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【仕事終わりに疲れてしまう薬剤師必見!】慣れすぎてない?エネルギーを吸われることに。

大学に入ってはじめに学部長から言われたこと。
それは、「患者さんは、社会的弱者である。私たちは、日々学び、研鑽を通じて奉仕すること。死ぬまで勉強の世界にようこそ。」
この言葉が、ずーーーーーーーーーっと私の心に刺さっています。
言葉通りにうけとってしまった私の責任ですが。

社会的弱者。確かに、
・医療費が高い
・お薬代が高い
・病院行けば待たされる
・薬局でクドクドと同じ話をしなければならない
など、今の医療は問題が多いかもしれない。
でも、そもそもこの社会的弱者という考え方が、間違っているのではないか?というのが、今の意見になりつつあります。

これを、下の3つの事柄から考えて行きます。
今日の目次です。

1.「患者さん=社会的弱者」は正しいのだろうか?

社会的弱者とはこうある。
(出典:コトバンク)
雇用・就職の機会や人種・宗教・国籍・性別の違い、あるいは疾患などによって、所得・身体能力・発言力などが制限され、社会的に不利な立場にある人。

この表現からわかることは、疾患によって、QOLが低下している患者さんを、社会的弱者という。(そのように対応するかは別として)
弱っている時に、優しくされること。
これを患者さんたちは望んでいるのでしょうか?

確かにその時は有難いのかもしれません。
しかし、私たちが施すことで奪ってしまうものがあるものもあるということに気付くべきなのです。

正直、療養が必要になって、それを受けることができた。
その時点で、実は、人生のギフトなんじゃないか?と感じるときもある。
自分を見つめなおす時間が与えられ、
その解決のために、さまざまな環境が用意され、
人生の選択肢・岐路を自分で選択できる。

病気になって、後遺症が残るかもしれない。
それでも、視点を変える術を身につければ、
これが人生の意味を変えるということにもつながります。
このイベントが、幸になるかどうかは、個人次第です。

2.私たち医療者は、社会的弱者として接することは間違いではないか?

前述の、定義の通りだと、私たち薬剤師が日々薬局でお薬をお渡しする患者さんは、社会的弱者ではないのかもしれません。
もちろん、研鑽は自分のために必要だからすべきことです。
でも、過度に「助けてあげることが、私たちの仕事」と思う必要はないのです。

そもそも、私たちの仕事は、どこまで行っても自己満足でしかありません。
少し大袈裟な表現をしますが、

・他の同僚との違いを見せつけて、患者さんにファンになってもらう。
・職場内で、価値ある存在と見せつける。
・助けた気持ちで自己満足を得る。

これら全てを一通りした結論がこれです。
患者さんからの依存を生み。
職場内のバランスが崩れ。
自分のエネルギーが奪われていくからです。

患者さんからの依存を、自分の人気とはき違えている時すらありました。

最近思っているのですが、
仕事をする上で、エネルギーを奪われ、仕事終わりにヘロヘロになっていることが多いのです。

これは誰に配ってしまっているのでしょうか?奪われているのでしょうか?

3.エネルギーという観点からみた、仕事上での本来あるべき形とは?

エネルギーは、「交換できるもの。」という法則があるとして。
オーバーワークで肉体疲労が・・・。
という状況は別として。

自分のエネルギーは、自分で満たせることが大切。
補中益気湯を飲めば済むのかは知りませんが。
少なくとも仕事終わりに自分のエネルギーがなくなるから、仕事が終わって疲れてしまうのです。

これ、まだ確証はないのですが、
エネルギーは、自分で配るって決めて配っているのではないでしょうか?

患者さんへの対応。
職場での価値の証明。
自己価値を高めるため。

つまり、「助けている」という自己満足の感情を対価に、エネルギーを配ってるのではないでしょうか。

心配という意味でのエネルギーを分け与えて、
自己価値を他人から埋めてもらうという負のループに陥っているに過ぎません。

自分たちには、そもそも価値がある。
これを腹の底から理解している必要があるのではないでしょうか。

明日以降、また評判がよければ、このエネルギーの守り方についてお話ししていければ
思います。

身体を蝕まないためにも、仕事の力の入れ方、一緒に見つけていければ幸いです。

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