「自分を見せてほしい」バチェロレッテ、エピソード3までみたのだ
元イさんなのだ!
話題のバチェラー女版、『バチェロレッテ』をエピソード3まで見て、あまりにも面白くて感想書かずにはいられず、ネタバレ無しでサクサク書いていこうと思うのだ!!
バチェラー、バチェロレッテとは
ひとりの男性/女性をめぐり、複数人の女/男が2ヶ月の間に色々なデートイベントを経て、恋の相手として選ばれるべく最後の一人になるまで競い合い恋愛リアリティ番組なのだ。
バチェラージャパンはシーズン3まで。まあけっこうこちらはなんというか、賛否両論というか、元イさんはドロドロした感じがあってキツかったのだな。シーズン1で脱落したのだ。
バチェラー、つまりみんなが競って奪い合う男性の立ち居振る舞いがなんか受け付けなかったのだ。少女漫画のヒロインが恋する男じゃないけど、ずっと気取って紳士ぶってるなぁ、なんか装ってて素が見えない、本音が見えないという気持ちだったのだ。
バチェラーとはなんか違う、バチェロレッテ
ところがなんか違うのだな。バチェロレッテ。バチェラーの時に感じた嘘くささをバチェロレッテにはあまり感じないのだな。
そして、バチェロレッテの方では元イさんがバチェラーに感じた「自分を出してない気がする」という発言がバチェロレッテから飛び出してきたから驚きなのだ。
本当の〇〇さんを知りたい
バチェロレッテの福田萌子さんは、みんなに対して話す時も、男性と二人きりになって話す時もこのフレーズをよく使うのだ。
「本当の〇〇さんを知りたい」「教えてほしい」「見せてほしい」
これが、福田萌子さんが参加してくれた17人の男性陣に対して思っていることなのだな。
本当の自分って何?
若干のネタバレになるのだが「理想の自分、なりたい自分ってどんな人ですか?」という質問をバチェロレッテがするシーンがあるのだ。
これがキツい、見ていて息が詰まってしまったのだ。ぜひこの質問の行方と結末は、見てほしいのだ。
そして非モテ男性諸氏はこの質問にどう応えることができるのか?
自分を語る言葉を持っているか?自分を言葉で語り得るのか?
バチェラーに感じた嘘臭さ、そしてこの質問をされた人に感じた表面的で本心を感じさせない立ち居振る舞い…
本当はどんな人なの?
と思わず聞きたくなるのだ。元イさんは福田さんがそれを言いたくなるのはすごくわかるのだ。
「全然話せなかった」という消極的な人とも話をして相手を知ろうとし、エピソード1では自己紹介とパーティーだけで5人を脱落させなきゃいけないのを、全然知ることができなくて申し訳ないと泣く福田さん。
相手を知ろうとする姿勢がしっかりあるんだなと思うのだ。
となると、問われるのは男の「本当の自分」をどこまで相手にキチンと伝えられるのか?ということになるのだな。
本当の自分=汚い本音?
よく言う、本当の自分なんて汚くて見せられないというフレーズ、なんかわかるようで全然わからんという気持ちもあるのだ。
汚い本音は汚い本音で、それが本当の自分そのもの全部ではないと思うのだな。
なので本当の自分は汚くて見せられないなんていう紋切り型の答えは却下なのだ。バチェロレッテ見てるとよくわかるのだ。本音、本当の自分の姿を見せられないとか、がっつり隠そうとしててもそういう人の汚さは漏れ出てるのだ。
露骨に対抗心むき出しにして喧嘩するのはやめよう!!!そういうとこだぞ!なのだ。
自分は何者なのか考えてきたか?理解しようとしてきたか?
自分を語る言葉を持とう、自分は何者なのかしっかり理解しよう、考えよう、そういうことかな?とバチェロレッテを見る前から元イさんは思ってきたのだ。
元イさんの世代はキレる17歳世代で、
自分探しなんてダセえとか、自分語りなんてウザい、そういう目に見える態度や言葉を青年期から浴びてきた世代なのだが、
その反面、TV版のエヴァの洗礼を中学生の時にリアルタイムに浴びてしまったので、「本当の自分について悩み苦しむけど、それを理解してくれる人がいないし見せられない(それで余計に悩む)」みたいな気持ちがあったんじゃないかと思うのだ。
しかしここに来てバチェロレッテで「本当の〇〇さんが見えない」というフレーズは、
自分について、自分の人生について考える事を放棄してきた人、まわりに合わせて流される事を選んだ人にはキツイのだな。
本当の自分なんてダサい、自分を語るなんてウザい、本音の自分は汚い、そうやって避けてきた事のツケを払わされてるな、と感じてしまったのだ。
ちなみに
その質問をされた人、嫌いじゃないのだ。すごくご本人にとって良い出会いになったんじゃないかと思うし、彼自身は邪悪な人ではないんだなって感じられたのだ。
バチェロレッテの福田さんがよく使うフレーズに「出会い」というものもあるのだな。良い出会いに!なのだ。
人との出会いがもたらす良い変化、そして本当の自分を見せあって発見しあう喜びをバチェロレッテで見ることができたのだ。これこそドラマだ、と思うのだな。
非モテの克服として自分と向き合うこと
これは役に立つんじゃないかとずっと思ってきたのだ。
相手にとって「自分が何者かわからない」なんて言われたり、ましてや言葉で言われても心に響かない上っ面だなと思われては、その人の人生の登場人物としてキャラが立たないのだな。よくわからない人、そしてモブになってしまうのだ。何者かになろう、という話なのだな。
どんなに隠そうとしても自分からは逃げられないのだ。同仕様もなく存在してしまっている自分に向き合うことなのだな。
まあこれはまた別記事で書くのだ。
とりあえず今は仕事を終えてからのバチェロレッテを楽しみたいのだ!!
↓こちら最終回直前まで見たバージョンなのだ!!
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