29.そして一人旅が始まる 番外編2ーギニア編~旅は続く。
時は過ぎ、海外に住みたかった僕はビジネスビザを取り
オーストラリアの西の街パースに住み始めた。
一年の世界放浪の旅で感じた自分のアイデンティティー
「日本人である事の素晴らしさ」
これを最大に生かすべく指圧を学び、鍼灸の資格を取って
オーストラリアに渡り、ワーキングホリデービザから
無事ビジネスビザを取得し、2年が過ぎていた。
世界を旅している時、民族楽器にハマり
西アフリカの打楽器ジャンベを日本でも練習していたが
パースに来て本格的に伝統的なギニアのリズムを習う機会に恵まれ
学んでいるうちに、本場の文化に触れてみたくなり
ジャンベの先生が企画した「ギニアで4週間ジャンベ合宿」
に参加する事に決めた。
西アフリカはフランスの植民地だったので、基本フランス語なのだが
ジャンベの先生もいるし、ツアーだから大丈夫だろうと
何にも心配してなかった。
そもそも今までの経験から、本当に危ない所には飛行機が飛んでおらす
国境も封鎖されるので、飛行機が飛ぶ限りは問題ない、と
何も調べなかった。
オーストラリアから一回フランスでトランジットして
ギニアの首都、コナクリに夜中に着く。
ジャンベの先生が空港に迎えに来てくれて
宿まで向かうのだが道は舗装されておらず
車はボロボロで少し不安がよぎる。
翌朝目が覚めて、
日本人13人
オーストラリア人5人
ドイツ人1人と合流する。
あまりの日本人の多さに驚くが
これから始まる4週間のダンスと音楽の合宿に
胸が高鳴る。
が、何やら緊張が走る。
昨日は夜着いたので分からなかったが
政府と市民が揉めていて、大規模なデモがあり
死人が一人出た模様。
幸い首都の繁華街からは離れているので
デモは住んでいる所では起きないだろうから
様子を見よう、という事になるが
念の為、「不必要に街を出歩くな、」と言うお達しで
宿にこもり、音と踊りの練習に打ち込む。
ラジオや新聞も理解出来ず現状が把握出来ないが
周りのギニアの人達のリラックス具合をみると
そんなに危険でもないのかなぁ、と安心しながら
2週間が過ぎた。
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