盆 茶わん蒸しと赤飯
盆暮れ正月
お盆の季節と年末、ならびに正月を列挙した語。帰郷して家族と過ごす期間などを指す際に用いられることが多い表現。
とweblio辞書にはありますし、♪盆暮れ正月やたらと忙し~と歌っていたのは植木等さん作詞の針切じいさんのロケン・ロールというちびまるこちゃんの曲でありますが。
いわゆる田舎のほうで行きますとお盆は8月13~15日が当たるわけです。元々は7月15日を中心に行われていましたが、明治時代に暦の国際基準化を目的に行われた
改暦に伴い日本の行事は全体的に30日遅れとなったんだそうです。
本当明治時代って、明治維新とはよく言ったもので明治新政府が全国的に公的に行った神仏判然令(神仏分離令。慶応4年3月13日(1868年4月5日)~明治元年10月18日(1868年12月1日)にしろそうですけど。いろんなことが行われていたんですよね。そのため、現代では8月15日を中心に行われています。 ただ、現代でも地域によっては7月15日を新盆、8月15日を旧盆とも呼ばれています。が。
まぁ、そんなお盆のはなし。
私の実家の秋田では、盆も正月も恒例で茶碗蒸し、刺身、天婦羅が並びます。それ以外で冬だったらカニ鍋、モツ煮、お雑煮。ほか、夏なら冷たい麺ですとか、他は鶏もも照り焼き(前述)、赤飯などですかね。
精霊棚
お盆の13日午前中に「たなっこ」というものを組み立てるわけですが、これ正しくは「精霊棚」(しょうりょうだな)というのだそうです。うちの地域では、小さい瓜、小さいリンゴ、ベビーせんべいの長いの、インゲン豆、最中の提灯みたいなの、ほおずきなどが糸に対に着けられて、棚に垂らして飾られます。※ナスは一応いたりいなかったりします。
今日はそんなときに出てくる茶碗蒸しのお話をします。
甘い茶碗蒸し
うちの茶わん蒸しはとても甘いです。しいたけで出汁をとる時点で砂糖を入れて、甘煮にします。そして、卵を大量に割ったところに覚ました出汁を静かに混ぜていきます。毎回13個くらい作っていました。
中に入れるのは、ぎんなん、なると、鶏肉、エビ、しいたけなどです。
この茶わん蒸しが好きすぎて、帰省する。というときにわざわざ作ってくれることもあります。この茶わん蒸し、毎日でも朝昼続けてでも食べられる上に、同じく茶碗蒸しの好きな上の兄と帰省が重なると、取り合う羽目になるということまで起こります。
さすがに大人になったので、私の方にも兄の方にも「譲る」という余裕が出てきました。大人になったなぁと思うところです。
そして赤飯も甘い
そして、加えて秋田の赤飯も甘いです。それこそおばあちゃんの作った赤飯の見事な砂糖の投入っぷりに驚いたことがあります。一升炊いているので仕方ないといえば仕方ないのですが。
なんで秋田の食べ物がわざわざ甘くするのだろう?について面白い記事を発見。
秋田と、青森、北海道だけ!?驚きの記事これを読むと理由はわからないが、この上の部分の人たちが甘さ際立っているということが分かる。
「甘納豆赤飯」は戦後の北海道生まれである。(中略)青森も71%が「甘い」であった。これも予想の範囲。青函トンネルでむすばれたこの道県は「甘納豆赤飯」の絆でも結ばれていたのである。青森の隣の秋田は「甘い」と「甘くない」が半々。(中略)つまり「甘い赤飯」は北海道と青森、強いていうと秋田固有の食べ物であって、そこから西にはまるで断絶したように果てしもなく「甘くない」地帯が広がっているのである。
この希少価値!今こそ残すべき文化であると思います。こういう類の内容はケンミンSHOWでも放送したりするのでしょうけれども、それでも、知られることなく静かな情熱で今日も甘い茶碗蒸しと赤飯を今まさに食している、北海道、青森、秋田の皆さん!残していきましょうね!
と硬く拳を突き上げてしまう秋田県民なわけであります。
このような記事や、ものづくりをもっと充実させるために邁進してまいります。