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【ネタバレ感想】シン・エヴァンゲリオンは旧世紀オタクへの葬式だった

オトシマエー!!!

シン・エヴァンゲリオンのネタバレ感想です。

平日休みがあったので、朝からシン・エヴァンゲリオンを観てきました。コロナの延期もありましたが、間にシン・ゴジラが挟まった上8年待ってますから今更ってもんです。

さて、映画館内スクリーンにつくと、平日ということもありぽつんぽつんといったくらいです。

僕は予約して中央ど真ん中に座しましたが、他の方はスッカスカにも関わらず中央座席サイドに座るあたり実に「エヴァ」だなぁと思いました。

初代エヴァ放送当時40代であったろう諸先輩方もおり、月日の流れを感じました。

さて、ここらが本題のエヴァの感想です。

映画の大体の流れはwikipediaにまとめてありましたので、こちらの各パートごとに感想を。


パリ市街戦(アバンタイトル1)

今思えば出だしの戦闘が一番気合入っていた。つかみは肝心というやつです。

印象的なセリフは、システムにハッキングしているチームの若い男たちの弱気な発言に対して「これだから若い男は。」ってセリフです。

終盤、俺たちも残ってやりますぜ!!って若い男たちに「これだから若い男は。」って言うんですね。こういうのあざといけどやっぱり好きなんだよなぁ。

所謂トイ・ストーリーの「飛んでるんじゃない!落ちてるだけだ!かっこつけてな。」ってやつです。

第3村(アバンタイトル2からAパート)

破のポカ波の再来。

大人となったトウジやケンスケがシンジに優しく接するが全く響かない。いじけるシンジはケンスケの家から逃げ出し海辺で体座りを決め込む。

村の人と交流してポカポカしだした黒波は家出して一人佇むシンジに毎日会いに行き2400kcalのレーションを渡す。

ちなみに2400kcalのレーションはメロンクーヘン概ね二袋分です。

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※悪魔的カロリー

なので、シンジ君気分を味わいたいなら海辺でメロンクーヘンを泣きながら食べるといいよ。

さて、ポカ波の献身的なアプローチと「皆、碇君が好きなんだと思う。」という言葉でほだされたシンジ君はケンスケの家に帰ります。やっぱり無償の愛凄い。

ところで、ケンスケの家でアスカはほぼ裸みたいな恰好でうろついているのですが、これは「いたしてますなぁ。」と僕は思いました。

最初にアスカの裸のところにシンジ君がやってくるシーンがあるんですが、この時シンジ君、いじけてるので無反応なんですね。

そこでアスカは赤面するなりなんなりしろってキレちらかすのですが、そこにケンスケが現れてさっとバスタオルを渡す。

自然な所作なんですよ。ほんで、アスカもケンケン呼びですしね。もう完全に付き合ってる。いや、諸事情で付き合ってまではないにしても「いたして」いますね。ケンケンがどことなく加地さんに似ているのも意図的だと思います。

話はそれましたが、牧歌的でいい人だらけでユートピアみたいな、この第三村ですが、トウジのセリフで、ここまでくるのに人に言えないようなこともやったし、今の医者も真似事みないなもんで罪滅ぼしだ、というんですね。

ケンスケも、この平和もいつ壊れるか分からない。だからこそ毎日を一生懸命送っている、という風に言うんですよ。

大人!!!

ここらへんから完全にオタク達へのメッセージにしか思えない。

QのWILLEの方々もね、この優しさを持っていてくれたらあんなにシンジ君もパッキパキにならなかったんじゃないかなぁと思うと、オタクをリアルに帰すには優しさなのだと庵野監督は考えているんじゃないかと推測してしまいました。

そうこうしている間、黒波はネルフでしか生きられないのでシンジの目の前で突如LCLになる。

シンジ君ね、大切な人が目の前でいなくなるの何度目だよって。そらいじけもするよ。

でも、シンジ君はもうシンジの兄貴ですから。スーパーロボット系の主人公と化してますから。覚悟完了してオトシマエを付けに行くんですよ。

お前らオタクも覚悟完了しろよって言っているように見えた。

再びヴンダー(Bパート)

おっしゃー、お前ら敵陣突破じゃー!!ってノリでした。難しい言葉を言ってるけどそういうことだと思いました。

エヴァ初期放送時、シンジ君と同年代だった僕は、一々細かい言葉を気にしてましたが、もう38歳のまごうことなきオッサンであるため、細かいことは気にせずバイブスで乗り切ることにしました。

ヤマト作戦(Cパート)

もう序盤の戦艦シールド作戦名からして戦艦を出したくてたまらないんだなぁって。

とりあえず、サイクロプスゲンドウに笑った。

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ピョンピョン瞬間移動し始めた時、なんだかわからないけど面白かった。

マイナス宇宙(Dパート)

マイナス宇宙はバイブスで理解した。

スターウォーズしかり、結局父と子の物語であったエヴァ。最初、スマホ格ゲーのような雰囲気でエヴァに乗って親父と様々な場所でどつきあうんですが、結局親父と対話しなきゃ勝てねぇってことになります。

ほんで、初代エヴァよろしく電車内トーク。

親父は結局、コミュ障で勉強と音楽だけが救いだった人間で、他人との壁(ATフィールド)をぶち壊したのがユイ=奥さんだったわけで、その最愛の人を亡くしてしまった悲しみがデカすぎて、奥さんと共に神になるというまぁ物語的によくある話でした。ダースベイダーみたいなもん。

でもね、大切な人を亡くしまくって何なら最初に親父に捨てられたシンジの兄貴は無敵ですよ。

友情パワーで貰った槍を使いやりたいほうだい。

親父は息子に最愛の人を見て成仏するわ、シンジ兄貴も逝きそうなところオカンに助けてもらうわ、その上で皆助けるわ、エヴァの無い世界を作るわでシンジ兄貴すげぇ!!

ばーーーってなって、最後、マリとくっついてエンド。

これよ。

あとあれだね、カヲル君は一人ループしてたね。エヴァの世界がループしてる物語ではなくて、カヲル君がひたすらループしてる。それでシンジ君がエンポリオかましたからカヲル君はループから外れることができたのではないのかと。

内面に籠って僕の世界を持ち続けたシンジ(オタク)をどうにかしたくて、何度もループしたんだなぁと思うと感慨深いです。シンジを救うことで救われたかったんだって諭されてカヲル君も転生しました。

シンジ君に救われた人にミサトさんが出てなかったけど、あそこで救われたのは精神の救済だから、ミサトさんはオトシマエー!を付けたからシンジ君の精神世界には出てこなかったのだと思います。

多分エヴァの無い世界で獺祭(また出てきた)飲んでると思う。

監督の生まれの宇部で終わるところがいいじゃないですか。

なんだかんだいってやっぱりエヴァはバイブス。

まとめ

まずそもそも、新世紀エヴァンゲリオンは1995年、旧世紀(20世紀)に作られた。

21世紀を迎えるにあたっての期待と不安が時代とマッチしていたのだと思う。笑い話だがノストラダムスの大予言で1999年空から恐怖の大王がやってくるってのが一世を風靡していたのだ。

先にも書いたが、僕とシンジ君はほぼ同い年だった。

しかし、今や最初の放送から25年もの月日がたち、僕は38歳になった。

劇中のシンジ君は14歳のままだ。そんなアニメ版エヴァでも旧劇版でも内にこもってたシンジ君がついに覚悟完了したんだ。

「新世紀エヴァンゲリオンはもう旧世紀なんだよ!お前らオタクもエヴァから離れてリアルを生きよう!」

ってメッセージに感じた。

根拠1

第三村の大人になった少年たち。

トウジもケンスケも非常にバランスの取れた大人なんですよ。簡単なセリフに今までの苦労とそれでもやってく覚悟が染み出てる。だから言葉多くごちゃごちゃ言わない。

対比としてチルドレンたちは、変わらず子供。だから言葉多く感情的にごちゃごちゃ言う。

シンジは年齢が変わってないから勿論そうだし、黒波も生まれたての小鹿みたいなもの。アスカなんかは時間は経っているが、結局シンジを子供扱いして大人ぶってる子供。だからシンジに余計イラつく。

憧れが加地からケンスケに変わっただけである。

だから、シンジに殴ったわけを察してほしいし、気持ちを理解してくれない好きだった男にムキになる。

アスカが大人になった瞬間は、シンジに昔の気持ちを告白して、シンジからも好きだったと言われた時だと思う。

お互いのモヤモヤした、それ故に盛り上がっていた気持ちに決着がついて、未来を見た瞬間だ。

根拠2

親父の成仏。

ゲンドウは旧エヴァンゲリオンのシンジだったと思う。だから電車の中で独白をした。幸運なのは相手がいたことだ。

しばしば物語では少年の大人になる儀式として親父越えというものが存在するが、シン・エヴァにおいては大人と化したシンジによって親父が少年から神話になったのだ(言いたいだけ)。

世界と断絶するためのウォークマンが、世界との断絶を破壊するために子供から渡されるのは実に感慨深いものだった。

根拠3

シンジと最後に出てくるのがマリ。

ここら辺は賛否が一番ありそうなところでもあるのだが、自分は至極納得した。

マリって新劇破から出てきた所謂ポッと出のキャラ。しかも劇中もそこまでシンジと会ってないのですよ。

ただ、マリ自体はユイの友人でそのクローンじゃないかってのは暗に示されているけど。

想像してほしい、青春時代。クラスでちょっと浮いている無口な美少女。何かと喧嘩吹っ掛けてくるけどお互い思いあってる気がするツンデレ美少女。

でも、実際結婚するのは職場や合コンで何となく話しやすかった女性。(性別逆もしかり)

アスカも綾波も思い出でこそ輝くタイプなんです。

アスカ派な自分も切なさはありました。しかし、先日のアスカ、シンジのお互いの気持ちを伝えあったシーンで十分じゃないですか。

二人で明らかに付き合っているやり取りをして、エヴァのない世界=現実に走っていく。

僕らのエヴァはこれで終わったんだ、と25年もの月日をかけて大団円をもってケリをつけてくれた庵野監督感謝を述べたい。

最後に

まず思ったのが、エヴァだと思ったらALWAYSだった。これは随所に現れていた。第三村は言わずもがなだし、戦闘も弾幕ゴリゴリ。ミサトさんも結局頼るのはコレって感じで宇宙船逆噴射かますし。

新世紀って旧世紀の言葉だから、あえて古くしたのかなとすら思った。昔を懐かしんでもらって次に移りましょうという葬式。

まだ言語化できていない思いはあるけど、僕は良かったと思います。

色々他の感想で、作品だけで庵野監督の人物まであーだこーどぶつぶつ述べているのを見ると、庵野監督が「オタクよ現実に帰れ。」と何度も作品で述べているのが少し分かるような気持ちになりました。

ただ、旧劇版は北風であり、新劇版は太陽だったのかなって。内にこもって美少女を眺めてても何も始まらないし、覚悟決めて外に出れば胸の大きい良い女と付き合えるかもよ!と。

でも、マリがクローンでしかも当時の記憶まで持っているとしたら、彼女は実はゲンドウが好きで、その息子にかつてのゲンドウを見て付き合ったのかなぁと思うと少しその執念が怖いと思ったり。

ともあれ、庵野監督は確り「オトシマエ!」をつけてくれました。

ちなみに僕がエヴァから脱却したのは、妻が実家に来た時僕の引き出し奥にあったエヴァの同人誌を発掘した時です。


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