美術鑑賞を通して育まれる力
つい先日、対話型アート鑑賞講座を開催しようと思いましたが、コロナのこともあり延期にしました。そこで今回はイベントでお伝えしようとしていた対話型アート鑑賞がビジネスや生活にどう繋がるかをいくつか紹介したいと思います。
振り返ってみると、私の対話型絵画鑑賞のワークショップや研修に参加してくれた方はこれまで延300人ほどになりました。その経験が何かの学びや気づきに繋がっていたら嬉しいですね。
前提として、私の目的はアートの楽しさを伝えることです。一度のワークショップでいくつかの気づきはありますが、いきなり能力が上がることはないでしょう。『誰でも簡単に!』系のスキルは差異が価値になる時代には役に立ちません。
好きになることで、アートに触れる機会が増えて、多くの鑑賞や経験を通して、少しづつ観察力や知性、表現力が豊かになります。私も日々研鑽中です。
5年、10年とこれからの人生を豊かにする遥かなる旅へのきっかけとなれればと願い、活動してます!
では、本題にいきましょう。
観察力を鍛える
世界で一番有名な絵画である「モナリザ」ですが、皆さんももちろん知っていると思いますし、一度は見たことがありますね。では、モナリザの背景に何が書かれている正確に答えらますか?少し思い出してみてください。
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顔はなんとなく思い出せますが、背景は覚えてないですよね?私のワークショップでも背景を正確に覚えてる人はほぼいません。
では、この際によくよく見てみましょう。
・両方の背景には湖?があり、川が流れている。右側には橋が見える。
・川は曲りくねり、細くなっているので、流れが激しい?
・高くそびえる山脈、山頂に積雪がある。
・天気は晴れ?曇り?背景や服装をみると、気温は15度前後くらい?
・すぐ後ろに石の台座のようなものがある
・そうなると両側は石柱だろうか。
・影の感じからすると光は正面から見て、左上から差してる。
他にも情報はたくさんありますが、まずはいくつか列挙しました。いかがでしたでしょうか?見るという行為は非常に奥深い営みであり、普段私たちはぼーっと眺めているだけでしっかり観てはいません。
理由は、生活するためには、ある程度情報を遮断をしないといけないからです。私たちは常に視覚・聴覚などの外部からの刺激と思考・記憶・感情という内部からの刺激など多くの情報が混在しています。
見ているけど、認識していない状態を非注意性盲目と言います。見る(眺める)と観る(認識)は大きな違いがあります。
ちなみに美術館において一つの絵画における鑑賞時間はどのくらいかご存知ですか?
平均で17秒です。
しかしながらこの17秒は非常に短いと感じています。私のワークショップでは、一つの作品で対話を含めて15分以上かけて観ていきます。ハーバード大学の美術史専攻の授業では一つの絵で3時間観察するそうです。
絵を見るのも描くのもそうですが、対象を正確に認識することによって解像度があがり、様々な側面から物事を捉えられるようになります。
さらに脳みそには二つのモードがあります。全体感をみるときの「デフォルト・モード・ネットワーク」と細部を確認するための「セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク」です。この二つは同時に動かすことはできません。私たちはこのモードを切り替えながら、ものを認識したり、思考したり、評価をしています。
絵画を観る際、全体を見て、構図やモチーフの関係性を眺めたり、細かい筆のタッチや色彩を確認したりします。まさに絵画鑑賞は二つのモードを切り替えながら認知や思考を進めるプラクティスになります。
米国医師会が医大生に対してアートを用いた視覚トレーニングを実施したところ、皮膚科の疾病の診断能力が56%向上したという報告があります。すぐにとは言いませんが、多くの絵画を見ていく中で観察能力は磨かれていきます。
知性を磨く
さて、次に申し上げたいのは、『知性を磨く』です。私たちが何かをする際、そのプロセスはインプット(入力)、プロセシング(処理・加工)、アウトプット(出力)に分かれます。これは情報処理の基本構造であり、コンピューターも一緒です。観察▶︎思考▶︎判断・実行ですね。
私の場合ですと、企業の状況や世間の動向にアンテナを張りつつ、クライアントの強みや価値を見出し、それをクリエイティブに落とし込むという流れになります。
価値ある結果を出すために、各プロセスを磨く必要があります。下記に各プロセスのスキルを整理しました。
いくらプロセスとアウトプットを鍛えても最初のインプットの質が悪ければ、出てくる結果も質の悪いものになってしまします。
これはAIにも同じことが言えて、どんなに優秀なアルゴリズムでも、解析する情報の質が悪ければ、出力情報もゴミになってしまいます。Garbage in, garbage out.(ゴミを入れてもゴミしか出てこない)状態です。
またプロセスやアウトプットに関しては、書籍も含めテクニックとして学ぶことができますが、インプットは経験によって磨かれる能力です。もちろん、プロセスやアウトプットも経験値が必要なのは、言うまでもありません。
最近話題の安宅さんの書籍の中でも下記のような記述がありました。
(前略) 知性の核心は多くの人が知性だと思っている川下段階ではなく、川上、川上途中、すなわち「知覚」にあるということだ。
-P176
川上段階とはここでいうインプットの部分です。もちろん仕事を通じてこのインプットを鍛えることも可能です。先ほどの医学生の研究報告にもあるように、一見アートとビジネスの関連性は低いと思いますが、ビジネスにおいてもアート鑑賞が活きていくことは可能性として十分に考えられるでしょう。
ここでひとつ興味深い報告を取り上げたいと思います。ミシガン州立大学の研究チームがアートとサイエンスとの関連性を調べる研究をしました。内容はノーベル賞を受賞した科学者と一般の科学者の芸術・文化的趣味の有無を比較した調査です。
結果はノーベル賞受賞の科学者は一般科学者に比べて芸術的趣味を保有している人が約3倍いました。さらに芸術の中でもどの分野がノーベル賞受賞の確立をどのくらいあげるかという調査もあり、一番高いのは舞台芸術でした。多くの感覚を必要とするためでしょうか?
偉大な発見は、今まで誰もみえていなかった視点・視座・視野で世界を見つめることです。
アインシュタインは音楽をこよなく愛しており、生まれ変わったら音楽家になると言う言葉を残していたほどですし、冒頭で紹介したモナリザを描いたレオナルドダヴィンチは芸術家であり、国の軍事指導者であり、建築家であり、偉大な発明家でした。
芸術的思考と論理的思考は一見両極に位置しているように感じますが、高い知的生産をするためには、その二つを上手に駆動させることが必須です。
意思決定の質をあげる
これまでのビジネスの常識だとロジカルな意思決定(出来るだけ感情を含まない)が良いとされてきましたが、最近の研究によると意思決定において感情を含めた方が筋の良い選択ができることが分かってきました。神経生理学者のアントニオ・ダマシオは適正な意思決定には理性と情動、両方必要とするソマティック・マーカー仮説を発表しています。
アントニオ・ダマシオは研究において脳腫瘍のため前頭前野の手術したエリオットという患者の経過観測をしました。エリオットは神経心理学テストを受けても論理的・理性的な判断に問題がありません。しかしながら生活のあらゆる場面での意思決定ができなくなってしまいました。そして同時に感性や情動の減退し、悲惨な状況の写真をみても反応がない、さらに音楽や美術に感動する力も失ってしまいました。
ソマティックマーカーとは、簡単に説明すると「身体的な反応」を指しています。外部からの情報は体に何らかの反応を呼び起こします。先端の尖ったもの見ると、何かドキドキする、心臓が早まり、危険な感じがするといった反応です。ソマティックマーカー仮説はこの身体的な反応が意思決定の効率を高めると言う内容です。
人はソマティックマーカーにより数多くのオプションから直感的にいくつかのオプションに絞り込んで、そこから論理的・理性的な推論と思考で意思決定をしてます。しかしエリオットは手術により情動を感じる部分を失ったので、直感的にオプションの絞り込みができず、生活における意思決定ができなくなってしまったと言うのが、ダマシオの仮説です。
さて、では、ここで絵画鑑賞に話を戻すと、英ロンドン大神経生物学研究所で、22-23歳の男女21人に「美しさ」にどう反応するかと言う調査をしたところ、前頭葉の一部にある「内側眼窩(がんか)前頭皮質」と呼ばれる領域で血流量が増加し、働きが平均で約35%活発化する共通性があることを確認したそうです。
絵画鑑賞など、芸術もしかり、さらに自然など、美しいものに触れ、美意識を鍛えることが質の良い意思決定をサポートする可能性は十分に考えられます。
最近では、美術鑑賞の他にも直感や美意識を司る部位を活性化するアクティビティが世界的に盛況です。マインドフルネスですね。瞑想をすると、島皮質と前頭前野の皮膚の厚みがますことが研究によって分かっています。
どちらも身体的な感覚に耳を澄ますという点で共通しています。
言葉を鍛える
私たちは常に言葉を使って考え、コミュニケーションも全て言葉を介します。対話型絵画鑑賞では、絵画を観て、それから自分の言葉で絵の状況を人に説明します。最初はうまくいかないかもしれませんが、数をこなしていくと解像度も伝える内容も変化していきます。
ここで言葉に注目してみましょう。
言葉に関する研究は非常に古く、紀元前500年頃アテナイという国では、政治参加する市民が増え、聴衆に対して短時間で効果的な情報発信をするための「弁論術(レトリック)」が発展しました。その弁論術を教える専門集団は「ソフィスト(知恵あるもの)」と呼ばれ、中でもアリストテレスは有名です。人を説得するには、ロゴス(論理)・エトス(共感)・パトス(情熱)、この3つが大切だとアリストテレスは説きました。これは時代を通しても変わらない原則だと思います。
弁論術というのは、言い換えれば、リベラルアーツの基本三学の文法学・論理学・修辞学に当たります。リベラルアーツは基本三学と音楽・算術・幾何学・天文学の四科、合計で七つの学問から構成されています。順番としては、基本三学を習ってから四科を習います。
私たちは学習する際に、言葉を用いて概念を把握するので、言葉の理解が非常に大切なんですね。
私の言葉の限界は私の世界の限界だ。
-ルードヴィッヒ・ヴィドゲンシュタイン-
少し前に『忖度』が流行語になりましたが、日本語は文法の構造や擬音語、擬態語を含む感覚的な言語表現が多いので、ハイコンテキストな言語であると言われています。ツーカーの関係や以心伝心のように気持ちを汲むことでコミニュケーションをするのは国際的に見ても特殊です。
さらにビジネスでのコミュニケーションやリーダーシップに関しても他言語と違いが出ます。あるコンサルティング会社のリーダーシップ調査では、明確な差が出ています。まずは以下のようにリーダーシップの種類を分けています。
実際には、各リーダーシップが混在しているような状態ですが、わかりやすく6つに分けています。さて、この中で一つだけ仲間外がありますが、どれかわかりますか?
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この中でいうと、率先型のリーダーシップが仲間外れになります。理由は言葉によるコミュニケーションが少ない点です。俺の背中を見ろ!という率先型のリーダーシップですね。
では、上記のどのリーダーシップが組織の生産性をあげるか見ていきましょう。次にお見せするのは、Fortune500のランキングの企業と日本企業のリーダシップの違いを調べたグラフです。
これをみると、一目瞭然ですね。イノベーティブな会社の特徴はビジョン型のリーダーが多いことがわかります。逆に率先型が少ない。日本企業のリーダーシップでは、これが見事に逆になっています。なんとなく実感値として皆さんも感じるのではないでしょうか、日本では率先型のリーダーが多いことを。
もちろん文化的な背景もあるので、もしかしたら率先型のリーダーの方が日本企業の成長に寄与している可能性も否定できません。しかしながら偉大な指導者は概して人の心を掴むスピーチをもって夢を現実世界に実現していきます。
月並みで申し訳ないですが、『Stay hungry,stay foolish』 、『Conecting dots』などな言葉を残したスタンフォード大学でのスティーブ・ジョブズのスピーチはあらゆる書籍や人が引用しています。「…私は、今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に我が国の国民が取り組むべきであると考えている。」で有名なケネディ大統領のメッセージが人類を月に到達させました。言葉の表現は確かに荒いですが、タイミングと使う人にとっては、無限の可能性を秘めています。
話は大きくなりましたが、対話型鑑賞では、自分が感じたこと、疑問に思ったこと、気づいたこと、色々な視点や切り口から絵画を観て、浮かんでくる言葉を紡いでいきます。
もちろんアートを感じることも大切です。あー、好きだなぁとか怖いなぁ、嫌な感じがするなぁ、不思議だなぁなど感覚的に体験するのも一つの鑑賞方法です。そこから果たしてどこからをその感覚がきたんだろうともう一歩進むことで、より深いコミュニケーションが生まれます。
アート作品を言語化することは、微細な感覚をキャッチして、見えないものを現実世界に表現する行為であり、その行為自体が作家とのコミュニケーションであり、アートそのものです。絵画と自分の思考を統合させることで再創造を行います。
多様性の価値の理解
こちらの絵をご覧ください。手前の女性はどんな状態でしょうか?
A)女性は死んでいる。
B)女性は夢を見ている。
C)女性は寝ている。
D)女性はリラックスしている。
E)そもそも女性じゃない。
こちらの絵は何度か対話型絵画鑑賞で使用しているものです。皆さんはどの答えになりましたか?もちろんこれ以外の回答があっても全然構いません!アートは人の数だけ答えがあります。答えだけでなく、問いも含んでいますね。
さて、同じ絵を見ても人によって別々の意見が出てくるのはなぜでしょうか?まずここで押さえておきたいのは、『事実』と『意見』です。
事実=人が目をつぶって横になっている。
意見=女性は死んでいる。女性は夢を見ている。
事実は客観的な情報で、意見は主観的な情報です。事実をどう解釈するかによって目の前の状況が変わります。私たちは事実を元に過去の記憶や経験のフィルターを通し、事象を認知します。私たちは多くのフィルターを通して世界を認知していますが、そのことを普段は意識はしません。毎回意識していたら普通の生活が困難になりますので、仕方がありません。
対話型鑑賞では、絵画を通して自分が、そして他者がどのように世界を認知しているかを知るきっかけとなるのです。
例えば、先ほどの絵画の例でいくと、私のワークショップにおいて、『女性が死んでいる』と答えた方に職業を聞いてみると、医療従事者だったり、さらに『夢を見ている』という方の職業がアートディレクターだったり、絵の解釈を通してその人の思考の癖や経験が滲み出てきます。
なぜ私はそう思ったのか?なぜあの人はそう思ったのか?という問いから、意見を支えている前提条件や経験にもう一歩踏み込むことで、自分のことや違いについて更なる理解が生まれます。
対話型絵画鑑賞の面白さは、人の意見によって新たな世界を知覚し、そこからさらなる物語を紡げることです。『死んでいる』と『夢を見ている』では、この絵の今後の状況が一変しますよね。
この創造のプロセスが『共創(Co-creation )』であり、多様性の価値です。ワークショップや研修の際のアンケートを取ると、この多様性の価値に気づきましたという意見をよく見かけます。
この体験はぜひ対話型絵画鑑賞で感じてもらえたら嬉しいです。
まとめ
はい、今回はボリュームが多くなりましたが、本当は他にも伝えたいことがたくさんあるんですよね。
例えば傾聴力。さきほど事実と意見について申し上げましたが、多くの人は事実を意見を混ぜこぜで話しています。主観が混じると客観的な情報が欲しい時には意見がノイズになります。事実と意見を意識して聞くだけでも傾聴力に差が出てきます。
ここまで何度も登場した情報処理のプロセスであるインプット、プロセス、アウトプットですが、対話型絵画鑑賞では、その一連の流れを同時に体感できます。ぜひ体験したい欲しいですね。今後はオンラインで開催することも考えていきたいと思います。
今回はボリュームが多くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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