「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」見た感想など

どうもこんばんは。なぜかこのタイミングで「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を見たので、その感想などを。

なぜこのタイミングなのか?

たまたまTLで「ふぁぼられた数だけすきなアーティストを紹介する」みたいなのをやっている人がいて、その中の一人にDAOKOが挙げられてた。で、自分は「打上花火」しか知らなかったからそこから連想して作品を見てみたくなった。
この曲は2017年に公開されたアニメ映画版の主題歌で、自分もその存在は認知してたけど当時は見てなかった(というかもう3年前の映画なんですね…)。ただ原作があること、それがずいぶん昔のドラマだったということは知っていた。
で、「やっぱりまずは原作を見るべきだ」と思ってドラマ版を見て、そこから満を持して(?)アニメ版(以後、今作)を見たわけである。なので二作品見ていることになるが、とりあえず今作の感想を中心にしていきたい。

浅ーい考察とか感想とか

まず自分が感じたのは、刹那、懐古。小学生の夏休み、恋愛、友情…といった要素が全部絡み合ってその効果を出している。
夏休みなんて大人になればなくなるし、恋愛感情だって何人もの相手に何回も感じる。友情だってなくなるかもしれない。だけど彼らにとってはそれらが詰まった一瞬が「今」であり、絶対的なものなのだ。
だからこそあのもしもボックスみたいな球は現れ、願い事をかなえてくれた。なんでも願ったことが、今の世界に顕現してくれる。
だけど徐々に世界は本来のものと異なっていく。唯一すべて世界の記憶を持っている典道だけはその異常さに気づき、元の世界に戻すべきか逡巡する。でもそうじゃないんだよね。戻しても結局元の木阿弥、なずなには誰も告白できずお互いに見栄を張ったまま彼女はいなくなる。
そうこうしているうちに花火師のおっさんが酔っ払ってあの球を打ち上げる。そして砕け散り、世界は元に戻る。いや、元に戻ったわけじゃない。典道は二学期、学校にいない。自分はこれをなずなと駆け落ちしたのかなーと思った。小手先だけの変化じゃなくて、知っている結末を回避するんじゃなくて、見知らぬ世界に飛び込む決断を下した。そういう一種の成長を描いた作品なのかなと思いました。はい。
ちなみになんだけどあの球はなずなのお父さんの怨念じみたものがこもっていたんじゃないかと推測。溺死してたお父さんがもってたような描写があったし。そういう意味では最後、なずなも過去から解放されて一歩踏み出すことができたと言えるかな。

むりやりまとめよう

雑ーにまとめると、出会いと別れを経験して一歩を踏み出せた少年たちの物語、とでもいえましょうか。祐介たちも最後には灯台で、言えなかった想いを吐き出せてたし。個人的にはこれくらいの「小さい勇気」を積み重ねることでしか変われないのかもなぁと思ったので、彼らにとってはすごく健全な経験かも。全体通してすごくいい作品でしたね。
あと、アニメーションとして表現することの強み・特徴みたいなものを感じられたんですよね。前半部分、祐介が花火大会の約束をすっぽかしてしまい母親に連れていかれるまではほぼドラマ版と一緒の展開。正直、実写をそのままアニメにしても意味はないよなぁなんて思っていたけど、後半で一気にそれは覆された。典道が花火大会に誘われたパターンからの展開はオリジナルで、まず「違う物語」として楽しめたのがよかった。さらに、終盤であの球が砕け散った後の演出は素晴らしく、実写にはない「美」を感じられて最高だった。そういう点でいうとすごい意欲作ですよね。

では。

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