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空知英秋は考えてるよ、という話をするから銀魂の誤解を解かせて欲しい【前編】

という思いで、今回文を書きましたした。

結論から言いますと、このタイトルで語られている銀魂への誤解とは大きく2つです。

①銀魂はギャグ漫画

②銀魂はなんでもアリ

これに対して、銀魂はストーリー漫画であること。銀魂はなんでもアリではなくルールがあることを、いち読者の視点からこのnoteでは説明していきたいです。

というのはですね、「あるクリエイターがその人自身の無知ゆえに糾弾された時、空知先生及び銀魂が引き合いに出される現象」に、いち銀魂ファンとして非常にモヤモヤする思いを抱えておりました。具体的な例を出すと、例えばこんな意見。

「この程度の描写で女性差別だのコンプラだのと騒いでいたら、下ネタだらけの銀魂はどうなるの?w 観たら卒倒するんじゃない?w」

「まあ空知のアシスタントなんだから女性蔑視してても納得」

「銀魂に差別がないとか笑う。それ以上の問題がいろいろとありそうな作品だけど」

「空知そこまで考えてないだろw」

うーん、偏見!

銀魂って、凄ーく誤解を受けやすいマンガだなと思います。「何でもあり」「下ネタだらけで下品・下劣」「何も考えずに楽しめる」などなど…。「ギャグは面白いけどシリアスはつまらん」なんて意見もありますね。

でも私は、銀魂という作品は「ルールがある」「いやらしい下ネタはあるが卑しくはない」」「作者の思想がゴリゴリに描かれてる」「ギャグとシリアス、併せて"銀魂"と言う物語であって、どちらが欠けても物語が成立しない」と思っています。それを知れば、銀魂の見方も少しは変わるんじゃないかな、変わって欲しいな。そんな気持ちです。


まず一つ目の誤解について。

銀魂はギャグ漫画ではありません。

銀魂はSF人情なんちゃって時代劇コメディーストーリー漫画です。


銀魂のギャグって確かにめちゃくちゃ面白いんですよね。空知先生のコメントも同様に。だから"コメディ"の部分が一人歩きしがちなんですけど、でもそれって銀魂の一部分であって、全てではないんです。

例えば『進撃の巨人』の巨人とのバトルシーンって圧巻じゃないですか。でも「エレンたちの人間ドラマとか小難しい差別問題とかそういうのつまらんからずっと巨人と戦ってろよ」と言われるとモヤッとするのではないでしょうか。バトルシーンが「進撃の巨人」の主軸かと言われると、ファンの方は頭を捻るかと思います。「いやいや、それもいいけど伏線の張り巡らされた構成や、人間ドラマ等の物語が良いんだよ、わかってないなぁ」と。

私が銀魂への認知に抱えてるモヤモヤはそういうものなんです。「ギャグだけやってろ」と言われると「ギャグとシリアス、併せて"銀魂"と言う物語であって、どちらが欠けても物語が成立しないんだよなあ」と。

でも進撃に対して「バトルだけやってろ」みたいな人って少ないですよね。それは、進撃の巨人は全巻通して一貫した"物語"になっている、という認識を多くの人が持っているからです。

でも銀魂はそうではない。基本数話完結の小話集だと認識してる人が少なからずいると思うのです。四天王篇前後から見てない人、将軍暗殺篇前後から見てない人、手をあげてください。

銀魂を数話完結の短編小話集として見るか、全77巻の長編物語として見るか。ここが銀魂への認知の大きな分岐点です。

銀魂をいち物語としてではなく短編小話集として見たい人。その中でもとりわけギャグで笑いたいだけの方にとってはそりゃあシリアスは邪魔でしょう。長いし、説教臭いし、作者の思想がだだ漏れだし、笑えもない。でも銀魂全編を通して観ると、あれはギャグに至っても説教臭い漫画なんですよ。なぜなら一貫した物語だから。一見各話が独立してるようでも、全部繋がってるんです。

どういう事?とお思いでしょうが、それについての説明はこちら↓

だから「銀魂はギャグは面白いけどシリアスはつまらない」という人、そういう人は「進撃はバトルが面白いのであってストーリーはつまらん」と言ってるようなものなので、単に銀魂が向いてない可能性があります。

「人生論を説教されたくない」という人や、「差別やコンプラなんて面倒そうな事は考えずに楽しみたい!」って人とは本来あんまり相性が良くない作品だと思います。

というか、「差別やコンプラなんて面倒そうな事は考えずに楽しみたい!」と書きましたが、これって矛盾してるんですよね。

差別やコンプラを作り手がちゃんと考えていないと多くの人が面白いと思える作品って作れないので。


映像研の作者である大童先生もこう仰ってますが、気を使わないとこういう事って往々にして起こってしまうんですよね。無知故に配慮が足りなかった…というか配慮をしていない事にすら気がつかないパターンで問題が起きる、という。

篠原健太先生の炎上とか、ヒロアカの丸太問題とかは正にそうです。

ちなみに銀魂でもそのような問題は起こりましたが、その場合はすぐに謝罪して取り下げ変更という対処がなされました。

人間関係でもそうですが、知識が無いと、無意識に・そんなつもりがなくても人を傷つけてしまう事はよくあります。

そんな意図しない炎上を回避するのに必要なのは、知識です。大童先生は"人種や宗教グループ"や"差別"の知識があるからこそ、これは隠喩になってしまうのでは無いか、と気づいて事前に取り下げることができました。


逆に、差別やコンプラなどの気遣いをあえてしていない作品もあります。例えば小林よしのり先生の『ゴーマニズム戦論』とか山野車先生の『マンガ 嫌韓流』が挙げられます。

そう言った作品は一部の人には支持されるけど、決して大衆には受け入れられません。なぜならこれらは誰かを傷つける事や、社会的道徳に反する思想(差別や極端なナショナリズムなど)を助長する可能性を内包して発される作品であるからです。

つまり「面倒な事は考えずに楽しみたい」というのは、突き詰めれば「あえて気を使わずやりたい放題してる作品を楽しみたい!」ではないでしょうか。

でも、残念ながら銀魂はそうではありません。

空知英秋先生は差別や社会的偏見、ジェンダー役割等々のコンプラや差別問題を凄く考えて気を遣っている人だと作中の描写から感じる為です。

考えていなかったら、星芒教の時も変更したら謝罪したりしないですよね。

それについて、作中の描写など実例を交えて語ろうと思いましたが、ちょっと記事が長くなりそうなので、2つに分けます。

続きは後半で!


⭐︎Special Thanks⭐︎

この記事を書くきっかけになった記事です!


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