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”Justice”(ジャスティス)と「正義」の意味の乖離

”Justice”と「正義」の違いを書いてみました。


"Justice"の意味

英語の”justice”は以下のような意味です。

それぞれに彼の権利を与えることにある美徳;法律と公正の原則に対する実践的な適合性;人々が互いに取引する際の正直さ;商業や相互交流における誠実さ。正義は分配的または交換的である。分配的justiceは裁判官や支配者に属し、法律と公正の原則が要求するそれぞれの人にその権利または公正を分配すること、または法律と公正の原則に従って論争を決定することで構成される。交換的justiceは、人と人との間の取引や相互交流における公正な取引に構成される。

公平性;
意見を表現する際の権利の平等な分配;功績や非功績に関する事実の公正な表現。批評、物語、歴史、または論説では、友人であろうと敵であろうと、すべての人に公正を尽くすことが義務である。

公正;
正しさに対する一致性;彼が自分の主張のjusticeを証明した。これは厳密には正確さであるべきである。

報復的な報復;
罪に対する報い。遅かれ早かれ、justiceは犯罪者を追い詰める。

Right;公正の適用。彼の腕は彼にjusticeをもたらすだろう。

[ラテン語 justiciarius] 裁判所を開くため、または論争を試し、個々に正義を行使するために委任された人;
例えば、イングランドの王のベンチの最高裁判官、または共通の訴訟の最高裁判官、アメリカ合衆国の最高裁判所の最高裁判官など。そして平和の裁判官

Websters Dictionary 1828 - Webster's Dictionary 1828 - Justice

『英和対訳袖珍辞書』(1862)には、
「justice 
              正直ナルコト、神妙ナルコト、
              公事ノ捌キ、
              捌く人、裁判役人」

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000297729

上記のとおり幕末に英語の”justice”を日本語の「正義」と訳した時代には意味の乖離はあまりありませんでした。

明治時代の翻訳事情

”justice”は以下論文にあるとおり明治5年(1872年)頃においては、"society"に比べてそれほど議論なく訳せていたようです。
ただ、まだ「正義」一択ではありませんでした。

現代の意味の乖離

現代の”justice”ジャスティス正義ともに「正しいこと」を意味する言葉と思われています。しかし、両者の意味には、違いががあります。

まず、英語の”justice”には、法による正義という意味合いが強く、法律に基づいて、公平公正に裁くことを意味します。一方、日本語の「正義」には、そのような法の正義だけでなく、道義的な正義という意味合いが強く含まれます。法律に違反していなくても、道義的に正しいことを正義とみなすことも多いです。

また、英語の”justice”は、より客観的なニュアンスがあります。法律に基づいて、誰にでも平等公正に適用される正義を意味します。一方、日本語の「正義」は、より主観的な意味合いを持つ。多くの人が個人の価値観や信念に基づく正義を意味で使用しています。

このような乖離は、両言語の文化的背景の違いによると考えられます。

このような乖離は、両言語のコミュニケーションにおいて混乱を招く可能性があります。例えば、英語圏の人と日本語圏の人が「正義」について話し合う場合、以下のとおりお互いに異なっておりコミュニケーションギャップをおこす可能性が高いです。

「ジャスティス」「フェアー」「コンシャスネス」など


「正義」と「法」は同根である(Justice 公正・正義・裁判 ← ラテン語Justus 法)。
 さて、「正義Justice」という言葉には、「公正Fairness」「公平Impartiality」が含まれている。

https://web.archive.org/web/20010818152420/http://www2.plala.or.jp/dogcat/sti.htm

以下のblogを要約すると、アメリカなどでは「ジャスティス」「フェアー」「コンシャスネス」は、個人の自由にもとづく民主主義の基盤となる重要な概念です。しかし、日本ではこれらの概念が十分に理解できません。

アメリカなどではこれらの概念が日常的に使われており、人々の意識の中に根付いています。例えば、いじめにあった子供でも「それはフェアーじゃない」と訴えるそうです。

「フェアー」などは、誰でもが心の中で認める基準とルールに照して正しいことを意味します。この善悪の基準は良心に基づいており、グループや組織が決めるものではありません。そのため、グループが決めたことが間違っていると思えば、それに反対するそうです。


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