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わたしのnoteと他人のnoteの幸せの違い


わたしのnoteの幸せはコメントが来ないこと
なんです。笑

いや、ほんとうに。

(たまーに頂けるコメントは
わたし好みで嬉しい♡♡)


もし、わたしに、
ながーいコメントとが3件も来ようなら
ストレスでしょうがない。笑


いや、ほんとうに。


記事を書く度に
褒められたりするというジャッジも存在したら
これもまた相当なストレス。


いや、ほんとうに。


他人のnoteでいえば、苦手なのが、
記事を書いているその本人こそが主役なのに
(わたしはそう思っている)
主役を超えてくるひと。


いや、あるんです。


脇役だよね、、
と言いたくなる。
主役を超えてまで
自分をアピールしてくるのなんでなのかなぁと。
主役の記事が利用されているみたいな感じに陥るし、
記事のイメージが変わってしまう。

主役と脇役が
ちょう密接な関係を築いているのならいいのか。
ちょうね、
エンタメ要素があるならいいのか。
主役が良しとしているのならいいのか。


いやいや、
記事とコメントをセットで読むわたしが悪いのだ。


いや、ほんとうに。
ついついなやつだ。


コミュニティを求めていないnoteの使い方
をしているわたしにとっては、
コメントが来ないことは本当に幸せなんです。
これからもこのスタイルが続くなら
noteは続けられそう、かな。


現実でもsnsでも多くを求めていないので
少ない中で少ないものを見つけることが
わたしらしくて心地がよい。


というのも、
大量な何かが漣のごとく押し寄せてくると
ブレーカー落ちちゃうんです。


いや、ほんとうに。


だからひとりで生きるって心地よくてやめられない。
もし恋人が隣にいることになったら、
それはそれは果てしなく自分と似ているひとか、
神様みたいなひとか、わたしにだけ誠実で
わたしにあげる特別な言葉はわたしだけの言葉としているか、どれだけ大切にしてくれるか、怒らないか、わたしが怒ったときはどれだけ見守れるか、ぎゅーって毎日抱き合えるか、調子わるいときは自然に離れてくれるか、、
(注文おおいな)



我慢してまで一緒にはなりたくないから
ひとりで過ごすほうが幸せ。
わたしをすきでいることって難しいから
離れていくひとには同情するよ。


いや、ほんとうに!







っていう今日の呟きと
melancholyな写真を置いてきます。







melancholy time💠

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