友人が欲しかったのは、社会を憎みたくなかったからなんだ
私の交友関係は、進学の度に断絶している。
小学校、中学校、高校、大学、そして社会人。
それぞれの時期にそれなりにつるんでいた人たちは、皆遠い存在になってしまった。
ずっと、自分は不完全な人間だ、という感覚がある。
コミュ障、ぼっち、非リア、陰キャ……そういう言葉を聞くたび心がじくじくしたし、何より私自身も「誰かと繋がっていない人間なんて人間じゃない」と思ってしまうのだ。
一人と一人が手を取り合って、それがいくつもいくつも繋がって、社会を動かす大きな力になる。それこそが人間だと。なら私は人間じゃない、って。
年に一度会うか会わないか、という友人は、一応いる。ありがたいことに。
だが、些細な日常のあれこれで連絡を取り合う仲ではないし、そうしたっていいのかもしれないけれど、大人として当たり前に社会に適応している彼女らの姿は眩しすぎて、余り近付くときっと私が傷つく。
年に一度の再会ですら素直に懐かしめず、コンプレックスを刺激されて、疲弊して帰路についたこともあるくらいだから。
そうして孤独を拗らせていると、だんだん社会が恨めしく思えてくる。
なんで私ははぐれ者なのか。
誰のせいでもないし、自分のせいでもないし、増してや社会に理不尽な恨みをぶつける道理は全くないのだけれど、どうしても頭から離れない。
そして、そんな自分が恐ろしい。
時々、「無敵の人」が起こした悲惨な事件のニュースが流れる。
それが他人事に思えなくて、そんな自分自身が恐ろしくて、こんな人間消えてしまえばいいのに、って思う。
だが、いざ誰かと親しくなると、それはそれで苦痛なのだ。
連絡が来ると、返事をしなきゃと思うのが苦痛。
出かける約束をすれば、当日の朝身支度をするのが苦痛。
本当に身勝手な話だ。
人付き合いが苦手で、多分嫌いなのに、どうしてこの孤独感は消えないのだろう。
この疑問に、答えが出る日はくるのかな。
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