アニメを見て思うこと:なぜ女だけつまづいて転ぶの?
ダンジョン飯でも、マッシュルでも、2024年のアニメでも見られることだが、女キャラクターが何もない地面でつまづき、それを男キャラ(主人公)が手を貸すシーンを何度見たことがあろう。あるいは、少女漫画などで、ドジっ子の女性を表すためにつまづいてドテン!というパターンもある。この描写は本当に普遍的で、それはもう道端に落ちているガムのように当たり前のように描かれている。しかし、私はジェンダー学をちょっとかじってしまったものだから、どうしてもある性別のアンバランスに気づいてしまった。なぜ男キャラがつまづかないのだろう?
どうして敵や危険から逃げている時にいつも女性が逃げ遅れているのか?なぜ女性は自分で立ち上がれないのか?なぜ男のドジっ子はいないのか?ここには深層心理で性別に対するイメージが影響しているに違いないと思った。
まず考えるのは、家父長制が定めた、男女のイメージだ。ジュディス・バトラーの言葉を借りると、男は「持つ者」、女は「持たざる者」なのだ。何をというと男根なのだが、もちろんそんなの目で見てわかるよというほどそのままの話ではない。
男性はアビリティ(能力がある)つまり力や権力を持っている、その象徴としてのファルスがあり、女性はinability(能力がない)、つまり力や権力を持たない、これが家父長制度のぶっちゃけた内訳であり、学校で習う封建制社会などと同類の社会のルールだ。わかりやすく言い換えれば、あるいはもう少し一般的な説明で言えば、家長が家族全員に対して支配権を持つ家族形態である。家族が集まれば国家になる、逆に国家を細かくすれば家族になるから、家父長制というのは、一個の家の個人的な決まりではなくて、一つ一つの家で、あるいは会社や行政規模、政治規模になっても、どんなスケールの「社会」でも同じものが見られる、みんなに分配されている仕組みなのだ。女性がお茶を組んだり、ご飯を作るのは、女性にそういう期待がされている根本的な背景として、男性が一家の大黒柱であるから、一番偉い。だから女性がそれを立てるというのがある。男尊女卑が起こる理由としては、ただ男性が上で女性が下なのではなく、女性は男性を立てる役なので、だから女性の方が「下」なのだ。
女性キャラが転ける話に戻ると、女性には男性のような力がなく、自分でなんとかできないので、男性主人公の力を借りるしかないのである。何度もいうが、これは女性の体に起き上がる力がないという身体能力の話、そのままの話ではなくて、メタファーの意味だ。男性は力のない女性を助けることで存在意義が認められる。女性に対してパワーを上回ることで、男性性の強さが証明され、自分のアイデンティティに補養するのだ。また、ドジっ子のコケる描写で、なんか抜けてるところがある性質を表すのも、あるいは男性キャラのドジっ子がいない理由の説明でもあるが、女性は傷ついたり、泣いたり、感情的になったり、何かができなかったり、弱かったり、抜けている部分を出しやすいのだ。家父長制的には、男性は社会を支配するのだから、男らしさにおいても、社会的な期待も大きい。男は強くなければいけない。だから人前で弱さを見せられない。コケるというのはみっともないこと、恥ずかしいことなので、そういうことは描写できないのだ。でも、女性なら「自然」だし女性「らしい」ことなのだ。なぜなら女性は持たざる者だから。女性は弱く、傷つきやすく、感情的になりやすく、男性より勇敢に戦えないのだ。間違っても誤解しないでほしいが、これは私が大変男女差別的なことを思っているということではない、これは日本社会に蔓延っている男女のイメージである。もちろんこういう形で直接的に思っている人はいないだろう。でも、「女の子だったら泣いちゃうんじゃないの?」「女の子には酷だよ」「女の子なのにやんちゃだね」「女の子なのにゲームするんだね」これらの類の言葉ならよく聞いたことがあるのではないだろうか?これらは、さっき言ったことの、実写化バージョンみたいなものだ。だが、極めて中立的な視点であらためて聞いてみると、なぜ女性だと辛いことに耐えられないというふうに思ってしまうのか、なぜ女性は困難なことに立ち向かうことが難しいと思ってしまっているのか、なぜ女性が男性もやっていることをするとものすごい異端扱いするのか?と、このような疑問にたどり着くのだ。女性だけがコケる描写は、男性作者が無意識に、女性作者でさえもこの家父長制の物語を内面化したことで書いていることだと思っている。
だが女性からしてみれば、なんとも腹立たしいことではないだろうか?もちろん女性が転ける描写は最近ではあまり見なくなったし、女性が男性に助けられてばかり、というのも見なくなったので、いいことなのだが、それでもマッシュルやダンジョン飯のように最新のアニメで、このような描写があるとああ、やってんなと思う。こんなジェンダー平等の時代に、まだこんなことを平然とやっているのかと。
反対が見てみたい。男主人公がつまづき、女キャラが手を貸すところを。今度は強い女性を描くと同時に男性の弱さや脆さを描けばいいのだ。そして今はそのような描写が増えている。アニメでジェンダー平等とか男女平等などというと、アニメに政治を持ち込まれたと思って嫌悪感を抱く人がいるが、同時に男女不平等には不満を抱いているはずなのだ。まずはアニメから解決したらどうか?反対にするだけ。こんな単純で簡単な表現方法で解決できてしまうのだから、ジェンダー表象の問題に関しては、もっとオープンに語られるべきだろうと思う。