。

時が過ぎ去るからこそ、
今この時を感じていたいと思うし、
その時の流れすらも大切にしたいと思える。

未来に想いを向けるのではなく、
今この時そばにいれることにありがとうと思いながら、残りの時間も過ごしていきたい。

冬の伊豆高原は、とても紅葉が美しい。
葉を色付ける時というものに感謝しながら。

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