愛と愛情は違うもの②
「愛と愛情は違うもの」という気づきを書いてから、頭が働いてきたのか少し考えとして明確になってきました。
一生懸命考えていると、脳はいくつになっても活性化していくみたいです(笑)
それは「愛情が育っても愛に変わることはないかもしれないなぁ」ということです。まだ人生の中でどんな経験をするか分からないから覆される余地は残しつつも、今はそう考えています。
愛情は「相手を思う自分の気持ち」で、愛は「自分も相手もなくそこにあるもの」。だからもう全く別物、こんな風に思うのです。
愛情は言葉やモノ、行動に載せて表現しやすいものです。きっと「愛してる」っていう言葉も愛情表現なのです。
相手に「自分が愛してると伝わる」行動を選択するのが愛情なのです。
そしてこれは感情のひとつで移り変わる流動的なものだから・・・
なくなることもある。
対して愛は表現するのが難しい。そこにあるものだから気づくことができれば「ある」し気づかないままなら「ない」のです。
そして愛は人によって定義が全くバラバラなものでもあると思います。
ある人は困難に陥っている人を見たら手を貸すことが愛だと考えているし、またある人は困難に陥っている人はあえて突き放すのが愛だと考えるのです。こんな風に全く真逆でも、どっちにも愛がある。
だから愛は受け手の力量がモノをいう!!!!そんな風にも思います。
受け手が育っていない状態では愛だと気づきもしないから、「ない」「愛されてない」という認識になってしまうのです。
そして「愛」は伝えるためのものではないから、受け手が受け取るしか手段がないのです。
これを「価値観の違い」と言ってしまうのもアリなのかもしれないですが、私はやはり「成長度の違い」だと思います。
価値観が違うのは当たり前だから、いかに違う価値観の人のことを理解できるかにかかっているのです。
そして価値観が違う人のことを理解できるようになることを「成長」というのだと思います。
成長していなかったから見た目や耳障りの良い「愛情」を求めて、なくして、迷って、振り回されていたんだなぁ・・・と気づけば自分の反省に変わっています(笑)
そして今書いていることも全部私の価値観だから、違っていてもこういう人もいるんだなぁって思ってほしいのです。
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