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アニメを見て思うこと:なぜ女だけつまづいて転ぶの?

ダンジョン飯でも、マッシュルでも、2024年のアニメでも見られることだが、女キャラクターが何もない地面でつまづき、それを男キャラ(主人公)が手を貸すシーンを何度か見たことがあろう。それは本当に健気なもので、道の木に生えているキノコのように見過ごされている。しかし、私はジェンダー学をちょっとかじってしまったものだから、どうしてもこの性別のアンバランスに気づいてしまった。なぜ男キャラがつまづかないのだろう?どうしていつも敵や危険から逃げている時に女性は遅れていて、そして逃げられないのだろう?この深層心理は何を表しているのだろうか?

最も簡単なのは、家父長制及び、男尊女卑のためである。女性はinability(能力がない)であり、自分でなんとかできないので、男性主人公の力を借りるしかないのである。男性は力のない女性を助けることで存在意義が認められる。女性に対してパワーを上回ることで、男性性の強さが自重され、自分のアイデンティティに水をやる。なんとも腹立たしいことだ。いい加減女を出汁にしていいところを演出するのはやめてほしい。こんなジェンダー平等の時代に、まだこんなことを平然とやっているのは時代錯誤だ。反対が見てみたい。男主人公がつまづき、女キャラが手を貸すところを。ジェンダー平等とか男女平等などというと、そういうきな臭い話が嫌いな日本はタブー視し、カーペットの汚い裏がわにしまおうとするが、こんな単純で簡単な表現方法で解決できてしまうのだから、ジェンダー表象の問題に関しては、もっとオープンに語られるべきだろうと思う。

例えば、龍が如く8(まだ未プレイ)だが、ジョブを男女で分けているところには呆れて白目になってしまった。しかも、男性専用ジョブは、サーファーやガンマンなど、アドベンチャラスで、自由を謳歌するような、外で活躍するものが多いのに対して、女性は家政婦(huh!?)、フラダンサーなど、性別の固定観念もハナハナしい。重要なのは、家政婦やフラダンスをやめろということではない。男性のバトラーもいるし、ハワイとかオーストラリア、ニュージーランドみたいなオセアニア州に行けば、男性もフラダンスみたいな民族の踊りをやっているので、単に桐生さんも家政婦をできるようにすればいいだけなのだ。なんの問題があるのか?

必要なのは、職場の多様性ではないだろうか?日本では海外みたいな人種の多様性は無理だろうから、まず女性をゲームの企画開発にもっと入れることをしてほしい。多様性がある職場の方が、男性ばかりのところよりもパフォーマンスが上がるという研究もある。できればADHDやASDなどのニューロダイバーシティの人々(私)も雇ってほしい。

日本の変化の遅さは異様だが、イギリスの変化の速さも異常である。 たった3年前にCBTが市場販売許可されたのに、ドラッグストアへ行けば、棚にズラーと並び、ファストフードやスーパーでもCBT入りの食べ物が売られている。私は日本の教育でドラッグはなんでもダメ!!と教えられてきたので、なんてカオスな国なんだ、と思ったが今ではCBTの効果を絶賛していて取りたがっている。

なので変化の速さがちょうどいい国なんてない。それは文化なのだ。日本は今も鎖国体質なので、変化の早い英語圏がリードする資本主義世界には不利かもしれないが、いつかアニメで男が転ぶ日を屈伸をして待っている。


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