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毒親に抗議した日


母と一定の距離を置くことにした私ですが、少し特殊な理由で定期的に母に会わなければいけない理由があります。

どうしても顔を合わせなければいけない時は日常会話程度に、なるべく波風を立てないように接していました。
しかしこちらがいくら気を付けていようと、ノーガードの状態でも攻撃してくるのが毒親です。


小さい頃からそうでしたが、母は人前で私を侮辱する発言をします。
幼い私はそれをただ真に受けてどんどん自信をなくしたし、ただ我慢するばかりで母の言った通りの人間なのだと思って生きてきました。

ACの勉強をするにしたがってそれは怒ってもよかったことだし、我慢する必要もなかったし、傷つく必要もなかったし、はっきりとNOと言ってよかったのだと分かりました。

母は多分それをコミュニケーションの一部のように考えているところがあるし、人前でそれをすることでサービスの様にひと笑い取ろうとする節があるけれど
聞かされた相手は明らかに引いているし、気持ちの良い空間が生まれるわけがないのです。



先日また同じように人前で辱めを受けて、
またいつもの様に我慢して「ははは〜」と笑って誤魔化してしまった自分に気が付きました。
人前ということもあって咄嗟にやめてと言えなかったし、言い返すこともできませんでした。

当然怒りも湧いてきたけれど、もう70にもなった大の大人に「人として」言ってはいけないことがあると子供が注意をしなければいけないことを大いに憂いました。

いろんな思いが沸々として、どうしたら良いか分からなくなった私はそっとその場から消えるようにいなくなりました。


このまま我慢するのも違うし、怒って責めても聞かないだろうしと心がせめぎ合っていましたが
その後連絡をして
「子供であってもなんでも言って良いわけではない」
「このようなことが何度も繰り返されてきて私はとても傷付いた」
「このままこのような事が続くのなら母に会うのは難しい」
「正しいコミュニケーションをして欲しい」と連絡したところ、

「返す言葉もございません、今度ゆっくり話しましょう」と返信がきまして

今度話そうと言って話さずに逃げる母のやり口は知っているので
「本気で話す気があるのなら母が日時を指定して」と返信し、その週の休日に話すことにしました。


その日私は絶対に母に怒らないと決めていました。
その日が来るまで本をたくさん読んで予行練習もしました。笑
怒鳴ったり感情的に話しても、相手は自衛に徹してしまって話の内容が入ってこないようです。

これまでの私は母に「理解して欲しい」気持ちが強すぎて、我慢の末に物申す時は怒ったり泣いたり、相手にとってもそうですが自分自身でも結局なにが言いたいのか分からなくなってしまうことが多かったんです。


その日の話ではただ自分がこう感じているということ、
やめて欲しいと思っていることだけを要求することはできたかなと思いました。

母は絶対に謝らなかったけど、ね。
うんうんと聞いてはくれました。



これは全く別の話で、
母が私達兄妹を大切にできなかったのは、私達が母にとって現実だから目を背けたいんだよね?と、話の流れでポロッと言ったところ

「…そうだね。そうだったね。」

と、続けて今まで聞いたことのなかった自分の身の上の話をし始めました。(結構壮絶だった)
母は自分の生い立ちの話は昔からあまりしない人でした。


「いつもぼーっと考えごとをして、自分自身と向き合ったり子供達と向き合うことがとても辛くて、ずっと逃げてきたんだ。」


母のそんな話を聞くのは結構辛かった。


母の現実が母にとってどれほど辛くて、現実から目を背け続けなければ心がもたなかったのだということは十分理解できるようになっていました。
そんな母にこっちを見て欲しくて必死で、困らせるようなことをしてでも振り向かせようとしてきて疲れ果てた結果が今の私です。

私はもう母にこっちを向いてもらうことで幸せになろうとすることをやめました。私は私自身で私のことを幸せにする。

だから母もこれからの自分をどう幸せにするか、それだけを考えて生きて欲しい。
子供達への後悔とか、それももう考えなくていい。
過去や未来のことばかり考えて不安になったり懺悔の気持ちで幸せになれるのならそれでいいけど、そんなわけないこと今自分が一番知ってるよね?

私は生まれてから一度も母の幸せそうな顔を見たことがないよ。

「今」に帰ってきて。
楽しいこともあるって実感して。
今日があることを幸せなんだって感じて。


そう言って帰宅しました。

私が何を伝えたかったのか、果たして母にうまく言えたのか分かりません。
ただ正当な抗議をしに行ったけど、思わず母の深い部分に入り込んでしまいました。
とにかく感情的にならず冷静に話すことに必死な一日で、帰宅してから泥のように眠りました。

思えば話し合いの場では冷静に自分の主張をすることと、相手の話も冷静に聞くことも私にとってはあまり経験のないことかもしれません。
すごく我慢して何も言わないか、爆発したように喧嘩腰になってしまうかの必ずどちらかだったと思います。

母に対しての出来事でしたが、
「なんであなたはこうなの?」という言い方ではなく
心をオープンにして冷静に「私は」こう思っているよと伝えたことで相手も心をオープンにしてくれて、深い話にまでなったのかもしれませんね。

母が私の抗議をどう受け取ったのかは分かりませんが、こんな気付きを得られたことはこれからの私の対人関係にとって大きな出来事でした。

こんなこと、愛されて育った人は小さい頃から分かっているんだろうなぁとか卑屈に考えたりしないわけではないけれど
ちゃんと気が付いて正して行けるのなら素晴らしい経験ではないか。

そう思って今日も生きます。はい!

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