”logos”と”ratio”は、ともに日本語では「理性」を意味する言葉です。
古代ローマのセネカは”logos” を” ratio” と訳したのはキケロだとしたそうです。
しかし、両者にはいくつかの違いがあります。
”λσγοs” とは
まず”logos”です。もともとは集めるという意味だったそうですが、のちに「言葉」という意味が付与されました。
その意味は極めて多岐にわたっています。
アリストテレスは『弁論術』において、”logos”を「ものごとの真理や本質を理解するための根拠となるもの」と定義しています。
”ratio” とは
一方、”ratio”は、ラテン語の”ratio”に由来する言葉で狭義には「比較」「比率」「計算」などを意味していました。
アリストテレスは『範疇論』で、”ratio”を「ものごとの相対的な関係を理解するための根拠となるもの」と定義しています。
そしてratio すなわち整数比は、フィロソフィ:septem artes liberales (セプテム・アルテース・リーベラーレース 自由七科)の中でGODの秩序を表す中心的なものとなりました。
”logos”と”ratio”の違いとその日本語訳語の混乱
このように、”logos”はより広義で抽象的な概念であるのに対し、”ratio”はより狭義で具体的な概念です。
日本語では、”logos”は「理性」「意味」「言葉」などの訳語が使われており、”ratio”は「理性」「比較」「合理性」などの訳語が使われています。
また”logos”と”ratio”の訳語を区別せず、「論理」、「合理」、「比較」、「判断」、「思考」など、さまざまな言葉が混乱して用いられることも多く、これらの言葉の違いを理解できていません。
しかも、これらの訳語は、必ずしも両者の意味を正確に反映しているとは限りません。例えば、「理性」という訳語は、”logos”と”ratio”の両方に用いられるが、両者の意味合いには違いがある。”logos”は、ものごとの真理や本質を理解するための根拠となるものであるのに対し、”ratio”は、ものごとの相対的な関係を理解するための根拠となるものです。
また、「比較」という訳語は、”ratio”の意味合いの一部を正確に表現していますが、”logos”の意味合いを十分に表現しているとは限らりません。”logos”は、比較だけでなく、言語や意味といった抽象的な概念も含む概念です。
このように、”logos”と”ratio”の違いを正確に理解するためには、両者の意味をしっかりと理解しておくことが重要です。しかし、日本語の訳語が多様で、その意味合いが必ずしも明確ではないため、理解が妨げられる可能性があります。
そこで、”logos”と”ratio”の違いをより正確に理解するためには、以下の点に注意するとよいでしょう。
”logos”と”ratio”のそれぞれの意味をしっかりと理解する。
”logos”と”ratio”の訳語の意味合いを理解する。
”logos”と”ratio”の違いを意識しながら、用語を使い分ける。
朱子学の「理」について