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私と母 1

父は私が生後8ヶ月の頃に亡くなった。
私にとって父の存在は最初からいない人と同じで、いないことで寂しいと感じたことはひとつもなかった。

ただ、父がいなくなったことで家の様子がおかしいのだということは幼いながらに感じ取っていた。
だから「父というものがいれば今頃はどうなっていただろう」と思いを馳せることは多々あった。


私と母との間に起きた出来事のひとつひとつを数え上げればいくら挙げてもキリがない。
エピソードを並べて母の人格を攻撃することはこの場でいくらでもできる。いつでもやろうと思えばどれだけでも書ける。

しかし今私が言いたいのは、報われなかった母への愛情を大人になった今でも持ち合わせていて、諦められなくて、だから苦しかった。
ただそれだけだった。


ACについて調べるまでは考えもしなかったが、どうやら私はネグレクトされて育ったようだった。
定義上はそうなるのだろう。

「それ」を感じることがどれだけ悪いことであるか母から散々と教え込まれたので
私は「それ」に対してあたかも最初から持せていないかのように振る舞って生きてきた。

でも今なら言える。
私はずっと寂しさの塊だった。



小さな頃から手を変え品を変え、母の視線がこちらに向くように必死だった。
そうだったなぁと思えたのはACの勉強をし始めてからのことで、当時の自分は無意識でやっていたのだと思う。

「寂しい」「遊んで」「構って」「辛い」とストレートに伝えれば、
お父さんが死んで私がどれだけ大変か分かるかという態度を取られる。
お父さんがいればあんたにこんな思いをさせなかったのにねと悲しみを漂わせてくる。
あんたの為に必死で働いているのにわがままだと突き放される。
心の弱いあんたが全部悪いと罵られる。
意識をどこかに飛ばして何も聞かない態度をとられる。

だから私はいつからか母親に単純な方法では物事を伝えることを諦めてしまった。

それはとにかくおどけて見せたり、はたまた激しい怒りをぶつけて見せたり、はたまた仮病を使って関心を引いたりなどだった。
しかしそれでも、何度そうしてみても母の関心が私に向けられることはなかった。


母との暮らしの中で私が受け取ったメッセージ(スキーマとも呪いとも)は、

・人は誰も信用してはならない
・私のことは誰も気にかけてくれない
・自分を犠牲にして我慢するのが正しいこと
・遊んだり楽しむのは悪いこと
・自分の気持ちより世間体のほうが大事
・人に甘えてはいけない
・問題について話すのはよくないこと
・苦労しなければいけない
・私の考えは全て間違っている

である。
この考え方を持ったまま社会に出ていくように育って、うまく生きられるわけがなかった。

いくらその信念を持って頑張ろうとしても、心は悲鳴をあげ続けて私に警告してくる。
単純に「それは間違ってるよ」と言ってくれるわけではない。

警告をあげる心や体調の変化がただただ不快だった。
だから私は自分自身に対して、

私は我慢が足らず、わがままなだけだと言い聞かせた。
○ ○さえ起こらなければこんな思いをせずに済んだのにと悲観した。
現在の自分の心を見てみぬようにして、過去の出来事や未来への不安の中に逃げ込んだ。

それはまるで母が私にしたことを自分自身にしているようだった。

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