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2022年9月3日。日本からはるばる、英国ロンドンを訪れています。

コロナの影響もあって海外に来るのは実に5年ぶり。

そして、最後に海外に行ってからは2児の父となり、1人で行動するのなんて随分久しぶりに感じます。体感は5億年ぶりくらいでしょうか。5億年も生きたことはないですが・・・笑

さて今回の渡英の目的は、2022年9月より入学させてもらえることになった大学院修士課程の対面授業に参加するためです。

入学先は、The London School of Economics and Political Science(LSE)のExecutive MSc Social Business and Entrepreneurshipで、対面授業とオンライン学習を組み合わせて、起業家や各業界のリーダーが働きながら参加できるようにデザインされているハイブリッド修士プログラムです。

LSEのEMSBEのWEBサイト。こちらはスクショなのでまだ募集していると表示されていますが、2022年入学は締め切っていますのでご了承ください。

今回の挑戦、実は長いストーリーがあって、渡英間もない今のタイミングで記録に残しておきたかったので、久々に筆をとって発信すると決めました。ちゃんとした構成もされていないつらつらとした独白ですが、それでもよければお付き合いいただけると嬉しいです。

海外大学院を志すきっかけ

きっかけは遡ること2006年。19歳の夏、初海外1人旅でフランスを訪れた時でした。

当時、飲み会とキャンプとバイトしかしてなかった普通の大学生だったのですが、ひょんなことからデートをしたお嬢様に「アンタ思ったよりアホね」と斬り捨てられ、「これはマズイぞなんとかして自分を変えねば」と思って、昔から憧れのあった欧州・フランスに旅に出ることにしました。(短絡的w)

フランス語はおろか英語もろくにしゃべれないなかヒイヒイ言いながらたどり着いた南仏の遺跡修復の国際ボランティア活動。欧州各国と日本から集まってきたメンバーと1ヶ月弱、テントに自炊で寝食をともにし、毎日たくさん語り合い、みんなの社会貢献意識の強さ・キャリア意識の明確さに驚きました。

「思ったよりアホ」と評されていた時代の著者(左)、フランス滞在時の様子(中央)。

日本に帰国後、自分と同じように世界各国の国際ボランティアプロジェクトに参加したメンバーと体験を語り合う機会があり、「どうやらこの世界は、気候変動や教育格差、公衆衛生などたくさんの課題で溢れているようだ」と認識するようになりました。

なんとかしてこの世界の役に立ちたい。

そう思った私は、やがて国際協力のキャリアを志すようになり、20歳の時に内閣府の国際交流事業の派遣団メンバーに選んでいただき、ドミニカ共和国を訪れました。

2007年、ドミニカ共和国にて。

ドミニカ共和国で過ごした時間のなかで、私はひとつの夢を語るようになりました。

「将来はイギリスのロンドン大学大学院(SOAS)で国際協力を学び、国際機関の職員として日本人らしい”聴く力”を活かして世界各国のつなぎ役となり、世界をよりいい方向に導くリーダーになりたい」と。

当時は今よりもずっと幼く青臭く、1人の英雄の力によって世界に大きな影響を与えられると信じていた節がありました。けれど、一緒にドミニカ共和国を訪れた派遣団のみんな、現地での学びの旅をコーディネートしてくれた日系移民の内藤さんは、私のもぞもぞとした熱い想いをあたたかく受け止めてくれていたように感じました。

引き出しの奥にしまい込んだ夢

しかし、ロンドン大学の大学院なんて、到底すぐに叶うとは思えない夢でした。

自分は大阪の泉州地域の小さな商店に生まれ、私が小学生の時は親は離婚。(離婚自体はポジティブに捉えていますが、同様の状況にある学生の方等の背中を押すことにつながればと、あえて記載しています。)

帰国子女や留学経験者でもなく、うまく英語はしゃべれない(大学時代に必死に勉強したTOEICは750点)。大学卒業時の成績、GPAは2.44(海外大学院留学を考えた人なら、この数字のヤバさがわかるはず笑)。身内に留学や海外勤務経験者などおらず、どうしても海外に出るイメージが湧きにくい。

そして、ある時に生まれた家が全焼してしまい「人生何があるかわからないから、自分の人生においては大きなお金を使うようなチャレンジはやめておいた方がいいのかな」と思うようになりました。

ドミニカ共和国への旅から15年の間、海外大学院修士をやる夢はしばらく心の引き出しの奥の方にしまい込んで、世界の課題解決に貢献できる人になるべく自分のキャリアに邁進するようになりました。

大学卒業後、カナダでの武者修行を経て、世界に広く展開する日系自動車部品メーカーに新卒入社し、東海地方へ。工場と法人営業での経験を積み、全寮制中高一貫校の海陽学園に出向して国際キャリア教育に従事。転職とともに東京に移り、教育系企業で新規事業開発を行いました。

新卒で入社した矢崎総業(株)の本社。たくさん期待もかけていただいた職場で感慨深い気持ちがあり、退職する日に撮影しました。

そうこうしているうちに、自分なりに最善のやり方で世界の役に立つために、独立を決意。innovate withと屋号をつけて、「起業家精神を醸し、世界にインパクトをつくる」ための起業家精神の育成、日本の社会企業やNPOと、世界の金融機関や財団、企業等をつないでソーシャル・イノベーションを促進する仕事をはじめました。

このまま仕事に邁進して独身を貫くつもりでしたが人生何があるかわからないもので、佳きパートナーと出会い結婚。人の親にもなったのをきっかけに、生まれ育った大阪に拠点を移す選択もしました。

かつて語った海外大学院の夢。

決して忘れていたわけではないですが、パートナーと子どももいる中で簡単にはそんなこと出来ないだろうなと思い、現実感が持てなくなっていったのが正直なところです。

Beyond the time

2020年、そんな中で起きたコロナのパンデミック。経済的に不安定な人や健康的なリスクを抱える人から順に困難に直面していく様子をニュース等で見聞きしながら、コロナ前からフルリモートワークをしていた私たちは、子どもを含めた家庭の安全を守るために、巣篭もりをしていました。

「もといさん、あなたは何もしなくていいのか?」

どこからともなく語りかけてきたのは、なんと20歳の時の自分でした。
正確には、大阪・京都・神戸といった関西の街のあちこちを歩く度に思い出す、青臭い夢を語って学生NGO活動をやっていた頃の自分の「ゴースト」、もっといえば土地に残された「残留思念」でした。
※スピリチュアルに走ったわけではなく、攻殻機動隊とかガンダム(宇宙世紀シリーズ)的な話です。オタクですみません。

2020年5月頃。「若さのゴースト」に発破をかけられた私は、心の引き出しの奥の方にしまった夢をひっぱり出してきて、今の自分の状況でも挑戦できる海外大学院を探し始めました。もっといえば、「この世界の役に立つ」ためのキャリアの後半戦にむけて、自分の土台を強くする機会を探すようになりました。

そんな時に発見できた機会が、今回入学するLSEのExecutive MSc Social Business and Entrepreneurship(通称EMSBE)でした。

1年間のうち4回の対面セッションとオンライン学習を組み合わせたハイブリッド形式。そして、経験を積んだプロフェッショナル(社会起業家や各業界のリーダー)のためだけに作られたカリキュラム。

子育てや自分の仕事をしながらでも、かつて夢見た国際都市ロンドンで、利他の精神に基づいて公共善と経済性を両方追求するための起業家精神、事業づくり、そしてそれらの前提になる社会・経済システムのあり方や構造を学べる機会。そして、専攻こそ違えど、あの時に夢見たロンドン大学連合。

これだ、と思いました。

ガンダムUCの「チャンスは必ず来る。その時は迷わず、ガンダムに乗れ」というマリーダさんのセリフが脳内再生されました。

これはもう、ガンダムに乗るしかないと。

そこから私は35歳にして受験生になることを決め、英語試験のIELTSの勉強、Statement of Purpose(SoP、志望理由書)、エッセイ、推薦状、職務経歴書などの入試に必要な書類の準備に取り掛かりました。

大学院受験や英語学習についてのテクニカルなことはまた別の機会で発信したいと思っていますが、子育てと自分の仕事(自営業者につき自由も責任も伴う)をやりながらも猛然と努力をしました。

食器の洗い物やゴミ出しをしながら英語のシャドウイング、仕事のタスクの合間の休憩時間に英単語、子どものお風呂(寝かしつけ前の最終プロセス)まで全力でやってから、寝かしつけを妻にお願いして近場のカフェバーに90分一本勝負で願書書きに行くなど、それはそれは最善を尽くしました。

結果、LSEのEMSBEから合格通知(Unconditional offer)をいただきました。

LSEからいただいた合格通知。実際にはメールでいただきましたが、英国入国の際に一応いるかなと思って印刷してカバンに入れてたものなのでちょっとよれよれです。笑

実はLSEのEMSBEにだけ出願(専願)していたのずっとドキドキしており、合格通知が来た時は本当に飛び跳ねて喜んだのを覚えています。
(大学時代のGPAが2.44でも、QS世界大学ランキング3位(social sciences and management部門)のLSE(要求GPAは3.5以上)に入れた事例として、海外大学院を志している誰かの背中を押せればなとも思っています。)

この夢のつづきを

ロンドンで学び、もっと世界の役に立てる人間になる。

この夢をコトバにしてから15年、つまり4億7000万秒が経った今、ついに夢の舞台に立つことが出来ました。

振り返ると、やはり若い時に大切にしていた気持ちや夢を忘れず、時間を味方につけて一分一秒を無駄にせずに努力を続けることが大切だと感じています。そして、仕事や子育てを言い訳にするのではなくて所与の条件として捉えて、どうやったらプラスに捉えて活かせるか知恵を絞るのが大切だと思います。

今から4億7000万秒先の未来で、みんなが今よりもずっと優しくて楽しい地球社会に暮らせているように、明日からロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学んできます。

special thanks:あらたなる未来へ

明日から始まる挑戦を前に、今回の新たな冒険を応援してくれた妻と2人の子どもたち、そして長谷川家・川端家両家の皆さんに心から感謝を伝えたいと思います。

また、LSEのような学校がハイブリッド修士をやっているのを発見できたのは、友人の五十嵐剛志さんのおかげです。彼が、私がTwitterにすっげえ軽いノリで「【ゆる募】ハイブリッドで取れる修士」みたいな投稿をしたのに対して、丁寧にCambridgeのSocial innovationの修士を教えてくれたからこそ、「ならば他の似たレベルの大学も同じようなことやってるかも?!」と思えてスイッチが入ったおかげで今回の機会探索に繋がりました。

そして、海外の大学院受験は、自分のこれまでを全てさらけ出して編集してぶつけるような、全人格的な挑戦だと思いましたので、生まれから今まで自分に関わってくださった全ての皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

ひとりひとりお名前をあげられないことが大変心苦しいですが、推薦状を書いてくださった人生の師匠である近藤健志さん、そして起業家としても人としても尊敬している宮城治男さんには、心からの感謝をお伝えしつつ、いただいたお気持ちを未来にpay it forwardしていけるように全力でがんばります。

最後に。ドミニカ共和国で私の夢をあたたかい笑顔で聞いてくださった内藤さんへ。

まだまだ道半ばで、そもそも修士過程を卒業しないといけないですが、4億7000万秒前に聴いていただいた夢の舞台に立つことは出来ました。本当にありがとうございます。

本来であれば修士をとったら、妻と2人の子ども(内藤さんにとっては孫のような存在ですよ)を連れてドミニカ共和国にご報告に伺い、プエルト・プラタあたりに招待させてもらってお話をたくさんしたかったですが、間に合わずにごめんなさい。

昨年旅立たれた天国で、大好きなプレシデンテでも呑みながら、この記事を読んでいてくださったらとても嬉しいです。

まだまだ、自分がこの世界でやらねばならないこと、子どもたちを見守ることなどやりたいことはたくさんありますので、そちらに伺うのは随分先になりますが、引き続きドミニカの青い空から見守っていてくださったら嬉しいです。

そちらに伺う際には公私ともに少しでもいい報告が出来るように、ドミニカの海と空が青いままで思い出話ができるように微力を尽くしますので、また「冷たいもの」でも呑みながらご一緒させてくださいね。

それでは、4億7000万秒先の未来にむけて、新たな旅をはじめて参ります!

2022年9月3日 川端元維

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#ActionforTransition
#一歩踏みだした先に
#MKinLSE

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