見出し画像

現在のわたし

今後noteに書こうと思っていることは、当時誰にも見せずにメモしていたものを再編集して載せようと考えていて、当然現在の自分とのタイムラグがあります。

1年前にAC、または毒親というものと初めて対峙した直後のものもあるので病んでいて、悲観的な時もあって、正直に言ってハッピーな気持ちになれるものは少ないと思います。
足掻いて、考えて、やっと受け入れて、それでも揺り戻しが起こって、また受け入れて、理解して、癒しての記録なので。

そして私はお金がないことを理由に(住んでいる県に保険適用のカウンセリングルームがない)カウンセリングを受けることをしなかったけれど、同じような状況の誰かが私のnoteを見ていたら迷わずカウンセリングを受けることをお勧めしたいと思います。

自分1人で自分の過去や自身に対峙する作業をしてACを克服しようなんて、実際にやってみて本当に無謀だなと実感しています。
自然に湧き上がってくる怒りや悲しみの感情は絶対にプロに受け止めてもらった方がいい。
実は1年間の勉強のうち半年以上は、湧き上がってくる感情のやり場がわからなくて、まずもって勉強にもならなかった。ただ情緒不安定の中で耐えるしかなかったし、それは場合によっては精神状態が悪化してしまう。
プロと共に進めた方が、孤独も感じることなくそして回復も早いです。

なので私の当面の目標はお金を貯めてカウンセリングを受けることです。
そして人と繋がって対話して、安心の中で自分の思いを話してみたい。
人と対話する恐怖への勇気とお金を振り絞って、です。笑

そして現在の私はといえば、ずいぶん遠回りはしたけれど母に対して湧き上がってきた怒りに苛まれることはなく(たまにはあるんだけど飲み込まれはしないくらい)
自分がどうしてこうなったかの理解も深まり、それを認めて自分を癒してあげられるところまできたと思っています。

癒せることがわかって、じゃあこの次は自分のありのままで思ったように生きたいなと自然に思えるようになりました。でもそれには今まで親から受けとった間違ったメッセージ(スキーマとも呪いとも)でなかなか一歩前に踏み出す勇気が出なかったんです。

それが間違った認識だと頭でわかっていても、実際に行動にすぐ出せるかと言ったらそうではなかった。今までそうしたことがなかったし、どうしたら具体的に私はちゃんと生きていると実感するのか分からなかった。
もっと自分を癒せば生きたいように行動することができる?うーん、癒しは多分日々するものであってそうではないかなぁ? などと、散々考えた末
今は「ACT」と呼ばれる方法を勉強して試しています。

これもまた完全に独学で、実際自分がどこまで理解できているのか不安になったりはするんですけど、この方法は今の自分のニーズに合っていて、自分にはとっても合っているかなと思えています。

認知行動療法と似ていて(派生?第三世代とも呼ばれる)
実際に行動してみて体感するのですが、散々内に篭ってばかりで恐怖で何もできなかった私が今はいろんなことしてみてるんですよ。
すっごく怖いけど、その恐怖と共に動いて体感して…と、まだとても挑戦した!と大見栄を張れるようなことはしていないけれど、
なんとなくなんとなーく小さいことからチャレンジをしてみています。
そしてACTに対する理解を深めています。

実は自分のことをnoteに書いてみるのも、そのチャレンジの一環です。
自分の恥じるべきと思っていたことを公開するのはやっぱり少々怖いです。
でも怖いけれど正直にいうと書きたいんです。とっても毎日を苦しく生きているどこかの誰かに、こんな人間もいるよと伝えたいんです。

だから今現在(2023年9月)の私はとても元気ってわけでもないけれど、前向きではあります。チャレンジに対する意欲もあります。
自分を大切に思って癒すこともできます。

繰り返し繰り返し
これから母と私のこと、それによって起きた出来事を書きたいと思っていますがそれは今の私がじゃなくて、当時の私の(大事な)思いです。
時系列がおかしいかも分かりませんが今現在の私に対する精神面の心配には及びません。

私はいつでもACで苦しむ方がいなくなるように願っています。
そしてネガティブを排除し、ポジティブたれと風潮する世の中が一刻も早くあるがままを受け入れる社会になりますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?