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「面白いフィクション」が溢れる世界だからこそ、「つまらない事実」を大切にしたいのです。

というツイートがバズって、私が常日頃から思っていたことを引用RTで載せたところ、こちらも少々バズった。

「極少数」は言い過ぎたね。反省。

でも、学校の同級生や同僚とかと知り合って、友達になって、両思いになって、告白して、付き合って、結婚して…なんて人は、全体を見るとやっぱり少数だと思う。

仮に友達からでも、片方は完全に「好き♡」の状態で告白するけど、もう片方は「あー、良い人だし付き合ってもいいかもなー」くらいの温度感で付き合うことになったりね。

なお、私のツイートの趣旨は以下の感じ。
(noteは誤字脱字を修正できるし、文字数制限がないので誤解なく私の意図することを伝えられるから好き)

ちなみにTwitterでは文章が読めない人が大量発生しているけれど、下記のツイートは「デミロマではない人」についての話であって、デミロマの人は対象ではない。

デミロマじゃない人に「恋愛の形に正解とか不正解とかないから、もっと肩の力を抜いてハードルを下げて気楽に出会って恋愛してもいいんじゃない?」と伝えたいのが下記ツイートの主題。

なので下記を読んで、デミロマンティックを自覚してる人がお見合いとかマチアプとかを無理してやったら精神を病んでしまうので、推奨はしない。

しかも、今回のnoteの本題はデミロマンティックのことではなくて、タイトルの通り、最近の社会は「面白いフィクション」がさも事実であるかのようにのさばすぎてないか?という話

なんのこっちゃと思うかもしれませんが、順を追って説明するので、まあ読んでください。

「知り合う→友達になる→好きになる→両思いになる→告白する→付き合う→デートする→結婚する」
というフローチャートで生涯の伴侶を見つける人って少数派なんだけど
漫画やアニメやドラマや映画などのフィクションで描かれる恋愛は大体この形だから、まるでこのフローチャートが「普通」であるかのような誤解が世の中に生まれまくってるなーと思う。
※「フィクションはこのフローチャートでの恋愛を描きがち」という話であって、「このフローチャートはフィクションです」ではない。誤解のないように。

けれど実際、伴侶を見つける人の多数は
「知り合う→好きになれそうだと思う→会話やデートなどをして関係を深める→付き合ってみる→好きになる→結婚する」
だよね。

こう書くとナンパとかマチアプとかを想起する人もいるかもしれないけど、お見合いとか合コンとか友達や家族からの紹介とかも、「友達」や「両思い」という過程を交際までの間に必要としないので、後者のフローチャートに該当する。

仮名として、前者のフローを「お友達からフロー」、後者のフローを「とりあえす付き合ってみるフロー」と呼ぶ。

フィクションに触れる回数の多いオタクは特に、お友達からフローの方を「常識」だと勘違いしがちだけど、よっぽど人気者で異性の友人が複数いるような人でない限りは、
ただの「モテない上に恋愛コストが人一倍高く、実践経験が少ないのでコミュニケーション力が弱い人」になってしまうから本当に気をつけたほうがいいと思う。

なんでこんなこと言うかって、私がまさにこのパターンに陥ってしまった1人だったから。
無駄に恋愛のハードルを上げた結果、初彼氏を作るのが21歳になった過去の私のような人に、「同じ轍を踏まないでくれ」と言いたくてこれを書いているようなもの。

なのでこれはデミロマンティック者を否定するわけではなくて「フィクションはデミロマンティック的な恋愛を常識のように描くけど、デマロマンティックではない人がフィクションの影響で『お友達からフロー』を常識だと誤解して恋愛のハードルを上げて、お付き合いのチャンスが自然発生するのを受け身で待っていると、年相応のコミュ力を鍛える機会を逃して生きるハードルが跳ね上がるから気をつけようね」って話。

確かに、学校なら「友達になる→好きになる→告白する→付き合う→結婚する」はよくある。だから学園ラブコメものなんかはお友達からフローで展開される。

現実世界でも、学生時代からモテてきた人は同級生と結婚することもあるし、ホワイト高年収の企業に就職した人なんかも同僚と結婚したりする。

なので「お友達からフロー」は、基本的に異性の友人が多い人気者、モテる人、優秀な人の話だ。
もしくは、逆にお互いに交友関係が狭く、わざわざ広げる必要性もあまり感じず、既存の関係の中に丁度いい相手がいたから結婚に至ったパターンだ。
やっぱり、どちらも大多数ではない。

どんな人とのどんな形での友情が上手くいくかは、よっ友から親友まで、いろんな人といろんな形で友情を築いてようやく見えてくるものだ。
恋人も同じで、
「自分はどんな人と一緒に過ごすと心地いいか?」とか
「どんなセックスが楽しいか?」
なんてやってみないとわからない。
どんな人とどんな形で恋愛すると上手くいくかは、いろんな人とデートをしたり、付き合ったり、別れたりしないとわからないもの。

それにサンプル数(今まで行ったデートや、かつての恋人たちとの経験)が少ないままでいざ婚活を始めると、相手を選ぶ基準にするものが「自分の経験」ではなくて、「顔や年収などのスペック」になってしまったり、比較対象がいなくて結婚を前に「この人でいいのかな?」と悩んだりしてしまう。

しかも「恋人候補として見られる振る舞い(つまりモテる振る舞い)」というのは、モテる振る舞いが生来できる人以外にとっては、1回誰かの恋人になって初めて開放されるアチーブメントだ。
(そして「モテる振る舞い」が生来できる人は同性にも異性にもモテるので、お友達からフローで順調に同級生や同僚と結婚しがち)

そこを早めに解放せずに結婚を求めると「自分に合ったタイプがわからないのでスペックで恋人候補を探すけど、魅力的にふるまえず選ばれない。万一選ばれたとしても、比較対象がいないので、『この人でいいのかな…』とマリッジブルーになったりする」という状況になってしまう。

軽い気持ちで付き合ったり別れたりを繰り返す人のことを不誠実だと思う人もいるかもしれないけれど、経験が少ない故にスペックで人を見極めようとするがよっぽど不誠実じゃないのかな、と私は思うわけで。

ちなみに、引用リプなどではとりあえず付き合ってみるフローのことを、「マチアプが出たことによる最近のフローチャートだ」と思ってる人が散見されたけど、実はそうではなくて「お見合い」「縁談」というかなり伝統的な出会いこそがこのフローチャートだったりする。

むしろ「知り合う→友達になる→好きになる→両思いになる→告白する→付き合う→デートする→結婚する」というお友達からフローチャートこそ最近のフローチャートである。
たとえば同級生との結婚は、高校・大学にみんなが行くようになり、結婚適齢期まで「同級生」と過ごす人が多くなったことで増えた形だ。
同僚との結婚も、女性が会社で男性と同じ立場で働き男性と多く関わりを持つようになったりなど、高度教育の一般化や女性の社会進出によって増えた形だ。
(かつての女性がお茶汲みの時代は共に苦楽を乗り越えて信頼関係が築かれるほど男性社員と女性社員の関わりが多くないので、実質的にはやはりお見合いフローチャートに近い)

前置きがめちゃくちゃに長くなってしまった。

ただ繰り返し言うけど、今回の本題はデミロマンティックのことじゃなくて、

最近の社会は「面白いフィクション」がさも事実であるかのようにのさばって、そのせいで事実にたどり着くために無駄に遠回りさせられている人が多すぎないか?ということ。

しかも人生の時間は有限なので、自分の意思による遠回りは無駄にはならないけれど、「フィクションによる無駄な遠回り」は割と人生を詰ませるという大問題がある。

フィクションを鵜呑みにして「さして好きでもない相手と付き合うなんて汚らわしい!友達になって中を深めて両思いになって告白、そんな恋愛こそが素晴らしいのだ!😣」
なんて価値観を内面化させた結果、21歳まで彼氏ができなかった私のように。
(自然発生的な恋愛にこだわったあの時間、本当にもったいなかつた。無駄に5年も片思いせず、とっとと誰かと付き合えばよかった)

面白いフィクションが常識のようにのさばってしまうのは「民主主義的な資本主義経済社会」のかなり大きな欠点だと思う。

どういつことかというと、
「面白いフィクション」は当然面白いので、たくさんの人の支持を集める。
そしてたくさんの人の支持は、民主主義社会では大きな力を持つ。

例えば「なんか良さげな人だったからという理由で順当にお見合い結婚する2人の話」よりも、「色々な障害を共に乗り越えて絆を深めて結婚する2人の話」の方が人々には支持されるし、支持されるので売れる。売れるので、みんなそういう作品を作る。

で、そういう作品ばかりになると、さもそれが「正しいこと」であるかのような誤解が人々の間に生まれる。

「上辺の恋愛ばかりしてきた男が、苦楽を乗り越えた女と真の恋に落ち結婚する」とかね。
こういう話は「苦楽を乗り越え育む愛」を輝かせるために「上辺の恋愛」を悪として描いているけれど、本当は決して愛や恋に真とか偽とかないし、上とか下とか善とか悪とかない。

別に出会いが同級生でも幼馴染でも職場でもサークルでもナンパでもマチアプでもお見合いでもセフレでも、結果として幸せになれればオールOK。
それが現実だ。

上とか下とか、善とか悪とか言った方が金が儲かるから制作会社がそう言ってるだけ。
騙されることなかれ。
ってことを私は言いたくてあのツイートをしたし、このnoteを書いている。

ていうかそもそも結婚するためには恋する必要すら別にない。
繰り返すけど昔から「良さげだから」という理由でお見合い結婚をしてるし、もう少し遡れば「家が強くなるから」なんて理由で縁談が持ち上がったりしている。

現実世界で実際にけっこう実害を出している『面白いフィクション』の例をもう一つ出してみる。
「今時は30代後半で出産したってなんの問題もないよ!普通だよ!」というタイプの女性エンパワメント。

このフィクションは大変支持をされて、芸能人やハリウッドセレブなどの人気商売の方たちも人気を得るために便乗し、民衆も一気にそんな空気に包まれた。
するとここは民主主義社会なので、会社も世論に合わせて、「女性も20代は一生懸命仕事してキャリアを積んでから産休に入ろうか」というロールモデルで運営を始める。

けれど事実として、30歳を超えると妊娠のリスクは上がる。
どんなに世論が盛り上がっても、それは変わらなかった。

そして「今時は30代後半の出産はなんの問題もない」という"面白いフィクション"を事実だと誤解して立派に仕事を頑張った女性たちの中から、不妊治療を頑張るハメになってしまったり、子どもの特性に悩む人がたくさん生まれてしまった。

「今時は30代後半に出産したってなんの問題もないよね!(面白いフィクション)」が「30歳超えての出産はリスクが高い(つまらない事実)」を凌駕した結果、多くの人に実害をもたらした。

インターネット社会で「面白いフィクション」はどんどん加速している。

「面白いフィクション」は民主的に、そして資本主義的に、私たちの常識をいつも狙ってくる。
意識的に「つまらない事実」を見極めて守る努力をしなければいけないな、と思う。

オチないので、代わりに最近感じた「つまらない事実」をいくつか書こうと思う。

・35歳超えての妊娠出産はリスクが高い
・初恋人は10代のうちに作った方がいい(その後の恋愛全ての基準になるので)
・取引先や会社の呑み会は業務を円滑にして仕事を楽しくするために必要
・ある程度の出社は必要(フルリモートは非効率的)
・人生は、結局コミュ力と体力と筋力(なので運動部は強い)
・選択肢は増えるほど選べなくなる
・愛はある程度のお金がないと守れない
・お金があると心に余裕が生まれる
・早寝早起きは人生を豊かにする
・運動部の経験はしておくに越したことはない
・運動部出身は社会で重宝される

などなど…
はーーー、気をつけよ。

(おまけ)
このnoteを読んだ友人からメッセージいただいて、その内容が私よりもずっと上手く私の言いたいことを言語化してくれていたので読んでください。

今日もおつかれさまです。
次の記事でまた会いましょう♩




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