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人から奪うのではなく、自分から愛すること


最近は眠たい日々が続いていた
どうにもこうにも、気力が湧かない

日々忙しく過ぎ去る中、
人との関係性、恋愛、
これからの人生をどう生きるか、
特に20代は「人生の転換期」が何度も訪れることから、悩みもがくことが多いように思う

そんな時には、自分の愛し方をわすれてしまう

SNSで幸せの正解を見るような毎日の中では、
結果としての成功しか見えないような毎日の中では、
自分が持っている才能や経歴があまりにちっぽけで意味のないもののように思える

誰かのようになりたい

なんて一切思っていない。
ただ、勝手に自分が自分を他人と比較してしまう。
これは目にする情報をシャットアウトしない限り、止められない。

そんな負のループの中だったが、
私の友人が「自分を愛する方法」を思い出させてくれた。
25の時に自分たちがやっていた方法を、
改めて言葉にして伝えてくれた。
私はそれに救われた。

今日はそんな
どうしようもなく自分を認められない人たちに、
そんな真面目で心優しく繊細な人たちに、
私の経験も踏まえて自分を愛する方法を記載する。

そもそも、なぜ自分を愛する必要があるのか

そもそもなぜ人は「人を愛する」ことの前に「自分を愛しなさい」と言われるのか。
これに関しては諸説あるが、私は2つ理由があると思う。

①自分の心は2つの領域に分かれているから

人から褒められているのに何故か苦しさが続く。
素直に受け取れない。
そんな経験はないだろうか。

それは心は「自分によって満ちる領域」と「人によって満ちる領域」に分かれているからだと思う。(私と友人はこれを50%理論と呼んでいる笑)

人によって満ちる領域は、言葉の通り他人からの賞賛や承認によって満たされる。
マズローの欲求段階説によると承認欲求は自分が未来どうありたいかをきめる「自己実現欲求」よりも強い欲求である。
人は誰しもこの承認欲求を抱えている。

ただ、この人によって満ちる領域は、
「人」によるので、常に満たされることはない。
時々少なくなってしまうことが、もちろんある。

一方で、自分によって満ちる領域は、
自分でしか満たせない。逆に言うと自分で満たそうとすればいつでも満たすことができる。

時々、穏やかに生きているだけで幸せそうな人を見る。そう言った人は大抵、「自分で自分を満たす」方法を知っている。
星野道夫さんの本に記載のあるエスキモーの人々が凍える寒さの中でも毎日暖かく充実した日々を送っているのは自分の心に耳を傾ける習慣を持っているためだろう。

自分によって満たせる領域を満たせている人は、
人から「承認」や「賞賛」をもらわなくても常に半分満ちている。
0になることがない。
だから、乾いているように見えず安定している。

逆に自分を一切満たせない人は、
自分を満たすために「人からの賞賛」や「愛」を奪おうとする。
そうしないと、自分が生きている意味や価値を見出せないからだ。

人から見たら誰もが羨む経験をしている人が、
「自分なんて」と言っているのはこのせいだと思う。(私もこの自分枯渇病にかかっていた)

こうして2つの代替不能な領域に分かれているからこそ、常に満たしている状態を作るには、自分を愛せないといけない。

②人の愛し方がわからなくなるから

2つ目の理由は単純で、
自分を愛せないと、「何が愛なのか」「どうしたら相手を満たせるのか」ということがわからなくなる。

たとえ自然と相手を満たす行動をしていても、
それが自分にできていないので、「相手を愛せているのか」分からなくなる。

相手は自分のことを大事に思ってくれているけれど、なんでそう思われているのかわからない。
自分はそこまで大事にできているとも思えない。

ということが自分に以前あったが、
それは他人に自分がしている行動を自分にしていないので、どれだけ喜ばれる行動かを自覚できていないからだった。

人から褒められたり、温かい言葉をかけられて不幸せになる人はいない。

あなたがそれを人にできているのなら、それは素晴らしいことだ。その素晴らしさを自覚しないといけない。

自分を愛せないと、他人を愛している自分の言葉や行動すらわからなくなる。
それが他人に伝わっていたとしても、
自分で自分を信じられなくなったりするのだ。

以上2点が、「自分を愛さないといけない」と思う理由だ。
ここから、ではどうやって愛するのかという方法を紹介する。

自分で自分を否定する言葉をかけることをやめる


ミスした時、うまくいかない時、「だから自分はダメなんだ」「どうせ自分は」と、他人には絶対にかけない言葉を自分にかけてないだろうか。
(私は自然と自分にかけていた。それも毎日10回以上。これは自覚すると非常に怖いことである)

これは自分の心を磨耗させる習慣である。

日本は人と足並みを揃えることを非常に求める文化を持つ国だと思う。
アメリカでは「You are Special」と言う言葉が多く用いられる一方、日本で流行するのは「空気を読む」という言葉である。

これに慣れてしまうと、「人と違う」というだけで自分を責める習慣ができてしまう。
頭で「自分は自分」とわかっていても、周囲がそうさせてくれないので、仕方ない。

また、空気を読むことを取り上げたが、それ以外にも社会では画一的に人を評価する文化が根付いていると感じる。

中高の教育では常に数学や国語という点数で測られ、社会に出ると業績という数字で測られる。

それをクリアできないと「できない」「ダメな人」というレッテルを貼られる。

普通に考えたら、人間が生存競争のために多種多様な特性を持つ人を残してきたのは当たり前のことなのに、何故か画一的なシステムで評価される。

これでは、その評価軸で「たまたま弱みがあたってしまったひと」が自分を責める習慣を持つのも仕方ない。

私は一度、「業績のためになりふり構わず営業をかけ続けられる人」と研修で比較をされるという経験をした。
さまざまなことに心のアンテナが働くことが私の特性なのだが、それはこの研修には一番合わない特性だった。

結果として数字を毎日比べられ、
「自分が悪い」「もっと鈍感にならないと」と自分を責める毎日を送った。

これにより、自分の心を0にしてしまう経験をした。(人からの承認も、この習慣によりどんどん減ってしまった)

まず、自分を愛する土台をつくるために、
この自分で自分をすり減らす習慣を自覚し、
やめないといけない。

これが実は本当に骨が折れる作業なのだが、
これを克服できると強い。あとはもう自分を認め満たすだけである。

先ず自分がどうしたいかを言葉にして、そのまま受け入れる

何かを決断する時、人といる時、
「あの人はこうすると嬉しいかな」と考えたり「何にしたい?」と相手に気付けば質問していることは無いだろうか。

これは本当に優しい習慣だと思う。人想いの人しかできない行動だ。
ただ、一方で自分を大切にしていない行動だとも感じる。

人は思ったよりも身勝手で自由だ。
ならもっと自分のやりたいこと思ってることに耳を傾けても良いじゃないか。
自分を縛っているのは自分でしかない。

そうして、自分の思うことを言葉にして、
やろうと思ったらそれをやれば良いし。
いや今日は人に合わせたい気分だなと思うのであればそれでも良い。

まず自分の思いを言葉にすること、これが大事だと思う。

ただ、自分が本当に何をしたいのかを知ることは、自分を受け入れることでもある。
言葉にして「あーそんな気分なのね」と受け入れることで、自分の心を大切にすることができる。

最近ITパスポートの勉強をしているが、
ある時問題を解くのがひどく大変で億劫だった。
昔だったら「自分はなんてダメなんだ」と卑下していたが、
「あぁ、今はそんな気持ちじゃないのね」と受け入れることで確かに休むことも大事だなと自分を否定することなく静かに本を閉じることができた。

相手を優先し続けると、本当に自分が何を望んでいるのかわからなくなる。そうして、自分の人生を自分で生きている感覚が薄くなる。
その前にまず自分の思いを言葉にしてほしい。

必ずも実行しなくて良い。
ただ、言葉にすれば良い。

まだまだ色々方法があると思うが、
この2つができるようになれば、自分の心をもっと愛せると思う。

わたし自身、この2つの習慣をやめてから心が楽になり安心できるようになった、
そして、いかに自分がこれまで自分を傷つけてきたかを知った。

こんなに大変な世の中だから、
毎日何が起こるかわからないから、
ただ生きているだけでも大変だから、
せめて自分だけは大事にしたい。
大事にしてほしいと思う。

宇多田ヒカルさんの曲の中に「Pink Blood」という曲があるが、その中で「自分の価値もわからないような、人に大事にされても無駄」とあるが、
まさにその通りだと思う。

他人は100%その人の価値を知っているわけではない。どこか断片的な情報でその人を判断している。

自分を一番に理解しているのは自分だから、
人から奪うのではなく、
まず自分を愛しにいきたい。

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