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洋々と

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昨年5月に撮影した千葉県香取市津宮浜鳥居付近の利根川の写真です。広々とした空や豊かな水をたたえる風景が素晴らしいところでした。

この地には徳川家康による利根川東遷事業が始まるまでは『香取海』という大きな内海が広がっており、この一帯もかつては内海だったのでしょう。

まるで鏡のように静まる水面には空や雲が映し出され、鳥居の前に立つと遥か昔の洋々と広がる香取海の姿が浮かんでくるようでした。


~参考までに~

御由緒など関連HPから引用しておりますのでお時間のある方やご興味のある方はお読みいただければと思います。

鳥居河岸(津宮浜鳥居)(とりいがし(つのみやはまとりい))

香取神宮の御祭神である経津主大神は、海路ここから上陸されたと伝えられ、往昔の表参道口で大鳥居があります。十二年に一度、午年に行われる式年神幸祭には、ここから御神輿をのせた御座船が大利根を遡ります。
平成十四年三月、式年大祭記念事業として、香取神宮の御用材をもって立て替えが行われました。

                    香取神宮HP境内案内より引用
御祭神の神話
皆さんは、出雲の国譲りの神話をご存じでしょうか?
香取の御祭神 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様です。
はるか昔、高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(あまてらすおおみかみ / 伊勢神宮・内宮の御祭神)は、葦原中国(あしはらのなかつくに / 現在の日本)は自分の息子が治めるべきだとお考えになりました。
葦原中国は荒ぶる神々が争い乱れていたため、天照大神が八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命は大国主神に従い家来になってしまいました。次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、天稚彦もまた忠誠の心なく、大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として自ずから国を乗っ取ろうとし、天照大神の元に戻りませんでした。
このようなことが二度つづいたので、天照大神が八百万神にもう一度慎重に相談すると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと言いました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ / 鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、二神は共に出雲に派遣されることとなりました。
出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲りました。
二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命されたのです。
                     香取神宮HP御由緒より引用

香取海の歴史がまとめられています。古代、中世、現代の地図を見るだけでもイメージが湧くかと思います。


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津宮浜鳥居から約2km先の香取神宮へと向かう道


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