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『香港』から考える民主主義。

皆さんは香港に行ったことがあるだろうか。
ビクトリアピークから見る香港は、日本人にとっては『異様』とも思えるような超高層マンションが所狭しと乱立している。
夜になると、凄まじい夜景を目にすることができる。

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私は2018年の9月に香港を訪れる機会があったが、当時はデモも無かったため多くの観光客が訪れていた。なぜ、デモが起きるのか。歴史から考えてみる。

①返還まで

香港は、アヘン戦争に勝利した大英帝国が、清に香港島を割譲させたことから歴史が始まる。(1842年)

大英帝国は、中国への貿易の拠点として香港を活用して行った。さらに、その後香港島の向かいの九龍市街地を割譲させ(1860年)九龍半島も租借して(1898年)貿易拠点を拡大していく。

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1898年に租借した九龍半島は、99年後に変換する約束であった。そして、99年後の1997年にイギリス政府は当時の(現在も)中国政府である中華人民共和国に香港島も含め全領域を返還することになった。(すんなりとはいかなかったが)

イギリス政府は、香港返還の際、一国二制度と呼ばれる、社会主義国である中国において、香港に資本主義や高度な自治を認めることを50年間は守るという約束で返還した。(その条件で返してくれと中国側から提案したのだが)

中華人民共和国は社会主義国家である。鄧小平の改革開放以来、資本主義の様相を見せているものの、政府は共産党が独占している。

中国国内は実質的には資本主義市場であるものの、共産党の立場を脅かす存在を出させないために言論の自由などは制限がある。

ビジネスにおいては、情報こそが価値であり、香港はその点で中国に繋がる地点であり、なおかつ情報や言論の制限もない地点であるという利点からアジアの金融センターとしての役割を担うようになった。

つまり、香港の価値は言論の自由にあるということである。

②徐々に影響力を強める中華人民共和国

中国国内と往来が容易な香港では言論の自由が認められているために、共産党に批判的な本も出版されている。(出版社が行方不明になって後になって中国国内にいることが判明するなど不可解な事件もある。)

そのことに対する反発や、より民主的な市民の要求に対しては鎮圧を図るようになっていった。

今回のデモは突然起きたものではなく、以前から民主主義を守りたい香港住民と共産党とその影響下にある香港政府、警察との衝突の歴史は続いてきたのである。

③香港の民主主義は風前の灯火か

香港の利点である言論の自由は次第になくなり、最後は中国国内の1都市になってしまうのか。その歴史を私たちは見届ける必要がある。

地政学的に見れば、香港が自力で自由を守るのはほとんど絶望的であり、本気で自由を守りたいのなら、国際社会との連帯が重要である。

しかし、もともと中国と貿易したいための香港であって、香港を守るために中国を世界が敵とするのは、難しいかもしれない。

しかし、これは香港の問題なのだろうか。日本が地政学的に諦められる日は来ないのだろうか。

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