”Justice”(ジャスティス)と「正義」の意味の乖離
”Justice”と「正義」の違いを書いてみました。
"Justice"の意味
英語の”justice”は以下のような意味です。
上記のとおり幕末に英語の”justice”を日本語の「正義」と訳した時代には意味の乖離はあまりありませんでした。
明治時代の翻訳事情
”justice”は以下論文にあるとおり明治5年(1872年)頃においては、"society"に比べてそれほど議論なく訳せていたようです。
ただ、まだ「正義」一択ではありませんでした。
現代の意味の乖離
現代の”justice”ジャスティス正義ともに「正しいこと」を意味する言葉と思われています。しかし、両者の意味には、違いががあります。
まず、英語の”justice”には、法による正義という意味合いが強く、法律に基づいて、公平公正に裁くことを意味します。一方、日本語の「正義」には、そのような法の正義だけでなく、道義的な正義という意味合いが強く含まれます。法律に違反していなくても、道義的に正しいことを正義とみなすことも多いです。
また、英語の”justice”は、より客観的なニュアンスがあります。法律に基づいて、誰にでも平等公正に適用される正義を意味します。一方、日本語の「正義」は、より主観的な意味合いを持つ。多くの人が個人の価値観や信念に基づく正義を意味で使用しています。
このような乖離は、両言語の文化的背景の違いによると考えられます。
このような乖離は、両言語のコミュニケーションにおいて混乱を招く可能性があります。例えば、英語圏の人と日本語圏の人が「正義」について話し合う場合、以下のとおりお互いに異なっておりコミュニケーションギャップをおこす可能性が高いです。
「ジャスティス」「フェアー」「コンシャスネス」など
以下のblogを要約すると、アメリカなどでは「ジャスティス」「フェアー」「コンシャスネス」は、個人の自由にもとづく民主主義の基盤となる重要な概念です。しかし、日本ではこれらの概念が十分に理解できません。
アメリカなどではこれらの概念が日常的に使われており、人々の意識の中に根付いています。例えば、いじめにあった子供でも「それはフェアーじゃない」と訴えるそうです。
「フェアー」などは、誰でもが心の中で認める基準とルールに照して正しいことを意味します。この善悪の基準は良心に基づいており、グループや組織が決めるものではありません。そのため、グループが決めたことが間違っていると思えば、それに反対するそうです。
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