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[ネタバレ]のび太の新恐竜感想。価値観と多様性

コロナによる延期があり、遅れての公開となったのび太の新恐竜。そろそろ上映が終わると6歳の息子が言ったもので観てきました。ドラえもんの映画は今年で3年連続。

3席ずつ開けての上映だったので、広々とみてきました。映画館の経営が心配です・・・

さて、感想の前にあらすじ

のび太が恐竜博の化石発掘体験で見つけた1つの化石。絶対に恐竜のたまごだ! と信じたのび太が、ドラえもんのひみつ道具タイムふろしき”で化石を元の状態に戻すと…生まれたのは双子の恐竜! しかも、未発見の新種だった。

のび太に似てちょっと頼りないキューと、おてんばなミュー。個性の違いに苦労しながら、親のように愛情たっぷりに育てるのび太だったが、やがて2匹が現代で生きていくには限界がきてしまう。
キューとミューを元の時代に返すことを決心したのび太は、ドラえもんや仲間たちと共に6600万年前へと出発! キューやミューの仲間の恐竜たちを探す旅がはじまった。

ドラえもんのひみつ道具や恐竜たちの力も借りながら、恐竜の足跡を追って進むのび太たちが辿󠄀り着いたのは謎の島。恐竜が絶滅したとされる白亜紀で待受ける、キューとミュー、そしてのび太たちの運命とは──!?

感想はネタバレ全開で行きます。

昭和、平成と作られた「のび太の恐竜」ですが令和ということで新恐竜なのかなと思っていましたが、のび太の恐竜の引用がありつつ新しいストーリーです。

昭和から平成ののび太の恐竜になった際、のび太たちを襲うプテラノドンがケツァクアトルになったりと何気に最近の研究が活かされていたりします。

そして、今回においては、もうすでによく知られることになっている恐竜の生き残りが鳥(化石に羽毛を確認したり、爬虫類より鳥の骨格)であるという説がストーリーの軸となっております。

確かにヒクイドリなんか見ると恐竜が祖先も頷けます。

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出典:wikipedia

劇中でカットが変わる合間合間で鳥が出てくるので、完全に意識づけをしてましたね。

あらすじの通り恐竜博物館で唐突にのび太が卵の化石を見つけて、ドラえもんからタイム風呂敷を貸してもらい卵にまいて、結果双子の恐竜が生まれるのですが、尺の都合かもしれないけど、ちょっとノリが軽すぎる。

偶然に偶然が重なってのび太の努力が見えず感情移入がしづらい。

のび太の恐竜は、現代日本の位置は海にあるため、首長竜の卵の化石を発見したのも勢いで理解できるんですよね(しかも結構なガケを登って発見する)。

その上で、ドラえもんは化石を馬鹿にしつつタイム風呂敷を落として去るというところがいぶし銀なわけで…しかもその後、親の妨害にも屈せず必死に温めるんですよね。

この時点でのび太が親となる過程が描かれるのですが…

なまじのび太の恐竜があるせいで引用しつつ差別化を図ろうとしたせいでこんなことになっているのだと思います。

ともあれ、生まれた恐竜にキューとミューと名前を付けます。鳴き声から名前をつけるところものび太の恐竜からの引用。

最初に恐竜を抱いたとき「暖かい。」って言うんです。これは説が色々あるところですが、恒温・変温の間だったとか、最近は恒温動物説が結構強かったりだとかあるのですが、これも最近の研究に基づかれたセリフ。

それから手がかからずどんどん育つミューに対して、何かと手のかかるキュー。餌も好き嫌いして食べません。のび太はピーマンを残す自分を棚に上げつつ、食べないと駄目だぞと叱るのです。

だけれどただでさえ体の小さいキュー、これでは困るとのび太は本を調べたり、恐竜博の研究員さんのところに質問に行きます(タケコプターで行ってお金払ってないけど…)。

そして何とかマグロの刺身(のび太の恐竜の引用ポイント)を食べるようになったキュー。だけれど、ある夜吐いてしまう。

そこでのび太は、恐竜博の研究員さんのところに夜中に押し掛けるわけです。研究員さん大変だ…

子育てしてると、子供が吐いて大慌てのイベントって大体あるんですよね。親世代はここらへんは結構ぐっとくるところだと思います。僕も一緒に見てる息子が盛大に吐いて病院に行った時を思い出しました。

そんなこんなで愛着も深まってきたのび太。ひみつ道具の「飼育用ジオラマセット」+スモールライトのコンボで基本的に育てていきます。

十分に大きくなったということで、ジャイアン、スネオ、しずかちゃんにお披露目。ここでジャンイアン、スネオは土下座(恐竜からの引用)を見せるわけですが、その騒ぎでのび太のママが二階に上がってきます。

そこで、ミューとキューを「空間移動クレヨン」で屋根上に逃がすのですが、それが人目について2頭を白亜紀に連れていくことになるんですね。

ここで、のび太はドラえもんとひと悶着あります。

ミューはもう飛べるのに、キューはまだ飛べないのです。そんなキューを恐竜の時代に返して暮らしていけるのかと。

しかし、最終的にのび太も一応納得して2頭を白亜紀に送ることにします。

さて、タイムマシンに乗ったいつもの面々、白亜紀についたと思ったらそこはなんとジュラ紀。のび太のミスでジュラ紀についてしまったのでした。恐竜に襲われながら白亜紀に逃げます。

正直、このシーンはただ恐竜の戦いを子供に見せるために入れたのかな?と思っていましたが、逃げる途中のび太が、飼育用ジオラマセットを落とします。

確実に伏線ですね、これ…

何とか白亜紀につくも、キューとミューと同じ恐竜の姿は見えません。

そこで、ひみつ道具を使い恐竜の跡をたどることに。

道中、ともチョコで恐竜を仲間にしつつ、海がある崖につきます。そこでのび太たちは巨大な翼竜に襲われて、崖から落ちてしまいます。

そこで、ピー助(らしき存在)のゲスト出演。

気絶するのび太を背中に乗せて助けてくれます。

オッサン世代はこれにはグッとくる、来ざる得ない。キューとミューがいるのでピー助の世界線ではないっぽいのですが、そこらへんの野暮なところは置いておきましょう。

のび太が目を覚ますと、そこら中に新恐竜(ミューとキューの同種の恐竜)がいます。

ひみつ道具により居場所が分かるのでドラえもん達も合流し、いよいよ、キューも仲間入りしようとします。(ミューは先に飛んでほぼ仲間に入っている。)。

しかし、そこでキューは群れの恐竜にどつかれてしまうのですね。

のび太は憤慨します。体が小さいから、しっぽが短いから、飛べないから仲間外れにするのか、と。

そこからのび太はキューに特訓を強います。どこかの感想でスパルタの押し付けで個性を認めていない、とありましたが、ここでのシーンは子を思うからこそ、心配だからこそ厳しく求めてしまうというのび太の親としてのシーンに思えました。

そもそも、のび太は白亜紀に返すのは反対だったのです。飛べないキューを白亜紀に返したところで死んでしまう!という目線でいよいよそれが現実味を帯びてきたのです。

仲間にすらどつかれるキューが、恐竜の恐ろしさも経験してきたのび太にとってとても生きていけるとは思えなかったのでしょう。

特訓の中でのび太は言います。

そんな羽ばたき方はお前の仲間はしていない。だから飛べないんだと。

しかし、何度やってもできないキューは嫌になって逃げだしてしまう。のび太もそれなら勝手にすればいいと怒ってしまいます。

もう親として滅茶苦茶わかるシーンです。例えば勉強、例えば運動、普段の生活にしろなんでできないんだっていう気持ちが生まれてしまうんです。それも周りと比べて。

さらには自分を棚に上げて。果たして仕事でも生活でもそこまでできているのだろうか?しかし、子育ては棚に上げても教えなきゃならない場面があるのですが…

その後、しずかちゃんとの会話の中でのび太は自分を改め、ひみつ道具を使い、キューのところへ行きます。

そこで、キューに教えるのではなく、自分も逆上がりを練習し寄り添うことにしたのです。

そんな中、白亜紀の地球に隕石が落ちてきます。そう、恐竜絶滅のトリガーとなった隕石が降るタイミングだったのです。

ジャイアン・スネ夫をとらえていたのもタイムパトロール。のび太たちを連行しようとするのですが、ここでのび太はさらに憤慨。

キュー達を救いたいと。結局、ジャイアン・スネ夫が偶然に発見した島の見取り図により、この島はジュラ紀で置いてきたひみつ道具、飼育用ジオラマセットが長き時を経て大きくなったものだと気づきます。

ただのジュラ紀恐竜バトルシーンを見せたかっただけでないことが判明!その上、飼育用ジオラマセットは外の影響を受けないシェルターにもなるということで、空間移動クレヨンでなるべく恐竜を島に移して助けようということになります。(歴史改変に思えますが、むしろこの改変があったからこそ鳥として進化した、みたいなロジックのようでした。)

この序盤のひみつ道具がキーアイテムになる流れはやはりいいですね。

空間移動クレヨンで島を囲う中で、一度襲われた巨大な翼竜に襲われます。

おあつらえ向きに、ドラえもんは気絶(フリーズなのか?)し、のび太は翼竜に片手一本でぶら下がります。

飛んでる翼竜にぶら下がるという凄まじい握力を発揮しつつ、飛んでのび太を救おうとするキューを応援するのび太。

僕としては握力すげぇ、しか気にならなかったのですが、そんな僕を差し置いてキューは必死に羽ばたき、ついに空をつかみます!

のび太にも一度否定された、羽ばたくことによって体の小さいキューは空を飛ぶことができたのです。

むしろ、体が小さいからこそ羽ばたいて飛ぶことができた。

ここで、キューこそが恐竜と鳥のミッシングリンクであるということが判明します。

それまでの恐竜は高いところから降りる滑空であり、飛翔ではなかったんですね。ウッディ、バズもトイストーリーで言ってましたね「飛んでいるんじゃない。落ちているだけだ、カッコつけてな。」って。

これは熱さを感じずにはいられませんでした。ここの部分だけで僕は色々突っ込んだところは目をつぶります。

ただただ多様性をよしよしとありのまま認めるのもそれは理想ですが、残念ながら社会は良しとしません。

多様性が認められる場面とは、個性が武器となった時に初めて認められるのだと思っております。

生物であるならば、多くの死の上に環境に適応する命がつないでいったのです。

社会に迎合してもらうための多様性ではありません。

勿論、社会側としては一見不利な個性、ハンディも環境が変われば活きてくることもある、そのために社会はその個性を潰すことはやめようという姿勢を持つことは重要です。

ただ、同時にそれに甘えるのは怠惰ともいえるのです。

「『覚悟』とは‼︎暗闇の荒野に‼︎進むべき道を切り開く事だッ!」 

ジョジョ5部屈指の名言ですが、まさにキューは覚悟が決まっていたからこそ、新しい飛び方を実践することができ、それが進化の鍵となったのでしょう。

後は、エンディングに向けて話が締まっていきます。

現代に戻ったのび太が一人、最後に逆上がりを成功させて、そばにはキューとミューを思わせる鳥が飛んで行きエンディング。

このさらっとさがいいですね。

生物の多様性こそが新たな繁栄のキーである、と同時に配られたカードでも磨き続ければ個性という武器になるという希望に満ちた作品だったと思います。

コロナの状況で価値観というものが新たに変わってきております。例えば服を売る場合、トーク力がなかったとしても練った文章が上手い人の方がECサイトで服が売れるという時代がやってきているかもしれません。

奇しくもそんな価値観の変動が起きている今に非常に響く作品だったかと思います。

物語の攻勢にしても序盤から、頻繁に出てきた鳥、ひみつ道具、キューの体…薄々気づいていましたがが、伏線をこうも確りストーリーの軸として回収されては、多少の粗なんかは気にしなくてもいいでしょう。

何よりミスチルのBirthdayがぶっ刺さりすぎて、これだけでも見に来たかいがあった。

親世代を確実に仕留めに来てますよ。

映画館の大音量で聴くミスチル最高やん・・・ってなりましたもん。

最初からのび太の新恐竜の世界観を思わせる歌詞ながら、のび太の新恐竜なしでも確りと名曲に昇華していてやはり天才か・・・と思わされました。

君にだって2つのちっちゃい牙があって
1つは過去 1つは未来に
噛みつきゃいい
歴史なんかを学ぶより解き明かさなくちゃな
逃げも隠れも出来ぬ今を

最近の歌は本当に主題歌になると世界観に合わせつつ、それ単体でも確り成り立つ歌詞が多くて素晴らしいなぁ。

というところで筆をおきたいと思います。


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