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私と母 3


今まできっと私は母親に執着してきた。

貰ったことのない愛情を、母の言うとおりにしていればきっといつか貰えるのだと信じて
母の呪いの言葉通りに生きるよう懸命だった。

その母親に対する膨大なエネルギーたるや。
全部自分のために使っておけば良かったなぁと思えるくらい、母を手放した私の身は軽やかだった。



ずっと会いにこないことや連絡がないことに何かを察した母は、本当にどうでもいいことで電話をかけてくるようになった。

ある時は早朝から何度もかけてきていて、流石に緊急事態かと電話をとれば
しばらく無言で何も話さない。
少しして「…あんた、選挙には行ったのぉ?」と無理やり話題を絞り出してきて、ほんの少し笑った。

母は私が本当に怒った時にだけ塩らしくして繋ぎ止めておこうとするスキルがある。
勘違いしちゃいけないのは、これも愛情からきているものではない。
愛情があれば普段からあんな扱いはしない。


やっとここまで理解したのが、去年の9月から始まって今年の7月。
長い。地獄のような苦しみだった。
情緒不安定でパートナーにもとんでもない迷惑をかけた。


母に対する報われなかった思いは、全部私のためだけに向けていいんだ。
母にしてもらえなかったことは私が私にしてあげられるんだ。

そう気が付いてからはやっと勉強もどんどん捗った。


そんな私の今、母に対する思いは
もっと早く現在に戻ってこれたら良かったね。である。

母は可哀想だから私は我慢しなきゃいけないと思っていたあの頃と違って
母は確かに可哀想だけれど、どちからというと哀れみの感情に近くなった。

母は恐らく一番大切にしなければならない存在や目の前の出来事を、仕事や宗教活動や思考の中に逃げることで回避してきた。
向き合うのがきっと怖かったのだと思う。

きっと悪かった出来事だけでなく、兄妹たちの良い瞬間も、成長の過程も、母はきっと何ひとつ覚えていない。
と言うか見ていない。
母の人生の大部分だったはずだ。
なんて勿体無い!(と、私は思う)


認めたくないが私は母に似ている。
思考の中に囚われていて、今を感じて生きたことが今まで一度もなかった。

どこにいても何をしていても、楽しいと感じたことがなかった。
常に不満でいっぱいで、とてつもなく不安で、だけど誰かに助けを求めることもできなくて、また思考の中に逃げるようにして生きてきた。

その感覚がとてもよく分かった。
そうしていないと生きてこれなかったことも分かった。
だからもう、母のことは責めないと誓った。

まぁ、たまには怒りは湧いてくるけど人間だもの仕方ない。


母は愛情が本当になかったか?
多分あったのだ。母なりの愛情はきっとあった。
ただ少々?大いに間違っていた。

完璧な人間などいないし、母だって母としてこの世に生まれてきたわけではない。

そう思えた時、私は少し大人になった気がした。
母に求めることはもう何もない。
余生は心穏やかに、今を楽しんで欲しいとは思うがそれはきっと私の手では叶わない。


うちには問題を抱えた兄がまだ2人もいる。
母が自分の手で自らを解放できる時まで、母の苦悩きっと尽きない。

私はそれをそっと見守る。
母への接し方と距離感はそのあたりがちょうどいい。


……………………………

までが、一応自分の中で母と私の関係に折り合いをつけた話です。
絶縁とか極端な選択を私は避けたけれど、母からの精神的な自立はできたかなと思えています。
以前は母になんでも相談しないと気が済まなかったり、了承を得るまで動けなかったりしたのです。

私を作った環境は何も母との関係だけではなくて、
同居していた父方の祖父母の影響もあるし(支配的だった)
歳の離れた兄の影響も大いにあります。(単純に存在が怖かった)

この家にいると誰も守ってくれない。
そういう気持ちがずっとあって、子供の頃から不安でいっぱいの中でどうにか誤魔化して生きてきたのだなーと思います。

ずっと自分と向き合うことが漠然と怖かったけれど、
自分の身に何があって苦しいのかをまず確認する。

そこからやっとどうしていくかの方向性が見えてくるんだなと実感しました。

私と母の話は終わり!

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