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未知の地平への一歩 ARが拓く無限の可能性

ARの力を発見した一人の旅人

AR(拡張現実)は、現実の世界にデジタル情報や映像を重ねて表示する技術です。「ARと言えば」という話題が出ると、僕の頭にはすぐにARの先駆者である川田十夢さんが浮かびます。川田十夢さんに初めて出会ったのは、J-WAVE の深夜ラジオ番組 『 THE HANGOUT 』 でした。僕にとっては伝説級の面白い番組だったのですが、残念ながら2016年9月に終了しましたが、その後も川田十夢さんの活動には注目しています。

多くの人は「AR」と聞いてもピンとこないかもしれません。しかし、意外と知らず知らずのうちにARに触れていることがあります。ゲーム、エンターテイメント、マーケティング分野ではARを頻繁に目にすることでしょう。たとえば、三井不動産株式会社が2022年5月27日から6月19日まで東京・日本橋で開催した「クリエイター特区」プロジェクトでは、川田十夢さんが手がけた作品が展示されました。

クイズ形式で鑑賞者が参加
AR技術を駆使した広告塔
能ミュージック・能ライフ

さらに、映画 『 THE FIRST SLAM DUNK 』 では、鑑賞者への「THANKS AR」の特別プレゼントがありました。

また、スマートフォン向けの位置情報ゲーム 『 ドラゴンクエストウォーク 』 では、図鑑に集めたモンスターと一緒に写真を撮る機能が楽しめます。

コカ・コーラ社とのコラボ

デジタル世界の誤解と可能性の狭間で

僕は70年代世代で子どもの頃はファミコンが全盛期でした。幼馴染の家に集まり、毎日のようにファミコンで遊んでいたことは、懐かしいよい思い出です。子どもにとっては夢中になる楽しい遊びだったのですが、大人にとっては必ずしも好意的に受け取られていなかったように感じます。母親からは「またゲームやってるの!」「遊んでないで勉強しなさい!」などとよく言われていました。

そして、現在でも「テレビゲームは好ましくないもの」という風潮は、まだ根強いと感じています。考えてみれば、僕みたいな幼少期を過ごした子どもが、今では大人になっているのだから、その風潮は変わっていても不思議ではないですよね?僕のひとつの答えは、「テレビゲームで遊んだことがないから」だと考えています。「え?そんなの当たり前じゃん」と思われるかもしれませんが、自分が体験していないのに決めつけで批判する人は、思っている以上にいると感じています。「遊んでばかりで勉強をしなくなる」「目が悪くなる」などの考えや、ちょっと前までは『オタク』はネガティブなイメージを抱いていました。誰かも知らない人間が作り上げた考えに執着しているとも言えます。

だから、僕は特に親御さんには「一緒にお子さんが夢中になっているゲームで遊んでみてください」と伝えています。まずは、自分から歩み寄り理解しようとする行動が大切です。テレビ画面の向こう側にあるゲームの世界は、想像力しだいで無限の広がりを見せてくれます。ぜひ、大人のみなさんもテレビゲームで童心に返って遊んでください。ちょうど今のお正月休みで家族が集まる時期にはもってこいですね。

現代の大人が見落とすデジタルの価値

僕はここで、「オタク」という言葉がどうしてネガティブな印象を持つようになったのかを考えてみたい。特に、オタクという言葉がネガティブなイメージを持たれるようになった出来事として、1988年から1989年にかけての連続幼女誘拐殺人事件が挙げられます。事件の犯人である宮崎勤が逮捕された後、彼の自宅から大量のビデオテープとマンガ本が発見され、その様子がメディアに繰り返し報道されました。これがきっかけで、「自分の世界に閉じこもり、ビデオやマンガに没頭するオタク青年が、フィクションと現実の区別がつかなくなり、異常な犯罪に走った」という安易な分析が広がりました。

僕が小学6年生の時、テレビでこの事件の映像が連日流れていたのを覚えています。映像の影響は、「百聞は一見に如かず」と言われるほど強力です。今はテレビからネットへとメディアが変わっても、その影響力の構造自体は変わっていません。幼い女の子の誘拐と殺害の悲惨なニュースが多くの人々に映し出され、「オタク=歪んだ人格」という印象が形成された一因だと思います。テレビゲームも、部屋にこもって没頭する姿が悲惨な事件のイメージと結びつき、大人たちに敬遠されるようになったのではないかと考えています。

現実とデジタル、拡がる認識の地平

僕たちは、知らないものを怖がる習性を持っています。これは、生き残るための本能的な反応だと考えられます。知らないものは危険である可能性が高いため、避けるべきだという判断を無意識に行うのです。このプロセスには脳の扁桃体と海馬が関与し、過去の経験や記憶に基づいて行われます。しかし、知らないものへの恐怖が過剰になると、生活に支障をきたすこともあります。だからこそ、僕は、知ろうとして歩み寄ることが重要だと考えています。想像や決めつけではなく、真実を知った上で判断することです。

たとえば、多くの人が対人関係に悩みを抱えて生きています。僕も悩みを抱えながら長い時間を過ごしました。しかし、相手が上司だった場合、実際に関わっている時間はごくわずかです。つまり、相手のほんの一部分しか見えていないわけです。もしかすると、プライベートでは優しいお父さんかもしれません。子どもにとっては最高のお父さんであり、対人関係に悩む存在ではないでしょう。

このように、僕たちは自分の見えている世界が狭いことに気づかず、物事を捉えがちです。だからこそ、僕は、相手に興味を持ち、知ろうとすることが大切だと思います。相手の気持ちを少しでも理解できれば、恐怖心は自然と薄れます。そしてその先には、無限に広がる世界が待っています。

ARの未来、無限の可能性と新しい社会的展望

僕がインターネットに初めて触れたのは21歳の時、そのきっかけは初代「iMac」の登場でした。その半透明な青色のボディとブラウン管を露出した斬新なデザイン、そして後に展開された5色のカラーバリエーションは、今でも記憶に残っているほど印象的でした。あっという間に、パソコンとインターネットの世界に魅了され、通信講座でホームページ制作を学びました。僕がこの世界に夢中になった理由は、子ども時代に夢中だったファミコンでの楽しい思い出が関係しているでしょう。デジタル空間の面白さは、無限の可能性を秘めています。

世界中の人々が「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」「ゼルダの伝説」に夢中になるのは、現実では体験できない空想の物語を追体験できるからです。AR(拡張現実)は、現実と空想をつなぐテクノロジーとして、僕には感じられます。スマートフォンの登場により、まるで魔法の杖を手に入れたような感覚があります。これからは、デジタル世界と現実世界を行き来しながらの生活が進んでいくでしょう。たとえば、子どもとの遊びの思い出を、子ども部屋にデジタルデータとして保存し、ARでいつでもアクセスできるようになるかもしれません。ARは架空の世界と人間をつなぐ、新たなフロンティアなのかもしれません。

ARと共に歩む勇気、拡張現実の新しい地平へ

僕は発達に障害を抱えた子どもたちと関わる仕事をしています。一般的には、障害を持つ子どもたちは健常な子どもたちに劣ると見なされがちですが、僕はこれに疑問を抱いています。僕は《障害の社会モデル》の考え方を支持しています。このモデルでは、障害者が日常生活や社会生活で直面する制約は、単に身体的な障害によるものではなく、社会の様々な障壁によっても生じると考えます。障害の社会モデルは、障害を個人の問題ではなく、社会全体の課題と捉え、障害者の人権や自己決定権を尊重し、多様性を認める共生社会を目指しています。

人生を他人と比べて、時には悲観的になることもあるでしょう。不平不満を感じるかもしれません。しかし、それは本当に自分の努力不足や才能の欠如が原因でしょうか?僕は、人を変えるには環境が重要だと考えています。現実とデジタルが融合する社会は、私たちの「できること」を広げてくれます。AR(拡張現実)は、まるで魔法の杖を振るように、デジタルのものを現実世界に引き寄せてくれます。自分の能力を拡張することができるのです。まるで超サイヤ人になったように!「自分にはできることが少ない」と感じている人は、ARというテクノロジーを使って、くじけた勇気を取り戻してください。存在は知っているけれど、まだ行ったことのない宇宙のように、あなたの世界もまた無限に広がっています。

[了]

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