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曇り空から一隅を照らす光

1. はじめに

2023年の12月。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(以下LSE)の修士課程を無事に卒業出来ました。しかも嬉しいことに、最優秀成績(Award of Distinction)で。

2023年12月、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス卒業式にて。

時が経つのはあっという間です。修士課程の1年は恐らく人生で一番頭を使って、努力して、必死で、あらゆるものを振り絞っていました。2人の子どもを育てながら、自営業者として働き、近年の超円安のなかで年に何度もロンドンに通う日々はめちゃくちゃしんどかったです。しかし、それ以上に毎日刺激や学びに満ちていました。日本とイギリスを股にかけた修行の日々から、卒業式から数えてもすでに8ヶ月が経ちました。

この1年で経験させてもらった全てに対する感謝と達成感がまだ新鮮なものとして残っているうちに、LSE修士への挑戦の意味を自分なりに振り返り、記憶しておきたい。そんなことを思って、久々に自分のためだけに筆を取ることにしました。

具体的には、以下の内容を掲載しています。

1. 社会人の海外大学院進学における「時間・認知資源」と「お金」のやりくり
2. ミドルキャリアでの海外修士を通して「結局、何を学び、得てきたのか」
3. このLSE修士通学は、私の人生(ナラティブ)にとって何の意味があったのか


基本的には私的な記録・振り返りとして記事を書いていますが、プロフェッショナルとして一定のキャリアを積んだあとに海外大学院修士を検討されている方(特にソーシャル・イノベーションやインパクトの分野)の参考になればとも思い、私の実体験を開陳させていただきます。正直、お金のことも含めて詳らかにするのは少し気恥ずかしいですが、この記事が誰かの背中を押したり、創造的な選択肢を増やすことにつながる可能性があるならとても嬉しく思います。

この大学院修士への挑戦は、私にとっては単なる学び直し以上の意味があるため、もはや大学の卒論みたいな長さになってしまいました。なので、noteの記事ではなく、ちょっとした小冊子でも読むような気分で読んでいただくのが良いかと思います。


2. GPA2.44のワーキングファザー、世界5位のLSE修士に挑む

まず、私が通っていた修士課程は、イギリス・ロンドンにあるLSEのExecutive向け修士課程、Executive MSc Social Business and Entrepreneurship(以下EMSBE)でした。

このコースは、起業家精神およびビジネスの力と、公共善や社会的なパーパスの融合を目的に、アカデミックと実務双方の視点から設計されたコースです。基本的には現職を続けながら学びを深めたいリーダーが参加する修士課程となっています。
(コース内容については、過去のnoteにまとめています。)

LSEはQS世界大学ランキングの社会科学・経営部門で世界TOP5に位置する、いわゆる世界のエリート校。一方で私は日本生まれ日本育ち。そもそも、日本国外で英語で学校教育を受けるのは今回が初めてです。自分の大学学部時代のGPAはなんと2.44であり、LSEに入学できたこと自体が奇跡に近い状況(EMSBEの入学基準はGPA3.5以上)。そして当時5歳と1歳の子どもたちを育て、自営業者として働きながら、超円安下での自費イギリス留学ならぬ「通学」を決行しました。

逆境の海に漕ぎ出すようなチャレンジになりましたが、温かい家族の支えのおかげで努力を実らせることができました。いま思えば15年越しの挑戦だったLSE修士(※詳細はこちら)を、嬉しいことに最優秀成績(Award of Distinction)で卒業できました。

大阪からロンドンまで、片道13時間かけて取りに行った卒業証書。感慨もひとしお。

過去のnoteでご紹介した通り、私にとってロンドン大学連合の大学院の修士で学ぶことは20歳の頃からの夢でしたし、私のようにエリートでも裕福な家庭でもない出自の人間にとっては本当に特別な出来事でした。

私にとってのLSE修士の意味は後述しますが、まずは私がワーキングファザーとしてイギリスの大学院に進学し、どのように「時間・認知資源」と「お金」のやりくりをしていたかをご紹介します。

3. LSE通学における「時間・認知資源」と「お金」のやりくり(マネジメント)

我ながら、少し特殊な環境でLSE修士(というか海外大学院修士そのもの)を取得させてもらったと思っています。

留学ではなく通学。一度仕事を辞めて学生になるのではなく社会人大学院生になる。子どもを育てている立場で、敢えて子どもではなく自分自身に高額な教育費をぶち込む。

この挑戦は周りからみるとちょっとユニークな選択に映るかも知れませんが、30代で親になった自分にとっては最善の選択であり、投資だったと思います。正確には、修士課程の1年と準備期間を通して、この選択を最善の選択にすることが出来た、と表現するのが最適かも知れません。

子育て、仕事とのシーソーゲーム(時間・認知資源のやりくり)
まず、私の大学院生生活は年に4回実施されるロンドンでの集中授業モジュール(1-2週間)と、そのモジュールとモジュールの間に課されるアカデミック・ペーパー(要は論文の執筆と伴うリサーチ)などの課題を通して、コースでの学びを結晶化させる取り組みで構成されていました。

年4回の集中授業モジュールに向けて、事前課題となる論文やレポートを読み、ロンドンまで片道13時間かけて通学(直行便の場合)し、がっつり時差ボケに苛まれながら毎日みっちり授業やゲスト講義、そして同級生やロンドン在住のおもしろい人たちとのソーシャル活動(これも非常に重要)。そして帰国したらこれまたがっつり時差ボケと授業の疲れを必死に取って、各授業の試験課題のために更に読み、リサーチし、高度な学術的文章を書く、このサイクルを繰り返します。

1年の間に何度も、世界トップクラスのLSEの要求水準を超えないといけない真剣勝負のデッドラインがやってくる上に、5歳と1歳は走り回るし突然感染症にかかったりする。仕事は仕事で忙しい。ソーシャルセクターは複雑な課題の宝庫なので、単なるタスク量だけで測れない大変さがある。

まず、この状況に対して何も考えずに正面から突っ込んだら「パートナーに頭を下げて家や子どものことを全部お願いして、昭和のモーレツサラリーマンみたいに睡眠時間削って頑張る」のがソリューションになるわけですが、それは私の望むやり方ではないので、パートナーとは家事育児の分担について重々相談の上で、家事育児はできるだけ平時と同様に行いつつ、逆境のなかで創造性を発揮すべく工夫をしました。

家庭や仕事の状況も踏まえた上で、自分が最も創造性を発揮できる時間帯はいつか。その時間帯をどう死守し、その時間帯の収穫・進捗を最大化するために、相対的に知的生産性が低い時間帯(例:移動時間などのアイドリングタイムや子どもを寝かしつけた後の夜など)にやっておくべき事前準備は何か。大学院の課題の質を上げる前提なる家族や自分自身の健康を、どう保つか(例:基本的に睡眠時間は死守、栄養のあるものをみんなで食べる、日光を浴びる、有酸素運動をする等)。総じて、自分が知的生産を行うプロとして、世界水準のパフォーマンスを発揮し続けられるルーティンを、いかに見つけ続けるか(※)。

LSE修士の1年間は、これまでの人生で最も深く、これらの問いに向き合い続けた1年間でした。家庭や仕事の状況の変化をつぶさに観察しながら、個人としての知的創造性を最大化するための「環境」を整える。個体としての「時間」と「集中力」と「知的アンテナ」の使い方を研ぎ澄ます。30分、1時間の知的生産性に徹底的にこだわり、何らかのアクシデントがあったとしても、その日自分が置かれた状況で出来る努力を毎日確実に積み上げる。

仕事もある、子育てもある、しかも遠路はるばる通学して第二言語かつ異文化・文脈のなかで修士をやる。そんな逆境のなかだからこそ、自分の知的パフォーマンス向上と自分に出来ること・出来ないことの把握に腐心し、日々家庭や仕事の状況が変わり続ける中でもエッジを研いで発揮する力や習慣を磨くことが出来たように思います。

※例えば、子どもの月齢や保育園など外部環境の変化などによっても子どもの睡眠のサイクル(例:朝まで熟睡するor夜中に起きる)や必要なサポートも違うので、私の動き方としても早朝に起きて大学院の課題をやるのがベストな時もあればそうでない時もあったり、常に状況の変化に「適応」していく動き方が重要でした。ただ、今こうやって冷静に振り返られているのも、本当の勝負どころでは週末に固まった時間を論文などの執筆に充てさせてくれた家族のおかげです。

超円安下の英国通学(お金のやりくり)
私がLSE修士で通学をしていたのは2022〜2023年の1年間です。この期間は円安ポンド高が急速に進み、私のLSE修士通学の総予算と比べて留学関連費用が約200万円上振れしました。これによって、LSE修士通学に対して設定していた安全に投資可能な範囲を超える状況が生まれました。

2024.8.14時点のポンド・円チャート。LSE修士の企画・準備をし始めた2020年は1ポンド130円代でしたが、そこからの上昇幅がすごい・・・涙(チャートの出典:Google)

この円安下での英国修士通学のお金の工面をどのように行ったか。

社会人の大学院進学において、海外で修士をやりたい気持ちがどれくらい強くても、現実的に学費や滞在費の工面が現実的なハードルになる場面も実際多いのではと想像します。そこでかなり気恥ずかしくはありますが、今後日本の外で学び直しをしたり、何らかの挑戦をしたりする人の選択肢を増やすためにも、私がどのようにやりくりし、切り抜けたかを公開しておきたいと思います。

まず、このLSE修士通学が単に私ひとりのためだけのもので、残りの人生を自分一人で生きていくと決めているのであればこの円安ポンド高も大きな問題ではなかったかも知れません。ただ、子どもたちの教育やその他先々を考えると、お金に関する不安に襲われるような気持ちになり、心中穏やかではない日々を過ごしていた時期もありました。

しかも今回、私は自費で英国大学院に進学していました。理由は「フルタイムではなくパートタイムの修士」「年齢35歳以上」の両方もしくはどちらかの条件がノックアウトになり、私が調査した範囲では応募できる奨学金が国内外にほぼ存在しなかったことも影響しており、円安ポンド高によるダメージをもろに受けた形となりました。加えて、未就学児の子育てをまともにやりながら大学院そのものに加えて奨学金にも出願(=単なる書類作成作業にとどまらない知的・感情的労働)するのは、個人にフォーカスする質の高い時間を捻出するのが異常に難しいワーキングペアレントにとってはなかなか負担が大きく、結果的にほぼ消去法で自費を選択した形となりました。
(この観点については、社会人の学び直しの価値や潜在的な社会的インパクトが奨学財団等にもう少し認められるよう、自分の残りのキャリアを通してアラサー社会人海外修士の好例となるべく頑張っていきたいところです。)

ただ同時に、零細とはいえ事業者として生き、スタートアップやNPOの経営支援を行ってきた経験から、資金を出してくださる方にリターンを約束できる適切な方法さえ見つかれば、お金の問題は解決可能だと思っている自分もいました。

結果、対策として採用したのは教育ローン(子どもではなく、自身の学位取得等に使えるもの)を借りることと、普段からお世話になっている方々へ、SNSでカンパをお願いするアプローチ(セミ・クラウドファンディング)でした。

教育ローンであれば、当たり前ですが銀行の皆様は利子で収益を得ていますので、利子込みで問題なく返済できることが証明できれば貸していただける可能性があります。また、カンパについては、自分とすでに関係性のある方々にむけてSNSで発信(※)させていただき、LSE通学報告会を開くことをお約束&お礼を尽くせば、ご協力くださる方もいらっしゃるのではないかと考えました。
※カンパのお願いについては、私の美学としてnote記事をSNSで発信するのみとし、個別のカンパのお願いのご連絡はしておりません。

教育ローンはともかく、カンパについては恥を忍んでのお願いだった部分もあり、清水の舞台から飛ぶ思いでした。しかし結果として、教育ローンとカンパの合計でポンド高による予算上振れ分を吸収して更に余力が生まれるくらいのご支援をいただきました。今回、ご協力くださった皆さんには、心の底から感謝しております。

今思えば、このプロセスそのものが、大きな挑戦に向かうために皆さんの貴重なお力(リソース)を貸していただくアントレプレナーシップの訓練でもあったんだな、と振り返っております。

4. ミドルキャリアでの海外修士を通して「結局、何を学び、得てきたのか」

ワーキングファザーのLSE修士通学は「しんどいか、しんどくないか」の単純な二択で言えば、正直むちゃくちゃしんどかったです。

ですが、不思議とそのしんどさをネガティブに捉えたり絶望したことは一度もありません(これは家族の皆さんの理解と協力によるものなので、感謝しかありません)。それは、この極限のようなしんどさの中で磨かれた資質や、しんどさの先に広がった景色やつながりは一生モノの財産だと自分自身が心の底から信じられているからだと思います。

前段では「時間・認知資源」と「お金」をどのようにやりくり(マネジメント)したかを振り返りましたが、以降の内容は「結局、何を学び、得てきたのか」を言葉にしてみたいと思います。

振り返りの前提として、私が参加したEMSBEのカリキュラムの質や同級生の多様性については過去のnoteでご紹介させていただいた通り、本当に夢のような環境で学ばせて頂いたと思っています。

その夢のような環境のもとで日々がむしゃらに取り組ませてもらった結果、体感している最も大きな変化として、「新しい種類の自信」が自分のなかにどしっと存在している感覚を覚えています。

世界のエリート校を卒業した慢心に溺れるでもなく、自分の無力を嘆いて世界の行く末に絶望するでもない。キャリアの中盤で学術と実践と自分のあり方の徹底的な鍛え直しを行ったからこそ、自分に出来ることも出来ないこともよくわかった上で、世界に対して今出来ることを積み上げ、このLSE通学で得た学びやつながりも含めてレバレッジをかけていく。けど、そこに格好をつけたり無理をしたりする感覚は存在しない。私の心は凪の境地だけれども、同時に魂が震えて生まれる熱さや知的好奇心の高まりも共存している、すごくアンビバレントだけれども不思議としっくりくる精神状態になっています。

この「新しい種類の自信」は、分解してみるとLSE通学で得られた以下の4つの意味や価値、つまりは無形の財産に支えられていると思います。

①科学との融合:修士の学びと実務の考え方・やり方が統合されていく
②世界の文脈やネットワークと接続する回路
③Award of Distinction: Credibility as a communication tool
④世界とのつながり:拡張家族

①科学との融合:修士の学びと実務の考え方・やり方が統合されていく

ある日のLSE EMSBEの講義の様子。

そもそも自分がLSE修士ひいては海外大学院に行こうと思った大きな理由のひとつは、コロナ・ショックで自分と向き合う時間が増えた時に、深刻化する世の中の課題に対して自分の能力の限界を感じ始めたからです。

山積する複雑な社会課題。例えば、グローバルでみれば気候変動や紛争、日本という国家のレベルでみても人口減少に対応する社会のデザイン、ジェンダー平等の実現など。これらに対して、大学院修士で学ぶ前の私の仕事を毎年積み上げたところで、一定のレベルまでは業界・社会に貢献出来たとしても、この社会のシステムそのものを変えたり再構築するには至らないのではないかと感じていました。加えて、2人の未就学児を育てているなかで、自分が動ける時間を全て仕事に突っ込む選択肢は現実的ではない。

ならば、世界レベルの大学院修士で「先人の知恵・成功・失敗を可能な限り客観的に参照し、より確度と再現性の高い方法でインパクトと経済的な持続可能性を両立する事業やシステムを構築・普及させる考え方とやり方」を学び、そして知識労働者として単位時間あたりの創造性・生産性を自分の限界まで磨きたいと思うに至りました。

結果、LSEのEMSBEで、世界中のビジネス、ソーシャルインパクト、公共政策、行動経済学や心理学、評価学等の分野の研究や実例、政治哲学の考え方を参照しながら、実践知をつくるコースワークに没頭出来たのは大正解でした。完全に主観ではありますが、自分のリサーチ能力や学術・実践両方の観点を入れて高度なアウトプットをつくる力(その前提として批判的にデータを集めて使う力)、総じて知恵を生み出す力が格段に進化したと感じています。

例えば、これまで自分が取り組んできたソーシャルインパクト戦略・評価の領域では、政治哲学の知見が「インパクトとは何か?」を問う力に、行動経済学が「人の行動を変えるサービスやプログラム」を構想・デザインする力に、RCTやリアリスト・エバリュエーション等のリサーチ手法・評価学の学術体系が「その事業なくしては起きなかった人・地域・社会の変化とは何か?」を科学的な視点で明らかにする力に昇華しているのを感じています。

更に、ソーシャルインパクト戦略・評価が、同様に大学院在籍中に学んだ実務色の強い関連分野(事業戦略やビジネスモデル、ファイナンス、リーダーシップや心理学等)とより明確に頭のなかでつながるようにもなりました。

私がこれまで手掛けてきた仕事が間違っていた、失敗していたとは決して思いません。しかし、これから自分自身がソーシャルインパクトの触媒としてキャリアの後半戦をむかえるにあたり、より本質的で構造的な社会の変化を目指すための足腰を鍛えられたのは本当に有り難いことでした。

②世界の文脈やネットワークと接続する回路

最後の対面授業モジュールの締めくくりに行われたクラスディナーの様子。クラスを代表して、教授陣・コースのスタッフチームに感謝を述べる機会を頂けました。

これからの人生で引き続き世界の舞台で仕事をしていくと考えた時、やはり日本は世界から遠いと言わざるを得ません。

意味するところは、どれだけインターネットの力が世界のお金や力、情報を分散化させたとしても、英語圏・欧米中心にビジネスや国際政治の意思決定やルールメイキング、科学の知見開発が進む構造の本質そのものは変わっていないと私個人は捉えています。その状況のなかで、日本は良くも悪くも言語的・心理的な意味も含めて英語圏・欧米のキープレイヤーや意思決定構造との距離が遠く、情報や機会の格差が生まれていると思っています。

その結果、単に英語圏・欧米の重要トレンドをタイムリーに把握出来ないだけでなく、日本が持つ独自の文化や産業、精神性といった価値を世界に発信する機会、ひいてはより世界を多様で持続可能なものにしていく役割の一翼を担うチャンスをも失っている側面があるのではないでしょうか。あくまでも私見ですが、これは私の修士課程のテーマであるソーシャルインパクトの業界のみならず、ビジネスや文化芸術に公共政策、様々な業界でも同様のことが言えるように感じています。

その中で、修士課程での学びやネットワーキングを通して、コースの主題である「ソーシャルビジネスとアントレプレナーシップ」とその関連分野においては、どの組織や個人がキーパーソンになっていて、どういうセオリー、方法論で物事が動いたり(あるいは動かなかったり)しているかの重要な一端を解像度高く捉えられたことは大きな収穫でした。

何より、これからも世界の各分野で影響力を発揮していくであろう26の国籍バックグラウンドを持つ34名の同級生、教授・ゲスト実務家陣や今回の旅で出会った全ての人たちといつでも協力しあえる関係を築けたことは、すなわち「英語圏・欧米のみならず世界各地域の文脈やネットワークに有機的につながれる双方向型の回路」にもなり得ると捉えています。

この回路を活かすも殺すも自分次第ではありますが、今後のキャリアを通して、世界と自分をダイナミックに同期させながら国際社会と地球の未来に貢献していける道を進み続けていきたいと思っています。

③Award of Distinction: Credibility as a communication tool
私は過去のnote記事で、「欧米系エリート大学が持つ箔付けや信用供与の社会的機能が強すぎること」への問題意識を表明していました。

加えて、これまでスタートアップ界隈にいた経験から、何かのアワードへの選出、アクセラレーター等への採択などである人への評価が180度変わる場面を沢山みてきました。正直ここだけの話、一定の水準の教育を受けてきた人間側が評価経済システムに踊らされすぎるのって一体どうなんだろう、と疑問に思い続けてきました。

そんな私が、まさに欧米系エリート校の修士を成績最優秀で卒業した価値をnoteにつらつら書き連ねているのは矛盾しているように見えるのではないかと思います(笑)

そんな矛盾をはらむリスクを取ってもここで記しておきたいのは、「LSEの修士でソーシャルビジネスとアントレプレナーシップを学び研究し、Distinctionを取った人」という事実が、私が思っていた以上に仕事上のコミュニケーションツールとして機能している事実です。

もちろん修士号はただの記号に過ぎないわけですが、その記号の存在によって、必ずしもソーシャルインパクトの文脈に強い関心がある訳ではないけどおもしろい取り組みをされている異分野の方や、資本主義を再構築していく上では避けて通れない金融セクターや大企業の方にも関心を持って話を聞いてもらったり、接点をいただける機会が増えたように感じています(あくまでも当人比)。

理由は、わかりません。直近で取得したLSE修士の記号が、一定の能力や資質、専門性を証明するバッジとして働いてくれているのかも知れませんし、単純に変わった生き方してる奴がいるな、くらいに興味を持っていただいているのかも知れません。

しかしいずれにしても、今後、多様なステークホルダーと連携・協働して、社会・環境システムを変えていく仕事を行おうとすればこそ、このように狭義のソーシャルインパクトセクターの業界に限らない業界・バックグラウンドの方々とコミュニケーションを広げ、深化させる必要があるはずです。

また、当然ながらLSEは世界でも一定の知名度がある教育研究機関なので、今後も海外のステークホルダーとも仕事をしていくことを考えると、特に相手がLSE等の修士号に一定の価値を見出したり仲間意識を感じてくれる相手ならば、プラスに働くことも多いのではと思っています。

もし自分が20代の時にLSEで修士を取ったなら、その箔が持つ力に溺れていた可能性も否定できません。けれど、色々酸いも甘いも噛み締めて、良い意味で(相対的に)精神が落ち着いてきた30代なかばの自分だからこそ、いい塩梅でこのコミュニケーションツールとしての海外修士号と付き合っていける可能性の方が大きいな、と考えています。
(加えて、子育てをしている私の場合は飲み会のような場での信頼関係の構築が「前提」になっている仕事はもはや難しく、またそれを望んでいる訳でもないので、大学院修士によって誰かに自分の職業上の専門性や関心、資質を理解してもらうコストがある程度下がるのならば、正直、それはありがたいと思っています。)

一定の人生経験を積んでから修士を取る利点のひとつは、自分に何かの箔がついたからといってあまり調子に乗らず、眼の前の役割を粛々と、かつ時には大胆に果たそうと思える心持ちかも知れません。

私の専門性、関心、熱意を表すコミュニケーションツールとしての修士号。

④世界とのつながり:拡張家族
2022年の9月、私はLSE EMSBEの同級生たちと出会いました。ある同級生は、私たちの関係性を「僕らははじめ他人として出会ったけれど、拡張家族として卒業していく」と表現していました。

卒業式に集まった拡張家族たち。卒業式に来られなかったメンバーもいるので、これが全員ではありません。

それは本当にその通りで、4回の対面授業の際には授業後のパブや食事含めてそれぞれの仕事や人生、あるいは本当にしょうもないことも含めて語り合い、それぞれの国に帰ったあとも少人数チームに分かれてのプロジェクトワーク、有志で開かれる勉強会、WhatsAppでのコミュニケーションなど(サッカーのW杯開催期間にお互いの国を応援しあったり、誕生日祝いあったり)、本当によくコミュニケーションを取りました。

お互い、それぞれに人生と仕事の酸いも甘いもある程度経験したうえで人生の転機としてロンドンにソーシャルビジネスとアントレプレナーシップを学び(直し)に来た。でも、キャリアの初期の頃みたいに純粋に人間や人間がつくった仕組みが社会をいい方向に変えられる可能性を盲目的に信じられる訳もなく、しかしそれでも諦めたくない何かがそれぞれの心のうちにあったからこそ、お互いのことをより深く知ったり信じ合えたんだと思っています。

普段はパブでビール飲んだり大学の横の公園を散歩しておしゃべりするような超いい友達なんですが、ちょっと目を離したら連続起業家として複数社目のスタートアップを立ち上げていたり、国会に提案する法案を書いてたり、世界的なアートプロジェクトをキュレーションしていたりする、本当にすごい人たちです。

彼・彼女らと頻繁に会えなくなるのは正直寂しいものがあります。けれど、これからもお互いの人生の節目を祝い合ったり、休暇でそれぞれの国を訪れたり、あるいは国をまたいでまた一緒にプロジェクトや仕事をする日が来ると思うと、それまでに自分も個人として健康で、職業人としても違いを見せられるように腕を磨き続けていたいなと思わせてもらえます。

まさか、30代なかばで別れを惜しんでお互いに涙を流す友達が出来ると思わなかった。大学院の課程そのものは学びのためのプログラムだけれど、私の場合は人生そのものをも豊かにしてくれた「機会」であり「環境」でした。

5. このLSE修士通学は、私の人生(ナラティブ)にとって何の意味があったのか

曇り空から差し込む陽の光
2023年12月、20歳だった頃の自分が思い描いた、英国大学院を目指す挑戦は幕を下ろしました。

ありがたいことに、妻や子どもたち、義理の両親、そしてカンパにご協力くださった皆さんのおかげで、ロンドンで行われた卒業式には母親を招待することも出来ました。本当に、重ねて感謝をお伝えしたいと思います。

卒業式が行われる前の週の金曜日にロンドンに入り、数日観光をし、卒業式週は前夜祭に卒業式と、約1週間の旅となりました。ロンドンの宿に着くなり荷物をおいてパブに繰り出したり、ウエスト・エンドでミュージカル(レ・ミゼラブル)を観たり、ロンドン在住の同級生のご自宅にお呼ばれしたり、60代大阪人女性との珍道中でした。椹野道流さんの「祖母ロン」感のあるエピソードづくめの旅になったので、それはそれでどこかで記事にしておきたい気持ちがありますが、それはまた今度(笑)

2023年12月、LSE卒業式での母と私。

さて不思議なもので、卒業証書を受け取るために片道13時間かけたこの旅は、自分と自分たちのルーツのこれまでとこれからが一本の線でつながる時間になりました。

まず、20歳の頃から張っていたキャリアの伏線が回収されたこと。ある意味目に見える目標としては一番わかりやすく、そして(自分には)大きかったロンドン大学連合での修士を修了し、子ども、孫の世代やその先に続くよりよい世界づくりに貢献する基礎をつくることが出来ました。しかも、自分が20代の終わり頃に独立して始めた仕事のテーマ(ソーシャル・イノベーションを起こすために、人・組織・社会の変容をデザインする)とばっちりシンクロする形で。

そして、女手一つで弟と私を育ててくれた母親とロンドンに行き、私の同級生であり拡張家族との時間を過ごしてもらえたこと。

私の親族には国際的な仕事を選択したり、海外の大学院にいくような選択をする人は私の知る限りおりません。

それが良い悪いではなく、上記のような私の仕事も含めて恐らく私の親世代にはよくわからないかも知れないテーマが、「子どもの大学院の卒業式でロンドンに行く」経験を通して、世界の縮図みたいな国籍バックグラウンドの同級生&その家族と食卓を囲んだりコミュニケーションを取ってもらうことで、目指さんとする世界観・価値観、気候危機が進み紛争が勃発する今の世の中における意味合いをわかってもらえた部分があるのではないかと思っています。

あるいはそこまで仰々しくなくとも「自分が苦労して育てたけど何やってるかはいまいち不明な息子が、どうやら世界で有数の大学院をいい成績で卒業したらしい」事実だけでも、親の心理からすると嬉しいものなのではないかな、とは自分が親になった今となっては想像がつきます。

余談ですが、母は英語を聞く分には結構理解できており、同級生との卒業ディナー・飲み会とか同級生のご家族とのブランチなどなど、普通に輪に入って楽しんでいたので(笑)、それだけでも長年の子育ての恩返しは一定出来たかな・・・と思っていた滞在最終日に、ある出来事が起きました。

LSE卒業式のレセプションにて、同級生2人とそのご家族と。

滞在最終日、コロンビアから来ていた同級生が、今回どうしてもお前とお前のお母さんとお好み焼きが食べたい(※)というので、ロンドンの、いやヨーロッパのお好み焼きの名店「Abeno」を予約。彼と彼のパートナー、そして私の母と私で、鉄板を囲んで乾杯をしました。4人のうち2人は、その日に大阪に帰る大阪人でしたけれど(笑)
※最初の対面授業の時に一緒に食べて以来、彼はお好み焼きにハマってしまい、私は大阪からロンドンに来ているのに何回かロンドンでお好み焼きを食べていました(笑)

コロンビアで弁護士をやっている彼とは大学院在学中、ほぼ毎日のように授業後のパブやレストランで色んなことを話したり、金曜日には遊びに出かける間柄。リーダーシップの授業で交渉のロールプレイをした時は、それぞれ弁護士、個人・法人の間の利害をつなぐ触媒としてバッチバチの熱いマッチアップをしたこともいい思い出です(コロンビアの弁護士、マジで手強かったです)。

そんなこんなの思い出話やそれぞれの国の事情の話に花を咲かせていると、何杯かお酒が進んだタイミングで、彼は真剣な面持ちで私の母と私の方をみて、こう切り出しました。

「僕は本当に君と、君のお母さんに感謝している。彼はいつもクラスの中心にいて、クラスの全員といい関係をつくり、楽しい時間をつくって僕らを繋いでくれた。彼がいなければ、僕らはそれぞれの鎧みたいなものを脱ぐこともなく、ここまで人対人で付き合う深い関係性になることはなかっただろう。彼の人間性には本当に感謝している。

しかも、彼は人と人をつなぐ特別な人間性を持っているだけでなく、Distinctionを取ってその知性、才能を存分に示した。これはノンネイティブにとってもネイティブにとっても全く簡単じゃない、本当に素晴らしいことだ。僕は、彼はいずれ日本の総理大臣になるとか、歴史に名前を残すような仕事をする人間だと信じている。

そして、同じくらいの感謝をお母さんにもさせてほしい。あなたの息子をここまで連れてきてくれて、僕たちのクラスメイトたちに合わせてくれる一番のきっかけを作ってくれたのはあなただ。僕は、今ここにいないメンバーの分も、あなたとあなたの子育てに感謝したい。本当にありがとう。」

あの時からもう8ヶ月が経ったので、彼が何を言ってくれたのか、普通は言葉のひとつひとつまで詳しく覚えていないと思う。だけれど、あまりにも突然で印象的な出来事だったので、このくらいの粒度では未だにしっかりと記憶している。詳細の言葉選びは実際と違うかも知れないし、自分自身途中から感情がいい意味で崩壊してしまってニュアンスで記憶している部分もあるけど、概ねこんな話をしてくれた。

これは、特に後半部分は私が母親に直接的に伝えないといけないことなのかも知れないけど、母も私もあまりお互いに対してウェットな話をしない。なんというか、コロンビア人の彼が、私が母に対して持っていた気持ちを代弁してくれたように思う。ラテンの人って、なんでこういう時の言葉選び、感情の伝え方が圧倒的にうまいのか不思議で仕方がないし、これをストレートにやってのける精神性に本当に尊敬しかない。

そして、1年間の人生の転機をともにした同級生の目線から、彼や同級生が見ている私について母に伝えてもらったこと、そして私から伝えるのとはまた違う伝え方で、実の母親に言葉を贈ってもらえたことに感謝しかない。本当に、ありがとう。

母も私も、気づいたら周りからみて明らかにわかるくらい泣いていた。多分、お互いに人生有数の晴れやかな涙だったのだろうと思う。

私は、自分を育ててくれた親への親孝行ってどうやったら親孝行になるのか未だにわからないと正直思っていた。自分が親になった今、子育てなんて大変すぎて、何をやっても恩返しにならないだろうとも思うし、自分の子どもたちには、親に返してもらうくらいなら自分の人生しっかり楽しく生きてね!くらいしか思えない。別に、自分の子どもたちに初任給でご飯に連れて行って欲しいとも思わなければ、還暦の祝いに旅行をプレゼントされたいとも本当に思わない。

だけど今回気付いたのは、自分が一生懸命すぎるほどに一生懸命生きた結果生まれた「結晶」みたいな部分が、親も子もお互い元気なうちに共有できる瞬間は、親孝行と言えるのかも知れないと思った。

コロンビア人の彼と彼のパートナーと、仕切り直しの一杯を飲んだあと、2人に送ってもらってトッテナム・コート・ロード駅からヒースロー空港に向かい、日本への帰路についた。母も私も、なんとも言えない心地よい疲れに揺られて、気づいたら日本に到着してラーメンを食べに立ち飲み屋に行ったように記憶している。あれは、母にとってはこれまでの子育てと人生、私にとってはこれまでのキャリアと人生の前半戦が、それぞれねぎらわれたような、曇りと雨の多いイギリスで、時たま曇り空から差し込む陽の光を浴びて歩くような時間だったんじゃないか。きっと。

2023年、LondonのAbenoにて。ほんっとうにありがたい時間でした。

絆を未来につなぐ
息子と娘が大人になる頃、世界がどうなっているのかは自分にもわからない。けれど、このまま行くと大変なことも多い世界が待っている可能性も決して否定出来ない。

彼と彼女らの時代や、もっと先の時代の人たちの人生にも、大変なことがそれぞれの時代に起きたとしても、時にはきちんと陽の光が差し込む社会と地球が残っていてほしい。

自分が残りの人生を使ってやっていきたいのは、そのために微力を尽くすこと。

まず、一人の親としては、今回本当に有り難い機会を頂いて、妻にも最大限の理解と応援をしてもらって、20歳の頃から最も挑戦したかった旅を最高の結果で終えられた。世界に微力を尽くすための基礎づくりが出来たし、本当はやりたいことに取り組めなかった後悔やコンプレックスに苛まれたり、それを子どもたちに投影するような大人・親になるシナリオを避けられたことは地味に大きいと思う。

自分の人生の前半戦を一点の後悔なく終えられた上で、ここから先は、いつか子どもたちが自分の意思で世界に飛び出したいと思った時、あるいはそうでなくとも人と違う挑戦や生き方を選びたいと思った時に、しっかりとそれを見守る役割を果たしていきたい。

その役割を果たす上で、今回私がLSE修士に通学して培った「文化資本」、つまり世界をよりよい場所にするために頑張っている人たちとの絆であったり、教養など知的な資本、決してひとつじゃない生き方や学び方への道しるべこそが、私から彼・彼女らに(もし望まれるならば)引き継いでいける財産になるのかも知れないし、親にしか出来ない関わりだとも思う。

それが、今まで私がお世話になった皆さんへの恩送りでもあると信じて。

世界と日本をつなぎ、社会の変化を生み出す触媒として
そして、職業人としては、ただただ、無理はしないけど絶対に未来は諦めない。

繰り返しになりますが、私は親や夫としての役割を放棄して仕事に邁進するルートではなく、一人の人としての役割をしっかりと果たし暮らしを楽しみ、職業上の役割も全うすると決めています。

それは、同時に仕事にかける絶対的な時間数を(恐らくは)同世代の日本人男性と比べて少なくすることを意味します。少なくとも「男たるもの仕事に全身全霊を尽くし、夜討ち朝駆けで働いてなんぼ」みたいな価値観や労働慣行と距離を取る選択でもあります。

その状況で、限られた時間を何に投じるか。自分の30分、1時間が最も活きる分野や働き方は、何なのか。

この問いに対する私の答えは、ソーシャル・イノベーションの触媒として「知恵」と「つながり」づくりでテコの原理を働かせる役割に注力し、社会課題を本質的・構造的に解決する「システムチェンジ」に貢献することです。

具体的には、2023年にインパクト投資・システムチェンジ投資の実践と研究に取り組むSIIF(一般財団法人社会変革推進財団)のインパクト・エコノミー・ラボにインパクト・カタリスト(実践知とネットワークづくりに取り組む研究員)として参画させていただき、「システムチェンジ投資」の国際的研究や日本での実証・導入を促進する役割でご一緒させていただいています。

2024年5月にSIIFからリリースした「システムチェンジ・ライブラリ」という世界のシステムチェンジにまつわる知見のコレクション。私も企画・執筆に関わらせていただいています。(出典:SIIF

また、2015年に始めた自分の事務所であるinnovate withの仕事も引き続き継続しています。LSEでの学びのエッセンスも投じて、より戦略デザインの色合いが強い仕事をしており、非営利団体やソーシャルビジネスのインパクト戦略デザインや経営レベルのコミュニケーション支援、あるいは社会起業家向けのインキュベーションやアクセラレータープログラム等でのインパクト戦略・評価等のテーマでのコンテンツ提供を行っています。総じて、インパクト戦略や事業開発・ファイナンスまわりの国内外の有用な実践知を現場の皆さんに役立ててもらったり、質の高い経営判断や外部連携に向けたサポートをさせていただいています。

また幸いなことに、いずれの立場においてもカンファレンスやシンポジウム等での登壇の機会をこれまでよりも多くいただけるようになりました。システムチェンジ(投資)やインパクト戦略・評価等について、海外の文脈・事例も踏まえての講義や話題提供、モデレーション、審査の役割をいただくことが多いですが、大事にしているのは「LSEで行われている講義やセッションと同じかそれ以上の質の追求」です。私個人としてLSEでの学びの上に自分の研鑽や知的創造を積み上げたい気持ちは大前提に、幸運にして世界有数の大学院にたどり着けた職業人として、より多くの人が日本にいながらにして海外大学院レベルの学びに触れられる場をつくりたいと思っているからです。

(上)2024年5月に開催されたSocial Impact Day2024にて、欧州でシステムチェンジ投資に取り組むTransCap InitiativeのDominic Hofstetterさん、日本のSIIFでシステムチェンジ投資事業を牽引する加藤さんとのシステムチェンジ投資についてのセッション。
(下)2024年3月、大盛況で幕を閉じたカンファレンス「IMPACT SHIFT」でモデレーターを務めさせていただいた「アジアに広がる社会課題のポテンシャルを考える-日本が目指すべき”東洋型のインパクト”とは-」のセッションの記事。

こうして書くとこれはこれで忙しそうに見えますが(笑)、自分の役割を「知恵」と「つながり」づくりに特化させることで、自分ひとりの力で何かを動かすことを諦める代わりに色んな人の力を結集させるムーブメントづくりを目指し、限られた時間で大きな変化を生みたいと考えています。うまくいくかはまずは数年やってみないとわからないので、気長に無理せず、でもコツコツと続けたいと思っています。

(なお、この記事は全て川端個人の意見であり、SIIFおよび他所属・関与先の意見や見解を表明するものではありません。念の為。)

6. 最後に

私にとってのLSE修士通学は、単なる大学院で何かを学ぶ以上の意味がある行為でした。(だからこそ、ほぼ大学の卒論のような分量の総括noteを書いているのだろうと思います。)

その心は、LSE修士通学が自分の人生の前半戦を後悔ない形で終えて後半戦に備えるための重要なピースであったともに、期せずして母親へこれまでの感謝を伝える機会でありました。そして何より、これから私の子どもたち、妻と私で人生を歩んでいくにあたり、親であり夫であり職業人として、もっとも自分らしく家庭や社会に貢献出来るやり方とあり方が見いだせたことです。

これからも曇天が続く世界に、陽の光を差し込ませて一隅を照らせる人間でありたい。

人生の後半戦で壁にぶつかることがあったとしても、2023年12月、ロンドンでの修行の日々を経て拡張家族と実の家族に誕生日を祝ってもらい、ともに卒業を祝いあった2023年12月のエネルギーを思い出せばいい。

そう思えるのが本当に有り難いことですし、この修行を実現させてくれた妻と子どもたちがいてくれることが何よりの財産だと思う。ここまで、本当にありがとう。そして、これからもよろしくお願いします。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

2023年6月、ロンドンで授業が終わったあとに同級生たちと出かけた先で撮ってもらった1枚。これからそれぞれの人生でどんなことがあっても、こんな風に肩を組んで支え合っていきたいし、お互いの成功や幸せを喜びあえる関係性であり続けたい。

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